第7話
婚礼が終わった翌日。
琴子は、清園寺の本家敷地の一角にある「離れ」で新しい生活の始まりを溜め息まじりに憂いていた。
離れは築百年を超える木造の屋敷で、畳の香りと軋む床板に歴史が染み込んでいる。 清園寺家の母屋から渡り廊下で繋がってはいるが、生活空間としては独立していた。
自分の部屋から居間へ向かう。足取りは重い。
いつもなら気持ちのいい檜の香りも、今日はいつもと違うように感じられた。
最悪の気分で襖を開けたその時――
推しが、立っていた。
半年前、琴子の世界から永遠に消えてしまったと思っていた彼が、濃紺の着物を着て立っていた。
時が、止まった。
呼吸することを忘れた。
心臓が止まったのかと思った。
半年前に失ったもの、二度と戻らないと諦めたもの、 夢でしか会えないと思っていた人が、 そこに、そこに立っていた。
「ソ、ウマ...様...?」
声にならない声で、琴子はつぶやいた。
現実なのか、幻なのか、分からなかった。
視界が暗く沈む。そのまま琴子は意識を手放した。
ぐらりと揺れる身体を、颯の腕が強く引き寄せる。
「……おいおい、マジかよ」
軽口のつもりが、声は震えていた。琴子の顔が颯の胸にうずまる。
「……っ、もう……なんだよこれ……」
颯は思わず目をそらした。
頬が熱い。心臓の音が聞こえてきそうだ。
颯は琴子を抱きとめたまま自分の口元を押さえ、しばらく座り込んでいた。
・・・長い・・・。
まだ目覚めないのか。
颯の心臓がまだ、飛び跳ね続けている。
颯は、赤くなった顔からなかなか熱がひかないのをもどかしく感じた。
時計を見ていても秒針がまるで止まってしまったかのように思える。
畳の上に敷かれた座布団にどうにか琴子を横たえ、掛け布をそっとかける。震える指で、そっと、琴子の顔の一筋の髪をあげる。
睫毛の影が美しく揺れ、白い頬に落ちる。
「……」
言葉にならない。
まっすぐに見つめることができない。
でも、触れてみたい。
あの日あの瞬間に感じた心をくすぐるような、そして世界が一変してしまったようなあの感覚が、再び、颯の身体の中を駆け巡っていた。
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