第2話 眠らせる夜



夜のオフィスは、昼間とは別の顔を見せる。

蛍光灯がひとつ、ぽつんと点いているだけで、廊下もデスクも静寂に包まれていた。

田中浩司はその中を、まるで自分の庭を歩くように軽やかに進む。


鍵付きの会議室に忍び込み、扉を確かめる。

外には誰もいない。監視カメラは死角に入れてある。

彼の手には小型の麻酔注射器が握られ、冷たい金属の感触が皮膚に伝わる。


今夜の標的は、経理の佐藤。

数字と書類にしか興味のない男。社員たちを煩わせる存在で、浩司の中では「邪魔者」のカテゴリーに入っている。


「静かに……、そして確実に」

浩司は自分に言い聞かせ、息を整える。


会議室の扉がわずかに開き、佐藤の足音が聞こえる。

「夜遅くにまだ残業か……」

男は独り言をつぶやき、デスクに向かう。

浩司は影のように近づき、注射器を構える。

一瞬の静寂。針が刺さる。


佐藤は目を大きく見開き、体を硬直させた。

そのまま椅子に崩れ落ち、静かに眠りに落ちる。

浩司は手早く彼を運び、隣の倉庫にある特製の隔離室に押し込む。

光も音も遮断された小さな空間。誰にも見つからない。誰も気づかない。


彼の行動は慎重そのものだ。

オフィスの各所に設置された監視カメラの死角を把握し、警備員の巡回時間も正確に記録してある。

まるでゲームのステージを攻略するかのように、浩司は無駄のない動きを続ける。


夜が更け、街は眠りにつく。

だが浩司は眠らない。次の計画を練り、資料を確認し、目撃者の可能性を再度検討する。

「誰も、俺を止められない」

心の中で微笑みながら、彼は現状の完璧さを確認する。


翌朝、オフィスは普段通りに動き出す。

佐藤の不在に、同僚たちは気づくが、彼の机には「急用で外出中」のメモが置かれているだけ。

浩司は無表情でパソコンを操作しながら、頭の中で次の標的をシミュレーションする。


昼休み、社員たちはカフェテリアで談笑している。

浩司はその群れを通り過ぎ、誰も目を向けない陰の通路を歩く。

その視線の先には、次の獲物の影。

誰も気づかない、しかし確実に計画は進行している。


夜、オフィスに再び戻る浩司。

彼の手には新たな道具が握られている。

小型のスナイパーライフル。

透明化する薬剤も準備されており、まるでこの世界から存在を消すかのような装備だ。


「次は……」

彼は独り言をつぶやく。

その声には焦りも恐怖もない。ただ、冷静な計算だけがある。

このオフィスの秩序を、俺の手で作り変える――

それだけが、今の彼にとっての真実だった。


窓の外、夜風が吹き、街灯の明かりが揺れる。

浩司の影は長く伸び、壁に溶けるように広がる。

誰も気づかない。誰も近づけない。

しかし、この静寂の中で、彼の計画は着実に進んでいるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る