第2話
その日も、琴子は閉館後の展示室に残ってガラスケースを磨いていた。 琴子はこの時間が何よりも好きだった。
大好きな展示物たちを眺めながら、最も美しく見えるようにガラスケースを磨く。ガラス磨きにはコツがある。まず、柔らかいハケで表面のホコリを払う。そして、柔らかいマイクロファイバークロスを使い、傷つけないよう一方向に丁寧に磨く。
「今日もみんな美しい……」
推し達に囲まれて琴子は幸せだ。……いや、実はつい半年前のあの日。琴子は「最大の推し」を失ったのだった。
舞台の上、彼は深藍の袴をまとい、澄んだ濃紺の瞳を輝かせていた。 扇を手に舞い、観客の視線をすべてさらったその姿は、まさに光そのものだった。 そして――最後に深々と頭を下げ、舞台から去っていった。
その日の喪失感をまた思い出して、喉の奥がきゅっと詰まり、目じりに涙が滲む。
「清園寺さん、今日も残業?」
背後から声がして振り返ると、篠宮秀一郎が立っていた。 同僚の研究員で、無駄のない立ち居振る舞いと、その美しい顔立ちから職員の間では「シノ様」と呼ばれている人だ。彼の家系は由緒正しい学者一族だ。 琴子は慌てて目じりをぬぐい、答えた。
「もう帰ります。……シノ…篠宮さんは?」
「僕は調査データの整理。あなたもほどほどにしたら?」
いつもの、少し冷ややかな響き。それがまた女子職員の間では人気だった。
「はい、そうします。最後に保管庫だけ、チェックして帰ります。お疲れさまでした。」
「お疲れ様。」
(シノ様は、少し、推しの雰囲気に似ている。袴が似合いそうな、そんな感じ。)
琴子は篠宮の背中を見送りながら考えていた。そうして、保管庫へ足を運んだ。 はにわのキーホルダーが揺れる鍵で保管庫を開ける。 誰もあまり行きたがらないこの場所が、琴子は大好きだった。 歴史の刻まれた物たちに囲まれていると、自分もその一部になったような感覚があった。
面倒な事務作業も、同じような作業を、同じようにたどるというのが、まるで茶道の動きのようだと琴子は感じていた。
特に保管庫の様子に問題がないことを確認し、
「みんな、おやすみなさい」
と声をかけた。琴子は再びはにわがゆらゆらと揺れる鍵で保管庫を閉めた。
平穏で、単調、でもそれなりに心地よい日常。
──その夜、琴子は突然、両親に呼び出された。
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