幽州・徐州・河西

幽州

 幽州ゆうしゅう


 建武五年春正月、劉秀りゅうしゅう車駕しゃがけい州を撫循ぶじゅんして洛陽らくようかえる。

 二月、劉秀は大赦たいしゃする。州の捕虜ほりょ将軍馬武ばぶ、偏将軍王覇おうは、囲んでいた垂恵すいけいようやく降す。劉秀、太中たちゅう大夫たいふをして節を持たせ、王覇を討虜とうりょ将軍と為す。驃騎ひょうき大将軍杜茂とぼ、馬武を率いて再び佼彊こうきょうを迎えた西防さいぼうを攻める。

 この月、劉秀、また郡に御幸みゆきする。この度も漁陽ぎょよう彭寵ほうちょううかがいて将兵を引き連れる。ぎょうにていん後裔こうえい孔安こうあんを封じて殷紹嘉公いんしょうかこうと為す。

 この親征に於いて劉秀にも予想外のことが起きた。彭寵が討たれたと知らせが入ったのである。劉秀、不審に思いて、征虜せいりょ将軍祭遵さいじゅんの遣った伝者に事を訊いてもますます奇妙である。伝え聞いた所によると、彭寵の妻、夢にしばしばうなされる。丸裸な者が頭巾のみ被り、城を越えて、剃髪ていはつの刑徒が、これを押し進める、それを夢見たと言い、或いは怪異を見聞きする。彭寵の堂にひきがえるの鳴き声がし、囲炉裏の下に聞こえれば、彭寵これを掘らさせるが何も出なかった。彭寵、卜筮ぼくぜい望気ぼうきの占い師に問うも、みな言うに、兵は当に中より起るべし。彭寵、これを聞いて従兄弟の子后しこう蘭卿らんけいが漢の人質と為って洛陽に行き、皇帝の使者として還ってきたのを疑う。故に子后蘭卿に兵を引かせて城外に居住させ、城内に入れて親しむこと無し。このように周囲に気を配る彭寵だったが、数日前の朝、私邸のかんぬきが開かぬ故、官属が壁を越えて私邸に入り、彭寵とその妻の亡骸なきがらを見つけた。首が無かった。仕方なく尚書しょうしょ韓立かんりつ等は彭寵の子、彭午ほうごを王とし、子后蘭卿を以て将軍と為す。国師こくし韓利かんり、彭午の首を斬り、征虜将軍祭遵に至って降る。よって祭遵が伝者をった訳である。

 劉秀、何れにしても、もはや彭寵の討伐軍は不要であると、祭遵に漁陽の平定を任せて、嘗ては漁陽郡都尉といであった中山ちゅうざん太守郭伋かくきゅうを漁陽太守にうつし、幽州ゆうしゅうぼく朱浮しゅふを呼び戻す。空いた中山太守には、郡職を楽しむ九江きゅうこう太守の鄧晨とうしんを遷す。他の将軍は南に帰す。すなわち耿弇こうえん王常おうじょう大司馬だいしば呉漢ごかんの軍に合流させる。一方、上谷じょうこく太守耿況こうきょうの功をみし、光禄こうろく大夫たいふ樊宏はんこうをして節を持たせて耿況を迎えさせ、洛陽に邸宅を与え朝請に奉じさせる。次子の復胡ふくこ将軍耿舒こうじょ牟平ぼうへい侯と為す。代わる上谷太守には楚人、哀帝の光禄大夫龔勝きょうしょうの子、龔賜きょうしを当てる。魏郡太守銚期ちょうきは四年を勤めれば、劉秀、後任には范横はんおうを充て、銚期を太中たちゅう大夫と為す。よって銚期、劉秀が洛陽に還るに随う。

 彭寵の首の謎が解けたのは、劉秀らが洛陽に着いてからである。三人の奴僕ぬぼくが彭寵の首を持って先に着いていた。劉秀、三人を個別に調べさせて漸く納得した。

 妻の異変ゆえ、周囲に気を配る彭寵だが、物忌するために独り控えの間に在れば、奴僕の子密しみつら三人、彭寵が眠りについた所をしょうに縛り、外の警護の吏に告げて曰く「大王は斎戒さいかいし、皆吏をして憩わせる」

 更に偽って彭寵の命であると、他の奴婢を捕え縛って一箇所に置く。また彭寵の命とその妻を呼ぶ。妻が部屋に入れば驚いて奴僕が反すと言う。奴僕、その妻の頭をつかみ、その頬を撃って黙らせる。彭寵、急ぎ叫んで曰く「すみやかに、そこにいる諸将軍のために旅装を調えよ」

 彭寵、奴僕に己をゆるさせようとする。ここにおいて二人は妻を引っ張り宝物を取り、一人は彭寵を見張る。彭寵、この奴僕に曰く「小僧、我の元より可愛がる所。今、子密の迫り脅す故であろう。わがいましめを解かば、まさに娘の珠を以て汝に娶らすべし。家中の財物は汝に与えん」

 この奴僕、応じてこれを解こうとするも、戸外に子密が話を聞き取るを見て遂に敢えて解かず。子密、ここにおいて、金玉衣物を収め、彭寵の所に戻ってこれを装い、馬六匹を整え、妻をして二つの絹のふくろわさせる。夜となって、彭寵の手を解いてげきを作らせる。檄成るや即座に彭寵及び妻を斬り、その首を嚢に入れ、先程の檄を持ちて城門の将に見せる。

 檄に曰く「今、子密等を遣わして子后蘭卿の所に至らせる。速やかに門を開いて出し、これを留め置くこと勿れ」

 将、彭寵の筆であれば疑うこともせずに従う。

 故に洛陽の劉秀の前に彭寵の首が届けられる。まさしくその人と首を見詰めながら劉秀、前皇帝劉玄りゅうげんの行大司馬の時、王郎おうろうでなく劉秀に附いた漁陽郡太守彭寵を大将軍と為し建忠けんちゅう侯と為したことを思い出した。彭寵は兵糧兵馬を途切れなく送り河北を統べる手助けとなった。生前は流賊を追い幽州を北上した時に会ったのを最初にして最後に、この様な対面をするとは思わなかった。劉秀、嘆息して、彭寵と妻の首を丁重に葬らせる。また、子密を不義侯として封じる。


 男は例によって独言して曰く「夢見の一つは、首だけが嚢に包まれて城を越える。それを推すのは蒼頭そうとう、すなわち奴僕、剃髪なら青い頭故というもの。もう一つは、かまどの下に蝦蟇がま、『春秋外伝』に「沈む竈にを産すれど、民畔反はんばんせず」とあり、その逆であれば民の謀反をほのめかすというもの。共に良く出来た話であるが、どこまでが真実か」

 男は内間を疑うが、首が洛陽にまで届けられたことを奇妙に思う。内間なら前線の将に首を渡せばそれで済む筈である。まして皇帝が冀州の北部に御幸するなら、それを知っていて、そこに至ってもおかしくない。やはり偶々の事件か。男は拘泥こうでいするのを止め、再び目に見える史実を追う。


 幽州から帰還した朱浮、尚書令侯覇こうははこれを弾劾だんがいする奏上を行う。奏に曰く「浮は幽州を撹乱こうらんし、彭寵の罪を捏造し、あだに将兵を疲労させ節義にしたがあたわざれば、罪まさに誅に伏すべし」

 しかるに劉秀、朱浮は反逆した訳ではない、よって労苦を忍びずと、賈復かふくを左将軍として以来、空席の執金吾しっきんごと為し、父城ふじょう侯に封じる。

 刹那に彭寵が歴史から消え失われたことで、劉秀の山東平定は歩みを速める。嘗て南陽で建威けんい大将軍耿弇が劉秀に挙げた戦略では、彭寵を漁陽に平定し、富平ふへい獲索かくさくの賊を捕え、東の方、張歩ちょうほを攻めてせいの地を平らげようと云ったが、その通りとなった。大司馬呉漢は既に青州に入り、これに耿弇・漢忠かんちゅう将軍王常が加わり、徐少じょしょうが頭目の富平、古師郎こしろうが頭目の獲索の賊を平原へいげん郡に撃つ。その戦いの中、賊は五万人を率いて夜に呉漢の営を攻め、軍中は驚き乱れるも、呉漢、陣は簡単に破れるものに非ず、敵はこちらが撹乱するを待つのみ、と堅く臥して動かず。すなわち騒ぎは収まる。そこで今度は呉漢、精鋭を発して、営を出でて突撃し、大いにその衆を破る。しかし、富平に拠る徐少、字は異卿いけいしきりに攻められても降らず。只曰く「願わくは司徒しとふく公に降らん」

 皇帝劉秀、大司徒伏湛ふくたんはかつて平原太守として吏民が信じ慕い、青州・徐州が名を知るところであれば、遣わして平原郡に至らせる。はたして徐少、即日帰順し、よって洛陽に護送された。呉漢らは余党を追って無塩ぶえんに至り、渤海ぼっかい郡に進撃して皆これを平らげる。降る者、四万余人。劉秀、耿弇にみことのりして、騎都尉きとい劉歆りゅうきん泰山たいざん太守陳俊ちんしゅんの二将軍を率いさせて張歩を討たせる。

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