土魔法しか使えないけど、異世界転生でしぶとく生きる話

逢坂冬人

第一章 

第1話 ここはどこだろうか


 最初に感じたのは、

空がやけに広いという違和感だった。


 目を開けると、視界いっぱいに青が広がっている。

 見慣れた天井じゃない。

 蛍光灯も、木目の天板もない。


 雲が、ゆっくりと流れているだけの空。


「……ここは、どこだろうか」


 思わず、そう口にしていた。


 声はちゃんと出る。

 喉も痛くない。


 夢にしては、感覚がはっきりしすぎている。


 起き上がろうとして、背中に硬い感触を覚えた。

 草だ。

 乾いた草の感触が、服越しでもはっきり分かる。


 上半身を起こし、周囲を見回す。


 地平線まで続く平原。

 遠くには、帯のように連なる森。

 その奥に、低い山並み。


 だが――


 建物がない。

 道もない。

 電柱も、看板も、何もない。


「……いや、待て待て」


 頭が追いつかない。


 ぼくは四十五歳だ。

 会社員で、ゲームと映画とアニメが好きで、

 健康のために、軽く筋トレとウォーキングを続けている。


 ごく普通の、どこにでもいるおっさん。


 そんなぼくが、理由もなく草原で寝転がっている説明がつかない。


 ポケットを探る。


 スマホがない。

 財布もない。

 鍵もない。


「……何も、ないな」


 服は、昨日まで着ていた私服のままだ。

 なのに、世界の方がまるごと違う。


 ここでようやく、

 胸の奥に、じわっとした感情が浮かんできた。


 ――怖い。


 けれど、パニックにはならなかった。


 仕事で詰んだとき。

 人生が一度、完全に傾いたとき。


 ぼくはいつも、

「できることを整理する」ことで乗り切ってきた。


「……落ち着こう。まずは状況確認だ」


 声に出して、

自分の耳に、脳に、心に言い聞かせる。


何度も使ってきた、

ぼくなりの落ち着き方だ。


何もない、という現実


 改めて周囲を見渡す。


 音が少ない。

 風の音と、遠くの鳥の声だけ。


 町も、村も見えない。

 人の気配も、文明の痕跡もない。


「……水も、なさそうだな」


 喉の奥が、じんわりと乾いている。


 このまま何も見つからなければ、

 割と本気で詰む。


 無意識に、

 ぼくは手のひらを見つめていた。


「……電子タバコ、吸いたいな」


 完全に現実逃避だ。

 考えが行き詰まると、いつもこうなる。


 その瞬間だった。


 ――ふわり。


 手のひらの上に、

 うっすらと青白い光の粒が集まった。


「……え?」


 息が止まる。


 目を瞬かせる。

 だが、消えない。


 淡く、頼りない光。

 でも、確実にそこにある。


「……なに、これ」


 熱はない。

 触れられそうで、触れられない。


 心臓が、ドクンと鳴った。


「……魔法、っぽくないか?」


 言葉にした瞬間、

 頭の中で、点と点が一気に繋がる。


 この場所。

 何もない平原。

 文明の気配がない世界。


 そして、手のひらの光。


「……あれ?」


 もう一度、手のひらに意識を集中する。


 光の粒が、ほんの少し増えた。


「……これ」


 喉が鳴る。


「……異世界転生、ってやつか?」


 さっきよりも、

 ずっと小さな声で呟いた。


使えるものを探す


 他に何か見えないか、確認する。


 ステータス画面。

 HP。

 MP。

 スキル一覧。


 ――何も出ない。


「……UI、ないのか」


 ゲームみたいな便利さは、期待できなさそうだ。


 見えるのは、

 この世界と、自分の身体だけ。


 なら、できることを試すしかない。


 ぼくはしゃがみ込み、

 手のひらを土に近づけた。


 理由は分からない。

 ただ、さっきの光と、

 足元の大地が妙に繋がっている気がした。


「……来い」


 意識を集中する。


 すると――


 地面が、ほんのわずかに盛り上がった。


「……っ!」


 次の瞬間、

 親指くらいの石が、ぽろりと転がり出た。


「……まじか」


 驚きと同時に、

 妙な納得感があった。


 もう一度。


 今度は、石がふわりと浮いた。


 重さを感じる。

 だが、意識を向けていれば制御できる。


「……土、か」


 火は出ない。

 水も湧かない。

 回復っぽい感覚も、まったくない。


 でも――

 土だけは、応えてくれる。


 浮かせた石を、前へ弾く。


 石は空気を切って飛び、

 数メートル先の地面に当たった。


「……攻撃には、なるな」


 派手さはない。

 チート感もない。


 けれど、確実に“使える”。


 根拠はない。


 ただ、疲労感がほとんどない。


 魔法量?

 魔力量?


 量は分からない。

 残量も、見えない。


「……初歩的だけど、

 長く使えるタイプか」


 若者向けの万能チートじゃない。

 でも、四十五歳のおっさんには、

 妙にしっくりくる能力だった。


生き延びるしかない


 ぼくは立ち上がり、

 もう一度、周囲を見渡した。


 森。

 山。

 そして、何もない平原。


「……とりあえず、今日を生き延びよう」


 異世界かどうかは、もうどうでもいい。

 戻れるかどうかも、今は考えない。


 まずは、水。

 次に、寝る場所。


 派手な冒険は、まだ先だ。


 ぼくは一歩、平原を歩き出した。


 土しか使えない、四十五歳のおっさんのサバイバルが、

 ここから始まる。

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