第3話
清園寺琴子は、清園寺家の一人娘として両親の深い愛情に包まれて育った。 父と母に連れられて美術館や博物館を巡った幼い日々。特別展のポスターを見るたびに胸が躍り、展示室で琴子はいつまでもガラスケースの前に張り付いていた。
幼稚園の年中組のとき、琴子の人生を変える出会いがあった。
遮光器土偶である。
まん丸で大きな目玉、ぽってりとした体型。琴子にはたまらなく愛らしく見えた。
「かわいい・・・!」
家に帰ると、琴子は夢中で粘土をこねた。ようやく完成した手のひらサイズの遮光器土偶を見て、満面の笑顔を浮かべる。
「ママ、見て!」
「まあ、上手にできたのね。」
母の褒め言葉に、琴子の心は弾んだ。それから何度か遮光器土偶を粘土で作った。
小学1年生までは特別変わりはなかった。
二年生になった春、彼女は粘土で作った遮光器土偶をキーホルダーにした。小さな土偶は琴子のランドセルで揺れた。
「うわ、何それ!気持ちわるー!」
甲高い声が教室に響いた。
「ほんとだ、なにあれ〜」
「きもちわる〜い」
笑い声が教室に広がる。琴子は自分の上靴を見つめた。胸の奥がきゅうっと締めつけられる。そんな中、一人の女の子が近づいてきた。
「これは何?」
からかうでもなく、ただ純粋に尋ねる声。
「遮光器土偶」
その日から、琴子は「どぐう」と呼ばれるようになった。
次の日、琴子はそっと土偶をランドセルから外した。
(ごめんね。あなたがわらわれるのは、かなしいんだ)
「行ってきます」
そう声をかけて琴子は小学校へ向かい、家に帰ってくると 「ただいま」 と声をかけた。琴子はその後約5年間、どぐうと呼ばれ続けた。でも不思議と、それほど傷つかなかった。ただ、自分の大切な存在を笑われたのが悲しかった。
「あれ、はずしちゃったの?かわいかったのに」
一人だけ、あの日これは何?と声をかけてくれた女の子だけは、気にかけてくれた。
「しゃこうきどぐう、また見たかったなぁ」
とにっこりと笑った。からかう色は一つもない。琴子の胸はじんわりと温かくなった。
休日になると、琴子は清園寺家の敷地内にある道場へ向かった。父との稽古の時間である。
「いいか琴子。清心流の基本は型だ。ただの突きや蹴りではない。」
小さな手足が空気を震わす。小さな体は道場の中で休みなく動き続けた。
ある夕、母が戸の隙間から修行の様子をのぞいてた。
「はっ!」
琴子は右足を一歩踏み込み、掌を払うように突き出した。空気が切り裂かれる音が畳に響く。だが、次の瞬間――
体勢を崩され、畳にごろんと転がった。
「まだ力が入っているな。清心流は押し返すのではない。」
琴子は悔しそうに頬をふくらませながら、父が差し伸べた手を握った。
「悪しきを清める武術なんだよ」
母は小さくうなずき、出かけて行った。手には小さな鈴が握られていた。
揺れるたび、澄んだ音が響き、一瞬張り詰めた空気のなかで穢れが消えていくようだった。
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