コード005 口は軽く、手は重く

「あぁ! もう、分っかんねぇ!!」

「なんだ? 思春期特有のやつか?」

「修理費倍な」

「あああああ! ごめんなさいヴィク様ぁぁぁ!!」


 腹部に巻かれた止血用の包帯を押さえながら、いつものふざけたレクスが大袈裟に頭を下げる。けれど、傷のせいか動きがぎこちない。


 私はそんな彼を適当にあしらいつつ、作業台の上に積まれたジャンクへと視線を戻した。


 油にまみれた手で小型スキャナを握り、ひとつひとつ回路を読み取る。基盤を光に透かしてクラックを探し、断線コードは外して、新しい束と分けていく。


「で、そんな真剣に何調べてんだよ」


 修理待ちの右腕を三角巾代わりの布で吊ったまま、レクスが退屈そうに口を開いた。


 私はため息をつきながらドライバーを回し、メモリチップを抜き出す。端末に挿して、裏コードの有無を確認する。


「あのイかれた奴に狙われた原因だよ」

「狙われた原因?」


 ピッ、と端末が正常音を鳴らす。私は部品をトレイに投げ込みながら淡々と答えた。


「……あいつ言ってたろ。『持ってんな、寄越せ』って」


 そう。あの狂ったブラックジャッカルの男は、最初は明らかに私を狙っていた。何らかの確信を持って。


 ディスポにブラックジャッカルが屯してたのも不自然だったし、もしかしたら、ディスポで何らかの取引があり、奴らの目当てのジャンクを、たまたま私が拾ってしまった可能性もある。だから、裏物を疑って調べていたのだ。


 だが結果は、どれもただの純正高性能パーツ。ブラックリストのコードも、ドラッグ仕込みの回路もなし。


 ……杞憂、だったのか? 奴にはたまたま絡まれただけ? それならそれでいいんだけど……。


 部品の安全確認を済ませると同時に、レクスの修理用パーツに取り分けて入れていた箱を引き寄せた。


「……よし、仕分け終わり。次はお前のスクラップ右腕だな」

「スクラップ言うな。俺の大事な相棒だぞ」

「の、癖に毎度壊してツケ払いかよ。随分と大事にしてんだな」

「よく言われる」


 レクスといつものやり取りをしながら、私は作業用グローブを手にはめる。医療用の滅菌層と耐熱繊維を合わせた特殊な手袋だ。油で黒ずんでいるが、これなしではギアの内部に触れることすらできない。


 レクスがメンテ台に寝転んだのを見届けた後に、焦げたフレームをこじ開け、内部を覗き込む。熱で焼け爛れた神経ラインが黒く固まっていた。見た瞬間、胸の奥に苛立ちが走る。ディスポに行く前はここまで酷くはなかった。それなのに、平気そうな顔して……ここまで損傷してたんなら、早く言えよ。


「……ほとんど死にかけてんな。クソッ」


 工具を握り直す。手袋越しに、焦げた金属の熱がじわりと伝わってきた。ボルトを外すたびに焦げ付いた匂いが立ち上り、薬品と油の混じった工房の空気がさらに重くなる。


 焼き付いた端子を削ると、黒い粉がぱらぱらと舞い、鼻の奥にこびりつく。


 一本外すのに数分。研磨して、導通を確かめ、ようやく次の作業に移れる。


「……まだかよ」

「うるさい。今ズレたら完全に死ぬぞ」


 引き出しにしまっていた琥珀色に濁ったアンプルを取り出し、カートリッジに押し込んだ。粗悪品の部分麻酔だ。アンダーズじゃ高級品扱いだが、効き目なんてほとんど期待できない。……それでも使わなきゃ、痛みは地獄そのものだ。


「部分麻酔、打っとくぞ。効き目は薄いが無いよりマシだ」

「お、サービスか?」

「一本で三ヶ月分の稼ぎだ。恩に着とけ」


 薬液が神経ラインに流れ込む。レクスの腕が僅かに震え、筋肉が反射的に強張った。


 私は引き出しから小さく折り畳まれた白布を取り出す。油と煤で汚れた店には似つかわしくない、まだ清潔な布。自分のために残していた予備だ。


「……ほら、噛め。唾液が飛んで感染したら面倒だ」


 レクスは驚いた様に目を見開いていたが、それでも黙って受け取り、奥歯で強く噛みしめた。


 焼け焦げた神経ケーブルに触れると、熱が指先を刺すように伝わってくる。焼け付いて抜けない箇所は、削ってほぐし、冷却剤を吹きかけてから引き抜く。蒸気と粉塵で視界が曇るたび、私は息を止めた。


「……ッ、ぐ……ッ!」


 白布の奥から押し殺した呻きが漏れ、レクスの体が反射的に跳ねる。台の金属がかすかに軋んだ。


「……あと少しだから」


 私は工具を押さえ込み、力で軌道を戻す。


 一気に引き抜くと、レクスの全身が痙攣し、布越しにくぐもった声が響いた。


「……無茶すんのは勝手だが」


 焦げの断面に新しいラインを叩き込む。端子を研磨してはハンダで固定し、導通ランプを確認。一本終わるたびに汗が首筋を伝い、工具を握る手が痺れる。冷却材の匂いが広がり、焼け跡から立ち上る煙と入り混じる。


「神経まで焼かせてんじゃねぇよ、バカ」

「んぐっ……!」


 最後のケーブルを嚙ませると、インジケーターが点灯し、右腕が低く応答するように振動した。


「ほら、終わったぞ」

「死ぬほどいてぇ……ヴィクさん、もうちょい優しくできねぇの?」

「文句言うなら倍額請求すんぞ」

「やめろ! 俺の財布がカラッカラになる!」

「へぇ、干からびるほど入ってたのか。初耳」


 レクスは指を握ったり開いたりしながら確かめる。関節の動きは滑らかで、ひっかかりもない。


「……おお、なんか前より調子いいじゃねぇか」

「当たり前だ。誰の腕だと思ってんだ」

「俺のだろ?」

「ぶっ飛ばすぞ」


 軽口を叩いたあと、レクスはふと噛みしめていた布を手に取り、わずかに眉を下げた。


「……悪ぃな。せっかく綺麗なの汚しちまった」

「別にいい。使えりゃ十分だ」

「代わりに髪飾りでも買ってやろうか?」

「そんなクレジットあるならツケ払え」

「お前なぁ……年頃の女の子だろ? もうちょっと見た目に気を遣えよ。だから男に間違われんだ」

「オシャレなんぞ腹の足しにもなんねぇ」

「身も蓋もねぇな」


 レクスが肩をすくめるのを横目に工具を片付けていると、ふとディスポでのことを思い出した。


「あ、そうだ」


 ブラックジャッカルの襲撃で頭から抜けていたが、あの時ウォレットチップを拾っていたんだった。


 ポーチから取り出し、端末に差し込む。あまり期待はしていないが、念の為にと中身を確認する。


「……ハズレだな。残高データなんて一つも入ってねぇ」


 モニターを埋め尽くす暗号ファイルの羅列。どうせ偽装クレジットだろうと消しかけた瞬間、その中でひとつだけ、不自然に浮かび上がる文字列が目に入った。


 《Axi_G.001》


「これは……アクシ……ギア、か?」


 首をかしげる私の横で、レクスの表情が一瞬で変わった。気づけば、奴の手が端末ごとチップをすっと抜き取っていた。


「ちょっ──」

「なるほどな。ブラックジャッカルの奴が絡んできた理由、これかもしんねぇな」


 レクスはチップを指先で軽く弾きながら、冗談めかした声色で言う。だが、目だけは笑っていなかった。


「……お前、知ってんのか? その、アクシってやつ」

「さぁな。ただ、言えるのは……これを持ってたら、間違いなく命を狙われるってことだ」


 レクスは口元をゆるめ、チップをポケットに滑り込ませる。


「おいっ!」

「心配すんな。俺が然るべき場所で処分しておく」

「……大丈夫なのかよ」

「慣れてるからな」


 荒事は俺の専門だと笑う声は軽かった。けれど、そのポケットを押さえる指先だけは、不自然なほど強張っていた。


「じゃ、また壊したら頼むわ。……次はちゃんと、クレジット用意すっから」

「はいはい、期待せずに待ってるよ」

「あぁ。帳簿に俺専用の欄作っといてくれ」


 そんな軽口を残して、レクスは片手をひらひらさせながら店を出ていった。



   ◇ ◇ ◇




「ほら、冷める前に座りなさい」


 二階から降りてきたリゼ婆の声に、私は工具を拭く手を止めた。店の奥の台所のテーブルには、いつの間にか湯気を立てるスープと、こんがり焼けた合成パンが並んでいる。


「……の分まで用意しなくていいのに」

「いいんだよ。最近は食が細くてね。だから、ヴィクちゃんに手伝ってもらえると助かるんだよ」


 その言葉が、私に気を遣わせないための方便なのは分かっていた。


 でも、ここで押し問答をしても押し切られるのは分かっているため、素直に席についた。


「……いただきます」


 前世から癖になっている挨拶を、ぼそりと呟きながら両手を合わせる。


 ちゃんと稼げるようになってきたのに、ずっとリゼ婆に世話を焼かれてばかりで申し訳ない。それでも、誰かが温かい食事を用意してくれることが、胸の奥では嬉しくて仕方がなかった。


 スープをひと口すすると、合成とはいえ出汁の風味が広がり、冷えた体の芯まで温まる気がした。パンをちぎれば、香ばしい匂いがふわりと立ちのぼる。


「どうだい? 味は落ちてないだろ」

「……うん。美味しい」


 リゼ婆は満足そうに頷き、しばらく黙って私の食べる様子を眺めていた。


 なんだかその視線に落ち着かなくなり、誤魔化すようにパンをもうひとちぎりしたところで声をかけられた。


「……何かあったのかい?」

「……え?」

「顔見りゃわかるさ。ヴィクちゃんのことならね」


 リゼ婆の鋭い指摘に、私は視線を逸らす。


「ちょっと麻酔を、仕入れたいなって……いや、そんなに余裕はないのは分かってるけど……ちゃんと、今月分の家賃は残してるし……それに、切らしたままは不味いし……だから……」

「いいよ」


 リゼ婆は穏やかに笑った。


「支払いが遅れても気にしないから。安心して行ってきなさい」

「……うん、ありがとう」


 スープを口に運ぶ。熱さが喉を下りると同時に、胸の奥にチクリとした痛みが広がった。──もっと稼いで、リゼ婆に楽をさせてやりたい。


 けど現実にはカツカツの生活で、レクスのツケばっか溜まる碌でもない日々だ。


 本当にあいつは厄介な客だ。金払いも悪いし、毎度とんでもない壊し方をしてくる。そのくせ図々しく笑いながら言うのだ。「ヴィク、直してくれ」って……。


 ……あいつは、何があっても右腕のギアだけは手放そうとしない。理由は知らないが、壊れても修理して使い続けることに異常なくらい固執している。……けど、継ぎ接ぎの修理なんて所詮は延命措置だ。どれだけ私がごまかしても、いずれガタは来る。


 それでも、頼まれた以上は絶対に直してみせる。修理屋の看板背負ってんだから、それが矜持ってもんだ。……それに、施術中に苦しそうな顔をされるのは単純に気分が悪い。


 だから、次はちゃんと備えておかないと。


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