第三章
八月六日。ついに予見の日、八月一○日は 四日後に迫ってきていた。
この日もいつかの日と同じように、午前は図書館、午後は委員会のスケジュールだった。そして、変化は起きた。
「視えまえん」
「はっ?」
すっかり慣れた空き教室に、すっとんきょうな裏声が鳴り響いた。
「視えないって何、何でさ」
「何でも何もありません。真っ暗で視れないんです。まるでテレビの砂嵐ー…」
そこまで言ってユウトは、はっ、と口をつぐんだ。そうしてみるみるうちに、眼前の顔から血の気が引いていく。まずい、と準備していたオレンジジュースのふたを開け差し出す。が、ーその刹那。
「あ、ああぁああ、あぁ」とユウトは呻き、青白い顔のまま膝から崩れた。
「お、おいユウト!?どうした!」
肩を揺するがびくびくと震える肩は止まらず眼球は焦点を合わせていない。保健室か、いやこれは手に負えない。迷わず携帯を開き、一一九を押す。繋がった電話に焦りながらも確実に情報を与え、廊下で練習していた吹奏楽部に先生を呼びに行かせた。
ユウトの母親が病院にやって来てからも小一時間付き添ったものの、結局ユウトの意識は戻ってこなかった。
八月六日、夜九時半。柔らかなベッドの上で僕は目を覚ました。そうだ、先輩の未来を視ようとして、それで、ーそれで。先輩の未来は視えなかった。テレビみたいな砂嵐しか。
あれはあの時と「同じ未来」だった。
忘れもしない小五の冬。未来視の能力を自覚しはじめていたが、両親に言っても「少し勘がキツいだけだ」としか言われなかった。だから自然と人には隠していた。
当時僕はませた子供で、クラスメートの蛭間果夏ーカナと付き合っていた。大人しくて本が大好きで、優しい子だった。お互いの当番掃除が終わるまで待って一緒に帰った。毎日、手を繋いで、一緒に帰った。
当然、その時も彼女の未来は視えていた。未来を黙って視るのには、スカートの中を覗くような背徳感があったが、手を繋いでるだけだ、と割りきった。自転車で塾に行ったり、家族で回転寿司を食べたり、そんな何でもない姿ばかり。それでも垣間見える彼女の未来は幸せに満ちていた。
しかしある日の帰り。視えたのはただの砂嵐だった。ちょうど風邪が流行っていて具合がよくなかったので、そういう日もあるかと思いスルーした。が、それが長く続き、悲劇は起こった。カナの未来が視えなくなって二週間が経った、一二月一三日。この日はカナの帰りが委員会で遅くなったので、諦めて一人で帰った。いつもより寒い帰り道をとぼとぼ歩いた。その夜は、救急車のサイレンがいやに鳴り響いていた。
次の日、カナは学校に来なかった。次の日もその次の日も、やっぱりカナは学校に来なかった。
以来自分の能力をむやみに使おう、という気はいっさいなくなった。未来を視たことはカナの死に関係なかったのだろうが、その考え自体がトリガーだった気がして嫌気がさしたからだ。他人との関わりも最小限にとどめ、だんだんと人間関係から遠のいていった。
しかし、そんな思いとは裏腹に未来視の精度は上がっていた。触れなくても、なんとなく未来の良し悪しがわかる程になってしまっていた。何かラッキーがあるかも、少し怪我するかも、とかその程度だが。
そしてリツ先輩に出会った。一瞬で悟った、これまでにない不幸な未来の予感。動揺でうまく話せなかったが、なんとしても今日視なければと思って手を触れた。もしカナと同じことが、優しく話しかけてくれた先輩に起こったら。そう思ったからだ。そしてその未来は、先輩自身の死より大きな苦痛を先輩に与えるものだった。
先輩の覚悟に感化され、会うたび先輩の未来を視た。もしかしたら、という一縷の望みとカナへの贖罪を、空越凛月と三篠陽彩に懸けたのだ。
しかし今日の事が起こった。二週間後の八月二○日、カナと同じように、リツ先輩は死ぬ。おそらくはヒイロさんの後を追って。しかしどう話せばいい。今度は先輩が死にます、なんて言えるか。それに、僕にはもうリツ先輩の未来は視れない。それは僕自身の弱さのせいだ。
また僕は、大事な人を失うんだろうか。
八月七日。ヒイロはいつも通り元気に稽古していた。死がもう三日後に迫っているとも露知らず笑うヒイロと稽古をすると、今さら未来視が冗談なように思えてきた。
今日は委員の仕事がないのでユウトに会うことはできないが、携帯でユウトから連絡があったので大丈夫ではあるらしい。見舞いは断られた。倒れた後では人と会うのも辛いのかもしれない。しかし、あの日のユウトの取り乱し様は異常だった。いったい俺の未来に何を視たのだろうか。三日後までには知りたいところだが難しいかもしれない、というか無理そうだ。ユウトの未来視という保険はあてにできなくなってしまった。彼には悪いが、まずはヒイロを守り抜くのが最優先だ。
稽古明けに思案を巡らしていると、女子部室の方から盛り上がる声が聞こえた。他の男子と顔を見合わせていると「ねー男子ー」と声が聞こえた。ヒイロの声だ。どうした、とドアを開けるとヒイロと数人の後輩が立っていた。
「今週末にさあ、花火大会があるじゃん、港のやつ。今あれに部活のみんなで行こって話になってるんだけど、よかったら男子もどうかな」
週末─つまりは八月十日。予見の日。その日の晩、ヒイロに不幸が降り注ぐ。だから彼女には家でじっとしていてほしい、が。そんな思いも知らず、眼前の後輩たちは行きましょうよ、絶対楽しいですよ、と口々に言う。何々、と寄ってきた男子もそれに加勢する。─でも。
「なんかその日は天気悪そうだしやめといた方がいいんじゃないか」
我ながらなんという馬鹿げた嘘だ、とは思う。あとあとバレるだろうが今はこの盛り上がりを抑え、あわよくば止めるのが先だ。
「でもせっかく夏休みだしさあ…」
「いやそうだけどさ」
そこまで言って言葉がつまる。だけど、ーいや、むしろその日の晩に一緒にいれるなら都合がいいのか。彼女を側で見ていられれば、危険からヒイロを守れるかもしれない。
「そうだけど?」ヒイロが怪訝な顔をする。
「─いや、やっぱり一緒に行こう。みんなで」
わあい、と場が再び盛り返した。と、天気を調べていた後輩が勝ち誇りながら晴れ予報を見せつけてきた。やっぱりバレたか。だが、もうどうでもいい。嬉しそうにはにかむヒイロを見られた、それだけで十分だ。
どうせ神は三日後にヒイロを殺そうとするのだ。─だったら。俺がやり返そう。太陽のために月は神を殺すのだ。可愛い笑顔を見つめ決意を改めた。
「…ねえなんか顔怖いよ?」
「うそ俺どんな顔してた」
こーんな、とヒイロが目尻を指で持ち上げると、そっくりー、と後輩たちが湧いた。幸せな瞬間。
八月八日。決戦日前最後の稽古だったので、いつになくやる気が湧いた。しかし、それ以上にヒイロにやる気があり、気勢発声ともに異様に強い剣道であった。本人が言うには「だんだんこの間の試合が悔しくなってきた」らしい。敗北自体は彼女のせいではないし、むしろヒイロは全く申し分ないスコアだったのだが、俺の知るヒイロという人はそういう人だ。
この日の帰り、ユウトから電話があった。今朝退院でき、明日会って話すべきことがある、ということだった。未来を視ることが負担となったのに間違いはないので、彼に無理はさせられない。かといって、この切羽詰まった状況である。ヒイロのために必要な情報があるのなら聞かない手はない。少し考えたのち「わかった」とだけ言い、携帯を閉じた。
八月九日。ユウトと学校近くの喫茶店にて待ち合わせた。
「この間はすみませんでした、迷惑かけちゃって」
「いや全然、迷惑とか。俺が視てほしくてやってもらってることだから、こっちこそすまん」
「いえ、僕もやりたくてやってますから。それで、昨日言ってたことなんですけど」
さて、鬼が出るか蛇が出るか。固唾を飲んだ。ユウトも覚悟を決めたような表情をみせた。
「先輩は、ヒイロさんを止められないと、死にます。この間視た未来は、そのことでした」
─なんだ、そんなことか。たいして驚かなかった自分にむしろ驚いた。顔色ひとつ変えないを怪訝に思ったか、ユウトは「驚かないんですか」と尋ねた。
「どうやらそうみたい。俺自身もビックリしたけどさ、ヒイロ助けるためなら自分の命とか全然惜しくないんだ」
すると今度はユウトが、泣きそうな顔をした。そして顔をずいっと近づけ、こう言った。
「先輩は、絶対死んじゃいけません。ヒイロさんも当然。絶対明日、二人とも生きたまま日を越してください。絶対です。約束です。いいですか」
そんな、これまでにない剣幕に迫られて俺は応えた。
「約束する。俺が死んでほしくないヒイロ、ユウトが死んでほしくない俺。どっちも生きて帰る」
そう言って、互いの小指を絡ませた。
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