第6話
リラは、私の差し出したラドゥを、まるで壊れやすい宝物を受け取るかのように、そっと両手で包み込んだ。彼女の指先がラドゥに触れた瞬間、その黄金色の光が、ふわりと一層強く輝いたように見えた。台所の中は、甘く香ばしい香りと、言葉にならないほどの幸福な空気で満たされている。私の心臓は、期待と少しの不安で、どきどきと高鳴っていた。
「アマラ……。ありがとう。いただくわね」
リラは私に優しく微笑みかけると、そのラドゥをゆっくりと口元へ運んだ。小さな一口。彼女の唇がラドゥに触れた瞬間、彼女の大きな瞳が、驚きに見開かれた。そして、ゆっくりと目を閉じ、その味わいを全身で感じているかのように、静止した。
部屋の静寂を破ったのは、彼女の頬を伝う一筋の涙だった。
「リラ……?」
私は心配になって、彼女の名前を呼んだ。もしかして、美味しくなかったのだろうか。私の想いが、余計なものになってしまったのだろうか。不安が胸をよぎる。
しかし、次に目を開けた彼女の表情は、私のそんな心配をすべて吹き飛ばすほど、穏やかで、そしてこの上なく幸せそうな微笑みに満ちていた。
「美味しい……。ええ、とても美味しいわ。でも、これはただ美味しいだけじゃない……」
彼女は涙を拭いもせず、うっとりとした表情で続けた。
「なんだか、心が温かい光で満たされていくよう。あなたの優しい声が聞こえてくるみたい。あなたが、私の幸せを願ってくれているのが、痛いほど伝わってくるわ。これは……お菓子のかたちをした、あなたの心そのものね」
その言葉に、今度は私の目から涙が溢れそうになった。よかった。伝わったんだ。私の気持ちが、ちゃんとこのラドゥに乗って、リラの心に届いたんだ。
「ありがとう、リラ。そう言ってもらえて、本当に嬉しい」
「お礼を言うのは、私のほうよ。こんなに素晴らしい贈り物をくれて。アマラ、あなたはついに見つけたのね。あなたにしか作れない、最高のラドゥを」
リラは残りのラドゥを、一口一口、大切そうに味わいながら食べた。彼女が食べ終える頃には、台所を照らしていたラドゥの光は、少し落ち着きを取り戻していた。まるで、その役目を果たしたとでも言うように。
「このラドゥ、パワンプトラ様やヴァーニ様にも、ぜひ食べていただきたいわ」
リラの言葉に、私ははっとした。そうだ。このラドゥは、私を支えてくれた大切な人たちのために作ったものだ。感謝の気持ちは、ちゃんと言葉と形で伝えなければ。
「うん、そうね! すぐに届けに行きましょう。パワンプトラ様は、今頃どこにいらっしゃるかしら」
「そうね、いつもの巡回の時間だから、中央市場のあたりを回っているかもしれないわ。もしかしたら、子供たちに稽古をつけているかも」
「よし、じゃあ行ってみましょう!」
私は銀の大皿から、ひときわ力強い光を放っているように見えるラドゥと、静かで知的な輝きを持つラドゥを二つ選び、丁寧に葉っぱで包んだ。残りのラドゥは、また別の人たちのために取っておこう。
私たちは連れ立って家を出た。夕暮れ時のデヴァプラは、家路につく人々の活気で溢れていた。誰もが穏やかな顔をしている。この美しい街の平和が、パワンプトラ様のような方々によって守られているのだと、改めて感謝の気持ちが湧いてきた。
中央市場は、昼間の喧騒が少し落ち着き、店じまいの準備を始める人々の姿がちらほらと見られた。私たちはパワンプトラ様の姿を探して、市場をゆっくりと歩く。
「あ、あそこにいらっしゃるわ!」
リラが指さしたのは、市場の広場だった。そこでは、パワンプトラ様が、十人ほどの子供たちを集めて、棒術の稽古をつけていた。彼は消防団と警備隊の隊長であると同時に、子供たちの良き師でもあるのだ。
「それっ! そこだ! 脇が甘いぞ!」
パワンプトラ様の雷のような声が響き渡る。子供たちは真剣な顔で、しかし楽しそうに、木の棒を振るっていた。その光景はとても微笑ましく、私たちはしばらくその様子を眺めていた。
稽古が一区切りついたところで、私たちは彼に近づいた。
「パワンプトラ様」
私が声をかけると、彼は汗を拭いながら、にっと歯を見せて笑った。
「おお、アマラとリラじゃないか! どうしたんだ、こんな時間に」
「あの、パワンプトラ様にお渡ししたいものがあって」
私は、葉っぱに包んだラドゥを彼に差し出した。彼は不思議そうな顔をしながらも、それを受け取ってくれた。
「ほう? 俺にか? なんだろうな」
パワンプトラ様が包みを開けると、黄金色に輝くラドゥが姿を現した。その瞬間、彼の周りにいた子供たちから「わあ、きれい!」という歓声が上がる。
「こ、これは……。ただのラドゥじゃねえな。なんだか、すげえ力がみなぎってるみてえだ」
彼は目を丸くして、ラドゥをまじまじと見つめている。その力強い指で、ラドゥを一つ、慎重につまみ上げた。
「パワンプトラ様への、日頃の感謝の気持ちです。どうぞ、召し上がってください」
私の言葉に、彼は少し照れたように頭をかいた。
「そ、そうか。そいつは、ありがてえな」
そして、彼は大きな口を開けて、ラドゥを一口で放り込んだ。もぐもぐと、力強く咀嚼する。その間、彼の目は大きく見開かれたまま、一点に固定されていた。
次の瞬間、彼の全身から、ぶわりと金色のオーラのようなものが立ち上った。
「うおおおおおおおおっ!」
パワンプトラ様は、天を衝くような雄叫びを上げた。その声は市場中に響き渡り、周りにいた人々が何事かとこちらを振り返る。子供たちは、目をぱちくりさせて、自分たちの師を見上げていた。
「こ、こいつは……すげえ! なんて力だ! 体の奥から、力がみなぎってくる! 疲れが全部吹き飛んじまった!」
彼は興奮した様子で、自分の両腕の力こぶを何度も確かめている。その反応は、リラの時とは全く違ったけれど、ラドゥに込められた想いが、彼らしい形で届いたのだとわかって、私は嬉しくなった。
「アマラ! お前、とんでもねえもんを作ったな! こいつはただの菓子じゃねえ! まるで、神様からの祝福そのものだ!」
パワンプト様は、私の両肩をがっしりと掴んで、ぶんぶんと揺さぶった。
「あ、ありがとうございます……!」
「礼を言うのはこっちのほうだ! こんなすげえもんを食わせてもらってよ。お前の感謝の気持ち、確かに受け取ったぜ! これで明日からも、このデヴァプラの平和は俺が守ってやる!」
彼はそう言って、ガハハと豪快に笑った。その笑顔は、いつにも増して力強く、輝いて見えた。周りで見ていた子供たちも、つられてきゃっきゃと笑い出す。市場の広場は、一瞬にして、温かい笑い声に包まれた。
パワンプトラ様の飾り気のない、まっすぐな喜びの表現は、私の心に新たな自信を与えてくれた。私の作ったお菓子が、人をこんなにも元気に、笑顔にできるんだ。菓子職人として、これ以上の喜びはない。
「パワンプトラ様、私たち、これからヴァーニ様のところにも届けに行こうと思っているんです」
「おお、ヴァーニ様にか! それはいい! あのお方は、俺みてえに力で感じるんじゃなくて、もっと別の、深いところでこの菓子のすごさを理解してくださるだろうよ。きっと、喜ばれるぜ!」
私たちは、パワンプトラ様と子供たちに別れを告げ、再び歩き出した。彼の力強い励ましを背に受けて、私の足取りはさらに軽くなっていた。残るは、ヴァーニ様。知恵と芸術を司る女神は、このラドゥを食べて、一体どんな反応をしてくれるのだろうか。期待に胸を膨らませながら、私たちは中央図書館へと向かった。
太陽は完全に沈み、デヴァプラの街には夜の帳が下り始めていた。家々の窓からはディヤの光がこぼれ、通りを優しく照らしている。その光の一つ一つに、人々の暮らしと、ささやかな幸せが宿っている。私の作るお菓子も、この街を照らす、小さな光の一つになれたらいいな。そんなことを思いながら、私はリラと共に、静寂に包まれた図書館への道を急いだ。
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