第6話


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 寮にいたのは十日程度だったのですが、わたしには、幾倍もの長さに思えました。毎日明るいうちは延々と経文や勅諭ちょくゆの書き写しを命じられるのですが、黙々とこなし続けるその間中、後方にて監視する上官より、さまざまな罵詈雑言を浴びせられるからです。ときには殴られることもありました。夜は夜で、毎晩長い反省文を書くことを強制され、提出してからでないと、眠ることが許されませんでした。

 写経や反省文の提出もつらいものでしたが、一等につらいのは、上官からの罵倒でした。軍人とはさようなものです。軍人であろうとすればするほどに、他人から自分の存在を貶められることが、一等につらいのです。上官もその辺りの心情はよくわかっていたのでしょう、文字通りに四六時中、ありとあらゆる言葉で、それはそれは厳しく罵倒してくるのです。のみならず身内のことまでも同様に罵倒し、そして最後に、一度失敗しているお前たちだからこそ、次こそは誰よりも立派に任務を遂げることができるはずだ、とあからさまな激励を行い、ようやく締めくくるのです。彼らは我々に、次こそ確実に特別攻撃を遂行するのだという強い意思を植えつけようと、日々躍起になっていたのです。

 しかしそれらの全ては、完全に行き過ぎた行為でした。教育という名のみのを被った、虐待行為に過ぎませんでした。罵倒され続けることに耐えられず、自殺を図ろうとする者も現れる始末でした。実際に結び合わせた服をロープ代わりに梁へとぶら下げ、首をくくって死んだ者もいたようです。実行するまでには至りませんでしたが、わたくしも真剣に考えたことがございます。ですがもしも自死などをすれば、残された肉親や親戚がつらい目にあうことになるやもしれません。わたしは、思い留まりました。どうせすぐに死んでしまうのです。ならばせめて特別攻撃を成功させ、軍神として死んでいこうじゃないかと思ったのです。

 わたしを担当していたのは、自分といくつも年齢の変わらぬ、若い男でした。特別攻撃に参加したことのない男です。彼の口癖は、臆病者め、というものでした。ある日、いよいよ堪忍ならなくなったわたしは、入寮までの顛末をありのままに話してみたのですが、徒労に終わりました。証人が一人もいないのをいいことに、自分に都合よく言ってるだけだろう、本当はどうせ怖くなって、一人でおめおめと逃げ帰ってきたんだろう。それが彼の返答でした。いくら自分と年が変わらないとは言え、特別攻撃に参加したことがないとは言え、上官は上官です。軍人が上官に逆らうようなことは、絶対にあってはなりません。わたしは必死で怒りを抑え、何も言い返すことはしないまま、これからは意図的に頭を空っぽにして、求められた作業だけを坦々とこなしていくことにしようと決心し、実際その通りにいたしました。

 退寮後、元々所属していたのとは別地域にて活動を行う、別の航空部隊へと転属することになりました。それは何もわたしの身上を配慮してのことではなく、単に軍の事情によって決められたことに過ぎませんでしたが、いたくほっとしたことを憶えています。中には定員数の関係で、仕方なく元の部隊へと復帰されゆく者もいたようでしたからね。そうなると、周りの連中からは白い目で見られてしまいます。

 転属先の隊では、初めから特別攻撃隊の一員として登録されておりました。選択の余地などはありませんでした。攻撃を成しえずに帰還してきたものは、再出撃以外、選択することができなかったのです。ですから自殺するか逃げ出すか、あるいは自ら足か腕を切り落しでもしない限り、出撃は決して免れないことでした。しかし先にも言った通り、もしも自殺でもしようものならば、肉親や親戚に多大なる迷惑をかける可能性が高くなってしまいます。脱走でも同じことです。たとえ事故に見せかけ手足を落としたとしても、似たようなものでしょう。出撃せずに済むことは済むでしょうが、どうせわざとやったのだろうと陰でささやかれるのがしまいです。当時は実際にそうして兵役から逃れる人間が、決して少なくない人数存在していたのです。

 入隊後、訓練もままならぬまますぐに出撃命令を受け、当日、前回と同様事前に配布された五粒の吶喊錠を飲み、上官や他のものたちと酒盃を交わしたあと、次こそ確実に特別攻撃を成し遂げるべく、既に整備士によって暖機されていた飛行機へと乗り込みました。全ては、最初の出撃と変わりありませんでした。

 とは言え、前回とは違った点がいくつかありました。まずは戦闘機です。残念ながら用意されたものは零戦でもなく、隼でもなく、そして九七式でさえもありませんでした。いえ、それはもう戦闘機ですらありません。それは武器を搭載することができるとは言え、訓練専用に使われていた、単なる練習機だったのです。

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