第12話
12
白煙を上げる蒸気機関車、三輪式の軽自動車に、汚れた白いランニングシャツ。氷で冷やすタイプの冷蔵庫に、脚の付いたブラウン管式の白黒テレビ。そしてその前に群がる無数の人々。いつか映画で観たことのあるその年代のものが、次々と頭に浮かんでは消えていった。蠅原は続けている。
「わたしは弟の通っていた学校を無事卒業すると、大学の理工学部へと進学いたしました。母親の体調が芳しくなかったものですから、早めに就職し、少しでも生活費を援助したいと考えていたのです。ですが母親が頑として許さず、家と土地を手放してでもわたしを大学にやるのだと言い張り、実際そのようにしてしまったのです。実を言いますと、弟のふりをして機械の専門的な勉強を続けているうちに、わたしは本当に学ぶことが面白くなってきておりましたので、大学へ進学できることは、大変喜ばしいことでした。しかし反面、わたしは既に他界していた弟に対し、激しい嫉妬を募らせました。母親からすれば、何も贔屓しているわけではなく、唯一生き残った愛する我が子に、なるべくなら好きな道に進んでもらいたいという切なる親心に過ぎないことは承知していたのですが、それらがもれなくわかった上で尚わたくしは、弟に対して、激しい嫉妬を覚えました。殺害してから弟のことを意識的に考えたのは、そのときが初めてでした。
大学卒業後、単身で上京したわたくしは、航空整備士として羽田空港にて働き始めました。特別攻撃隊での苦い思い出もあってか、飛行機を操縦することにはもうまったくと言っていいほど興味が持てなくなっていたのですが、わたしはやはり、飛行機が好きだったのです。むろん人生の目標を一から決め直す面倒というものもあったでしょうが、最終的には、好きという想いが決断させたように思います。結局離れることができず、先の職業を選択した次第です。
就職してからの十年間、わたしは他のことには目もくれず、ただただひたすらに働き続けました。とは申しましても、嫌々ながらではありません。自分が好きで就いた仕事でしたので、大変ながらも、喜々として働き続けました。その十年間は、この上なく充実した日々でした。わたしは働きながらも毎日こつこつと勉学に励み、一等に難しい資格も、真っ先に取得いたしました。飛行機のことなら何人にも負けない知識と整備の技術とを、あますことなく身に付けていきました。やがて周囲からもその働きが認められ、わたくしは仲間内の誰よりも早く出世していったのです。
そうしてわたしは、四十歳を前にする若さにおいて、整備を担当する人間の中で、最高の地位に就くことができました。就職した頃に比べると、給金も格段に上がりました。より大きな責務を任せられ、仕事は更に充実したものとなりました。そして以降一年の間に、ある女性と交際を経たのちに結婚し、女の子を一人授かりました。母親がわたしの学費のために手放してしまった家は、諸事情によって買い戻すことは叶いませんでしたが、その代わりに都内の一等地に新築のマンションを購入し、田舎の親戚宅に寄宿していた母親を呼び寄せ、一つ屋根の下、一家四人で暮らし始めました。母は自分専用の広い和室があることを知ると、泣いて喜んでくれました。妻とも耐え忍んでなどではなく、ごく自然と仲良くしてくれておりました。子供も大きな病気をすることはなく、元気にすくすくと育ってゆきました。そしてまた十年が過ぎました。わたくしは以前にもまして、幸せでした。人生とはこんなにも幸せなものだったのかということを、そのとき初めて知ったのでございます。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます