第7話


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 それは九七式戦闘機をベースに作られた、二人乗りの練習機でした。言うまでもなく九七式よりも性能が劣り、非常に使い古されています。わたくしは訓練時からペアを組まされていた、永ヰ《ながい》という男とその機へ搭乗することになりました。永ヰはわたしよりも一つ年下の、十六歳の青年──青年と言った瞬間蠅原は息を呑んだような表情を見せ、すぐに言い直した──少年でした。レンズの厚くて丸い眼鏡をかけ、まだ顔に幼さの残る、背の低いどこかかげのある少年です。わたしと同じように陸軍から強制的に徴集され、特別攻撃隊へと編成されたとのことでした。出撃の決まった夜に、その永ヰと二人で、浴びるほどの酒を飲み交わしたことを憶えています。永ヰは、泣いておりました。泣きながら寝たきりの母親の存在をしげく心配し、本当は映画監督になりたかったのだと打ち明けてくれました。自ら脚本を手がけ、映画を製作することが、彼が秘めていた夢だったのです。どういう映画を撮るんだ? そうわたしが訊くと、まだ決めておりません、と永ヰは答えました。何を撮ろうか決めてから撮るということは、自分の言いたいことのために映画を利用しているようで嫌なんです、というのが永ヰの答えでした。そういうものなのかと思い、わたしは頷きました。特攻隊の映画は撮らないのか? 続けてわたしが訊ねると、絶対に撮りたくはありません、とやけにきっぱりと彼は答えました。今の自分たちがしている行為を題材にすると、どうしても感傷的になってしまいそうで嫌なのです。感傷的なものとは、ある一つの方向からしか描かないからそのようになるのです。わたしは、たとえば何かを撮るとするならば、いいところも悪いところも同じだけ、どちらかを贔屓することなく、同じように撮りたいのです。そうして初めて映画は本物になるように思うのです。だからたとえば、道化師のような男を主人公にした映画を撮るといいのかもしれません。道化師は人を笑わせると同時に、考えさせることができるからです。ですので道化師を主人公にして映画を撮れば、きっといい映画になると思うのです。少しだけ黙り込んだあとで、しかし、と永ヰは続けました。もしも自分が何かの加減で、無事に生きて戻って来ることができたならば、特攻隊を描いた映画を撮ってみてもいいですね。どれだけ感傷的な作品になろうが、お涙頂戴物の映画になろうがかまいません。自分はいつか、特攻隊の映画を撮ってみたいと思います。なぜって、それだけのことを我々はするんでありますよね。そうですよね? 蠅原さん。違いますか? 答える代わりに、なんだ永ヰ、お前さっきはあんなことを言っておいて、実は撮りたいものがもう決まっているんじゃないか、とそうわたしが茶々を入れると、永ヰははにかみながら、あ、そうですね、と言ってコップの酒をあおりました。その永ヰを見て、わたしはいっぺんに彼が好きになりました。映画のことはよくわかりませんでしたが、彼の映画に対する想いが、ひしひしと伝わってきたからです。永ヰとはそういう、実直な男だったのです。

 わたしはその永ヰと一緒に、用意されていた練習機へと向かいました。乗り込む直前にも、互いの目を見つめて軽く頷き合っただけで、言葉は交わしませんでした。我々には、それだけで充分でした。わたしは前方の操縦席へ乗り込み、永ヰは後方の複座へと乗り込みました。二百五十キロの爆弾が一つではなく二つ、左右の翼の下に一つずつ溶接されていた点も、前回とは異なりました。理由は言うまでもありません、特別攻撃の破壊力を増すためです。

 ところで、一体なぜ二人で搭乗したのかと言うと、練習機の複座には、機関銃が装備されていたからです。座席を三百六十度回転し、機銃掃射することのできる、旋回式の機関銃です。しかしそれは何も、我々特別攻撃隊員が前回に比べ、優遇されたからではありません。単に特別攻撃の成功率と効果を少しでも上げる目的で施された、『処置』に過ぎませんでした。ですから前回同様に無線機が搭載されていないどころか、現地到着までの援護と事後の報告を兼ねた戦闘機さえも、そのときは飛ばないとのことでした。戦闘機よりも格段に機能の劣る練習機と、合計で五百キロもの爆弾を吊り下げているという劣悪条件とは言え、前回とは違って武器を搭載しているために、援護用の機がないことにはまだかろうじて納得がいきました。がしかし、報告用の機がないことには納得がいきません。無線機がないからです。それで一体どのようにして敵艦への突撃を確認するのだろうか? そのような疑問が否応なしに浮かんできます。しかし全ては上層部により、既に決められていることなのです。いくら抗議してみたところで、何が変わるわけでもありません。わたしはそのことを経験により知っていたために、あえて追咎ついきゅうしようとはしませんでした。風脚が強くなりつつあるために、事前に飛ばされるはずの偵察機も飛ばない為体でしたが、そのことについても努めて考えないように気を付けました。そうして他に九機の練習機、合計で二十名もの人間が、定められた死に向かって、一斉に飛行場から飛び立ったのです。それは辺り一面が最も深い闇に包まれている、薄い月明かりだけが頼りの、午前零時ちょうどのことでした。本来戦闘性能が大幅に劣っている練習機ゆえに、敵機の迎撃を回避し、不意を突くために、寝静まった深夜を選んでの出撃だったのです」

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