第10話

店の後片付けを終え、空っぽになったお皿を洗いながら、私はリラと顔を見合わせて笑った。信じられないような一日だった。私の作ったお菓子が、たくさんの人を笑顔にした。その事実が、じんわりとした温かい実感となって胸に広がっていく。


「本当に、すごかったわね、アマラ。あなたのお店、開店初日から街で一番の評判よ」


リラが、洗い終わったお皿をきれいな布で拭きながら言った。彼女の横顔は、夕日に照らされてきらきらと輝いている。


「うん……。リラの舞のおかげよ。あなたの舞がなかったら、あんなにたくさんの人は来てくれなかったわ」


「うふふ、それはどうかしら。みんな、あなたの作るお菓子の甘くて優しい香りに引き寄せられてきたのよ。私は、ほんの少しだけ、そのお手伝いをしただけ」


そんな風に言い合えることが、とても幸せだった。一人では、決してここまで来ることはできなかった。パワンプトラ様が作ってくれた立派な屋台も、ラージューさんが譲ってくれた最高のスパイスも、ヴァーニ様が授けてくれた知恵も、そして何より、いつも隣で支えてくれるリラの存在も。その全てが合わさって、今日という奇跡のような一日が生まれたのだ。


「明日からも、頑張らないとね。パワンプトラ様たち消防団の皆さんの分も、ちゃんと取り置きしておかなくちゃ」


「そうね。きっと、朝一番でいらっしゃるわよ」


私たちは笑い合った。疲れは感じなかった。むしろ、明日への期待で、心は軽やかだった。家に帰り、ヴァーニ様からいただいた古い本を改めて開いてみる。そこには、バルフィ以外にも、見たこともないような美しいお菓子の作り方が、優しい言葉で記されていた。


「これも、作ってみたいな。きっと、みんな喜んでくれるわ」


新しいお菓子への創作意欲が、次から次へと湧き上がってくる。菓子職人として、これほど幸せなことはない。


翌朝、私たちは昨日よりもさらに早く目を覚まし、台所に立った。昨日のお客さんたちの笑顔を思い浮かべながら、私は心を込めて生地をこね、スパイスを調合する。昨日よりもっと美味しくなあれ、もっとたくさんの人が幸せになれますように。そんな祈りを込めながら。


ラドゥとバルフィ。そして今日は、新しくジャレビにも挑戦してみることにした。生地を発酵させ、熱したギーの中に、くるくると円を描くように絞り出していく。きつね色に揚がった生地を、サフランとカルダモンで香り付けした甘いシロップに浸す。出来上がったジャレビは、まるで黄金色のレース編みのようだった。


「まあ、きれい……。食べるのがもったいないくらいだわ」


リラが、感嘆の声を上げた。


お菓子を乗せたお盆を運び、市場の屋台に着くと、私たちの予想通り、すでにパワンプトラ様と消防団のたくましい男たちが、腕を組んで待ち構えていた。


「おお、来たかアマラ! 約束通り、俺たちの分のラドゥは残してあるんだろうな!」


その目は真剣そのものだった。


「はい、もちろんです、パワンプトラ様。皆様の分、ちゃんとご用意しております」


私がそう言って、葉っぱに包んだラドゥを手渡すと、パワンプトラ様は子供のようにぱっと顔を輝かせた。


「おお、これだこれだ! この輝きだよ!」


彼は包みを開けると、仲間たちに一つずつラドゥを配った。屈強な男たちが、小さなラドゥを大事そうにつまみ、一斉に口に放り込む。


次の瞬間、広場にいた全員の体が、金色のオーラに包まれた。


「うおおおおっ!」「力がみなぎる!」「昨日一日分の疲れが吹き飛んだぜ!」


消防団の男たちの雄叫びが、朝の市場に響き渡る。そのただならぬ様子に、周りの店主たちが何事かと集まってきた。


「アマラ、お前の菓子はやっぱりすげえな! これを食えば、どんな火事も一瞬で消せそうだぜ! ガハハハ!」


パワンプトラ様は豪快に笑うと、私の頭をわしわしと撫でた。


「ありがとうございます。皆さんのお口に合ったようで、よかったです」


「おう! これからも毎日買いに来るからな! デヴァプラの平和のためにも、頼んだぜ!」


パワンプトラ様たちの威勢のいい声が、最高の宣伝になったようだった。彼らが去った後、屋台の前にはあっという間に昨日以上の長い列ができてしまった。


「消防団の人たちが、あんなに元気になるお菓子ですって?」

「私も一ついただこうかしら。なんだか、ご利益がありそうだわ」

「そのオレンジ色の、くるくるしたお菓子は何だい?」


新しいジャレビも大人気だった。カリカリとした食感と、じゅわっと染み出す甘いシロップが、子供からお年寄りまで、みんなを虜にした。


「おいしい! こんなお菓子、初めて食べた!」

「甘いのに、後味がさっぱりしている。スパイスが効いているからかねえ」


お客さんたちの喜ぶ顔を見ていると、私の心も温かい幸福感で満たされる。リラと二人、息の合った連携で、次々とお菓子を包んで手渡していく。昨日よりもずっと手際が良くなっている自分に気づいた。


「アマラ、すごいわ。もうすっかり、お店の女主人ね」


リラが、感心したように言った。


「あなたがお手伝いしてくれるおかげよ」


そんな会話を交わしながら、私たちは夢中で働いた。デヴァプラの日常に、私たちの小さなお店が、少しずつ溶け込んでいく。そのことが、たまらなく嬉しかった。


お昼を過ぎ、客足が少しだけ落ち着いた頃だった。それまで賑やかだった市場の空気が、ふと変わった。ざわめきが波のように引いていき、代わりに、静かで、どこか荘厳な空気が広場を支配し始めたのだ。


「なんだろう……?」


人々が、市場の入り口の方を固唾を飲んで見守っている。その視線の先から、ゆっくりと、しかし確かな足取りで、一つの影が近づいてくる。


その姿が見えた瞬間、私は息を飲む。


大きな象の頭。賢明で、慈愛に満ちた瞳。四本の腕を持ち、その体は神々しい光に包まれている。間違いない。障害を取り除き、知恵と富を司る、菓子作りの神様。私がずっと、心の底から尊敬し、憧れていたお方。


「ガジャラージ様……」


私の口から、か細い声が漏れた。


市場の人々が、さっと道を開け、その場で深く頭を垂れる。その間を、ガジャラージ神は悠然と歩いてくる。その一歩一歩に、大地がかすかに揺れるようだった。そして、彼は数ある店の中から、まっすぐに、私の『アムリタ・ミターイー』の屋台を目指して、歩みを進めてきた。


私の心臓が、早鐘のように鳴り響く。頭が真っ白になり、どうしていいかわからなくなった。隣にいるリラが、そっと私の手を握ってくれる。その温かさで、私はかろうじて自分を保っていた。


ついに、ガジャラージ様が、屋台の目の前で足を止めた。見上げるほど大きく、その存在感は圧倒的だった。


「お前が、アマラか」


その声は、深く、穏やかで、大地そのものが語りかけてくるようだった。


「は、はい……!」


私は、なんとかそれだけを答えるのが精一杯だった。


「面白い噂を耳にしてな。この市場に、食べた者の心に、温かい光を灯すという、不思議な菓子屋ができたと」


ガジャラージ様はそう言うと、その賢そうな瞳で、屋台に並べられたお菓子をじっと見つめた。


「ほう。これは、見事な輝きじゃな。作り手の、純粋な心が映っておるようだ」


彼は、黄金色に輝くラドゥを、その長い鼻で器用に指し示した。


「わしに、そのラドゥを一つ、もらえぬか」


その言葉は、私にとって、世界で一番嬉しい言葉だった。ディワリで最高のラドゥを捧げる。それが、私の最初の夢だった。こんなにも早く、その機会が訪れるなんて。


「は、はい! もちろんです! どうぞ、召し上がってください!」


私は震える手で、大皿の中から、ひときわ美しく輝いているラドゥを一つ選び出した。これは、今朝、一番最初に作ったラドゥだった。ガジャラージ様が、いつかこの店に来てくださるかもしれない。そんな淡い期待を込めて、特別な祈りと共に丸めた一粒だった。


私はそのラドゥを、蓮の葉の形をした一番きれいなお皿に乗せ、両手で、そっとガジャラージ様の前に差し出した。私の菓子職人としての、全ての想いを込めて。


市場の誰もが、息を殺して、その光景を見守っている。ガジャラージ様は、私の差し出したラドゥを、静かに見つめている。彼の慈愛に満ちた瞳が、私に何を語りかけてくるのか。私はただ、その時を待っていた。

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