2話「この世は恨みだらけ」

学校の屋上で囲むように設置されているフェンスを掴み、どうにか立つ。

足はとうの昔に使えなくなってしまった。

なのに移動する為の車椅子はさっき屋上へのドアの下に棄ててしまった。

腕はずっと震えてロクに動かなくなった。

なのに未だに手を動かす。

……力を抜き、その場にぺとりと座り込む。

(…………私は……)

ここから見える、中央に植えられた透き通った蒼色の巨木を見る。

あれは、なんだったか。

確か、記録樹と呼ばれていたか。

でも、まぁいい。もうその事を思い出す必要は無いだろうから。



フェンスの形を指1本で歪ませ穴を開け、私はそれに両足を入れて寝転がる。

そして身体をゆっくりと空中の方へと進ませ、グラウンドへと向かって足から落っこちた。




私の肉体は空から直立に落ち、私そのものの存在が風で包みこまれる。

時間がのらりくらりと進んでゆく。残念ながら私に思い出せるような走馬灯というものは無い。私は記憶や存在を犠牲にする程の事をした。

長い髪が視界を覆い隠した。……私は落ちる前に瞼を下ろしたので髪が短くてもそも見えなかっただろうが。

私に入る墓は無い。名前も存在も記憶も棄ててしまった。唯一遺っているのは私の性別だけ。

私にきょうだいが、親が、家族がいたかどうかすら思い出せない。家があるのかさえ分からない。

私は誰だったのだろうか。結局は何をしたかったのだろうか。

私は何をしたのだろうか。

私は夢の中にいるのだろうか。私は現実を歩いているのだろうか。

私は何を見ているのだろうか。私には身体があったのだろうか。

私は…………私は………………わたしは……………………





悲鳴、焦り。

悲鳴、放送。

悲鳴、苦しみ。

悲鳴、悲鳴、悲鳴。

あの人は誰だったのだろうか。結局名前も聞けなかった。

だというのに、次の人生へと歩んだらしかった。

あの人の話を昔に少し聞いた事があった気がした。でも、どんな内容だったかが思い出せない。

俺は、あの人の事を知っていたのだろうか。この学校の皆も、あの人の事を知っていたのだろうか。

数時間前に見たばかりだった筈の容姿すら思い出せない人だったらしい。

俺はその事実だけを覚えておこうと、近くにあった貼り紙にいつも胸ポケットに入れているペンで小さく書いてやった。

俺達が忘れてしまったとしても、この貼り紙は覚えている事だろう。





どこかからの衝撃を受けたのか、半壊した車椅子に座った人物が1人。グラウンドの中心で何かを待っているかのようにして無理矢理その場へと置かれていた。

空からその人物に何かをしたいのか赤い縄が降りてきた。

その縄はその人物の首へと絡みつき、車椅子に座った状態を固定したいのか肉体と車椅子を縛り付けた。

そしてそのまま引き上げられ、その姿は消えてしまった。

空に埋められていた種は根を張り、逆さになって地上へと伸びんとし始めている。







俺は、廊下の貼り紙の1つの端に小さな落書きを見つけた。

とてもぐちゃぐちゃとしていて何を書きたかったのか分からない。俺の筆圧のように見えるから、きっと適当に何か書いてしまったのだろう。

だから、いつも胸ポケットに入れているペンを使ってその落書きを上から塗り潰した。

その貼り紙の端に黒い丸が描かれた。

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