第2話 できることから、一つずつ


 平原を歩き始めて、十分ほどが経った。


 距離にして、ほんの数百メートル。

 それだけで、ぼくは思った以上に疲れていることに気づく。


「……息、上がってるな」


 情けない話だけど、事実だ。

 軽い筋トレとウォーキングはしていた。

 でも、舗装された道と、草原を歩くのとでは、まるで勝手が違う。


 足元は不安定で、

 無意識のうちに余計な力を使っている。


 立ち止まり、深く息を吸う。


 声に出して、

 自分の耳に、脳に、心に言い聞かせる。


「焦るな。

 一気に進まなくていい」


 こういうときほど、無理をしない。

 若い頃には分からなかったけど、

 四十五歳になって、ようやく身についた感覚だ。


水がない、という問題


 歩きながら、ずっと喉の渇きが頭から離れない。


 水。

 生きるうえで、最優先事項だ。


 森に入れば、見つかるかもしれない。

 でも、今はできるだけ避けたい。


「……森は、まだだな」


 理由は単純だ。

 視界が悪くなる。

 逃げ場がなくなる。

 何がいるか、分からない。


 今のぼくは、

 土魔法が使えるだけの素人だ。


 石を出せる。

 飛ばせる。


 それでも、近づかれたら終わりだ。


 足元の地形を観察する。

 草の色が少し濃い場所。

 地面が、わずかに窪んでいる場所。


「……水、通ってないか?」


 しゃがみ込み、土に手を触れる。

 ……乾いている。


 期待しすぎるな、と自分に言い聞かせる。

 見つかればラッキー。

 見つからなくても、今日すぐに死ぬわけじゃない。


 そう思えないと、判断を誤る。


拠点を作る、という発想


 ふと、立ち止まる。


「……待てよ」


 このまま歩き続けるのが、正解だろうか。


 水はない。

 武器も、ろくにない。

 休める場所もない。


「……先に、拠点か」


 ゲームでも、現実でも、同じだ。

 安全な場所を一つ作る。

 そこから、行動範囲を広げる。


 視界を見渡し、条件を整理する。


 ・見通しがいい

 ・森から、ある程度距離がある

 ・地面が、比較的平ら


 少しだけ小高くなっている場所が目に入った。

 周囲を見渡せる、草原の中の緩やかな盛り上がり。


「……ここ、悪くないな」


土で守る


 まずは……

 魔法?で、地形を変えられないか、やってみる。


 正直、できるかどうかは分からない。

 でも、石を出せたんだ。

 土そのものを少し動かせても、おかしくはない。


 土に手をかざし、

 意識を集中する。


 すると――


 モリモリ、と。

 地面の窪みが、ゆっくりと盛り上がってきた。


「……お、おお」


 思わず、声が漏れる。


 イメージは、

 地面をトンボでならす感じ。


 あるいは、

 テーブルを雑巾で拭くような感覚。


 手のひらを滑らせるように動かすと、

 サクサクと、

 地面が平らになっていく。


 派手さはない。

 でも、確実に“整っていく”感触がある。


 しばらく続けると、

 手のひらから、力が抜けていく感じがした。


 虚脱感。

 でも、それは手のひらだけで、

 全身に広がることはない。


 魔力量?

 魔法量?


 数値は分からない。


 でも――


「……かなり、大丈夫そうだな」


 ちょっと使っただけで、倒れる感じじゃない。

 この魔法は、

 無理をしなければ、長く付き合えそうだ。


囲いと、石の家


 地面が整ってくると、

 次に考えるのは「守り」だ。


 周囲に、低い壁を作る。

 腰より、少し低いくらい。


 さらに、屋根も作ってみる。

 土を積み、押し固め、

 意識を集中して、もう一段階、締める。


 すると――

 表面が、明らかに変わった。


「……石、だな」


 叩くと、鈍い音が返ってくる。

 完全な岩ではないが、

 少なくとも、柔らかい土ではない。


 結果としてできあがったのは、

 石のワンルーム。


 感覚的に、六畳一間くらい。

 ガラスなんて当然ないので、

 小さな窓を一つだけ空けてある。


 そこから、風が吹き込む。


「……悪くない」


 外で寝るよりは、はるかに安全だ。


食べ物を探す


 次に頭に浮かんだのは、

 当然――食べ物だった。


「……何か、食えるものないかな」


 拠点の周囲を、うろうろと歩く。


 すると、

 少し離れたところに、一本の木が目に入った。


 高さは、ぼくと同じくらい。

 ……一八〇センチくらいか。


 枝には、赤い実がいくつもなっている。


「……ナワシログミ、だっけな」


 日本で見た記憶がある。

 あれによく似ている。


 完全に同じかどうかは分からない。

 でも、色と形は、かなり近い。


 ひとつ、もいでみる。

 匂いを嗅ぐ。

 ……変な臭いはしない。


 意を決して、かじった。


「……酸っぱい」


 強い酸味と、

 少しの渋み。


 でも――

 食えなくはない。


 ぼくは、

 片っ端から実を食べていった。


 そのときだ。


 足元の地面の、

 小さな窪みに気づいた。


 直径、三十センチ四方ほど。

 そこに、水たまりがある。


「……っ」


 思わず、唾をのんだ。


 土魔法で、

 簡単な石のコップを作る。


 濁っていない部分を選び、

 そっと汲む。


 唇に触れた水は、冷たかった。


 口に含んだ瞬間、

 ――違和感。


 土の匂いというか、

 鉄の味というか。


「……うん」


 一瞬、顔をしかめる。


「……仕方がないね」


 喉を通る感覚は、確かに水だった。

 体が、素直に受け取っている。


 毒を飲んだ感じではない。


 もう一度、窪みを覗く。


 濁りの少ない部分を選び、

 石のコップに、もう一杯ほど汲んだ。


「……これは、持って帰ろう」


 全部をその場で飲むのは、やめておく。


 次に、赤い実の木に戻る。


 浅めの石のボウルを作り、

 取れるだけ実を入れる。


 最後に、

 大きめの葉っぱを一枚。


 それを、

 ふた代わりに被せた。


 水と、食べ物。


 量は少ない。

 でも、ゼロじゃない。


 ぼくは、それらを持って拠点へ戻った。


夕方が近い


 空の色が、

 少しずつ変わり始めていた。


「……夕方、か」


 今日は、もう無理をしない。

 そう決める。


 石の部屋の中に、

 草を集めて簡易的な寝床を作る。


 火はない。

 水も、十分とは言えない。


 それでも。


「……初日としては、悪くない」


 立派な成果じゃない。

 でも、ゼロではない。


 それが大事だ。


 ぼくは、

 石の壁にもたれながら、深く息を吐いた。


 声に出して、

 自分の耳に、脳に、心に言い聞かせる。


「今日は、ここまででいい」


 派手な出来事はない。

 でも、生きている。


 それだけで、今日は十分だ。


 ぼくは目を閉じ、

 異世界での最初の夜を迎えた。

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2025年12月21日 18:00 毎週 土曜日 10:00

土魔法しか使えないけど、異世界転生でしぶとく生きる話 逢坂冬人 @fuyuto_osaka

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