「倉庫」を考える

伽墨

ものを「貯める」ことの重要性について

 アメリカ軍がなぜ史上最強と呼ばれるのか。その答えは兵器の性能でも、兵士の勇敢さでもあるが、もっと大事な点がある。それは、勝敗を決めるのは「補給線」であるという事実だ。どんな軍隊も食料と弾薬が尽きれば数日で瓦解する。つまりアメリカ軍は「世界最強の倉庫システム」を背後に持っているからこそ、世界最強なのだ。

 そして現代において、その「倉庫力」を徹底的に磨き上げているのがAmazonである。米国内で物流拠点を八十カ所以上新設するために一五〇億ドルを投資し、さらに地方配送網整備に四〇億ドル超を注ぎ込む。目ん玉が飛び出るような額だが、その投資先は広告でも派手なショールームでもない。ただひたすら、倉庫である。Amazonは倉庫こそが資本主義の心臓であることを知っている。


 倉庫は決して遠い存在ではない。私たちの生活の真ん中にも倉庫はある。最も身近な倉庫は冷蔵庫だろう。今日食べきれなかった残り物や、明日の弁当の材料を腐らせずに未来へ託す。ときには賞味期限を過ぎた納豆を「未来の私」に判断を丸投げする場にもなる。冷蔵庫は小さな高床式倉庫であり、家庭に埋め込まれた文明の装置なのだ。

 本棚もまた倉庫である。私の家の本棚には「在庫」となった未読本がぎっしりと並び、読む日を待ちながら、同居人からの「いい加減整理しろ」「もう買うな」という圧力を蓄えている。未来を信じて保管したつもりが、現実には圧迫感に変わっている──それでも本棚は「未来に読むかもしれない」という希望の倉庫である。


 人類史を振り返れば、倉庫は常に文明の転換点に現れてきた。農耕が始まると、余剰の穀物をどう保つかという課題が生まれた。腐らせず、盗まれず、ネズミに食われないようにするために高床式倉庫が考案される。単なる物置きが村を支えるインフラとなり、やがて都市を可能にした。倉庫こそが定住を生み、文明を育んだのである。

 古代エジプトの巨大な穀倉は、ナイルの氾濫期と不作の年をつなぐタイムマシンだった。ローマ帝国は穀物の物流を確保することで百万人都市を維持し、逆に倉庫と輸送路が崩れると帝国そのものも崩壊した。中世ヨーロッパでは港町に倉庫が立ち並び、交易の中心は市壁でも大聖堂でもなく、実際には商品を蓄える倉庫だった。

 やがて産業革命は鉄道とともに巨大倉庫を生み出し、そこに商品と労働力が流れ込んだ。倉庫は「資本」の象徴となり、近代経済の影の主役となった。20世紀に自動化倉庫が登場し、21世紀にはクラウドサーバが生まれる。保存するものが穀物からデータへと変わっただけで、倉庫の本質は何も変わらない。未来のために必要なものを、腐らせずに保管する──それが倉庫である。


 もちろん、文明のすべてが倉庫でできているわけではない。芸術や宗教や政治といった営みは倉庫の中から直接生まれるわけではない。しかし、それらを支える基盤として倉庫は沈黙のうちに存在してきた。

 倉庫とは、未来への約束である。今日の余剰を明日へつなぎ、災厄の年を越えるために備え、子孫のために記憶を残す。その仕組みがなければ人類は一歩も未来へ進めない。倉庫は時間を延長する装置であり、現在を未来に接続するインフラなのだ。

 だからこそ、私たちは倉庫に無関心でいてはならない。冷蔵庫の中の食材も、都市を囲む巨大物流センターも、インターネットの奥底に広がるデータセンターも──すべては同じ役割を担っている。倉庫は文明の一部であり、倉庫を忘れることは文明の足元を忘れることに等しい。


 人類は倉庫を持つ動物である。倉庫を持つからこそ未来を想い、計画を立て、文明を築くことができた。倉庫は「見えない文明の臓器」であり、そこにこそ人間が人間であることの証が宿っているのだ。

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「倉庫」を考える 伽墨 @omoitsukiwokakuyo

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