第3話


  3


 ぼくは足元の座布団に腰を下ろしてから銃を脇に置き、蠅原と同じように胡坐をかいた。不思議とどこの傷も痛まなかった。蠅原は淡々と話し続けている。

「そのような次第で、わたくしは将来零戦乗りとなるために、海軍の飛行兵を養成する学校へと進むべく、日々勉強をしていたのです。零戦は陸軍ではなく、海軍の所有する戦闘機だったがゆえです。それよりも数ヶ月前の爆撃において、父と姉を同時に失っておりましたので、そうして海軍の飛行兵養成学校へ進み、零戦乗りとなり、敵の戦闘機をいく機も撃墜することが、わたくしの切なる願いだったのです。それが弟の設計した零戦ならば言うことはありません。わたしたち兄弟の願いは、公倍数的に、ぴたりと一致していたのです。そこへ先の徴兵命令です。残念ながらそれは海軍ではなく、陸軍からのものでございましたが、予想よりもずっと早く飛行機に乗れるということもあり、わたしは無念を抱く弟を余所に、陶酔するにも似た優越感を抱きながら、隊へと加わっていったのです。

 しかし、現実は違いました。それはそれは、厳しいものでございました。訓練のことを言っているのではありません。訓練は厳しくてけっこうです。どんな厳しいものにでも、わたしには耐える覚悟がありました。零戦には乗れませんでしたが、そのことでもありません。操縦の習練時には、零戦よりも性能の劣る、はやぶさという愛称の使い古された戦闘機を使っていたのですが、わたしは当機で充分に満足しておりました。性能は劣ると言えども、二年ほど前の戦いで大活躍した機体でしたし、何よりも隼は、その外観が零戦に、非常によく似ていたからです。知識がないものが見れば、二体の違いなどはまったくわかりません。現にわたしも初めはわかりませんでした。では一体何が厳しかったのかと言うと、わたしたち訓練生の目的が、特別攻撃にあったからでした。入隊後まもなく、訓練生の全員が上官より講堂まで呼び出され、特別攻撃隊へ入隊するように命じられたのでございました」

 特攻隊、とぼくが心の中で略したことを見通したかのように、意味深長な微笑みを浮かべながら蠅原が言った。

「『特攻隊』と略される方が多いようですが、わたくしは、その呼称が好きではありません。自分のように隊員経験のある人間が言う分にはよいのですが、ない人間が略しているのを耳にすると、何かこう、非常にやるせない心持ちになるからです。と言うのも、命じられた特別攻撃の内容とは、指定された日に、二百五十キロもの重さのある爆弾一発のみを、『投下できぬよう』胴体の下に固定された機体ごと、敵艦に体当たりするというものだったからです。それは自らが望んで命を賭け、敵と戦闘するということとは次元の異なる行為です。死刑宣告も同然です。いえ、それ以上と言い切ってもいいはずです。なぜならわたしたちは、刑に匹敵するような罪を、誰一人犯したわけではないのですから」

 そこでぼくは亜門の言った、『都合』という言葉を思い出した。人を殺してはいけない理由をしいて一つだけ挙げるとするのなら、社会の都合だからなんだ、という内容の言葉を。蠅原の言うことは正反対に当たるものの、きっと同じ理由が当てはまるのだろう。そう、その日の蠅原たちは社会の都合により、一方的な死を突きつけられてしまったのだ。

 蠅原は続けている。

「特別攻撃隊の任務は、一度出撃すると、生きては戻れないという厳しい内容でしたから、強制ではなく、志願者だけを採用するという、いわゆる義勇兵形式で集められました。呼び出された日に配られた、熱望スル、希望スル、希望セズ、という文字の書かれた、一枚のざら紙のことをよく憶えています。上官が言うには、熱望スルと希望スルの上に丸印を付けた者のみが、隊へ編成されるということでした。しかしその選択はあくまでも形式でしかなく、実際には、事実上の命令でした。回答用紙を目にした途端、すぐにそのことがわかりました。上からの命令は絶対ということは元より、上官の希望を察知し、部下が自ら動くという当時の風潮から鑑みて、ピンときたのです。しかしだからと言って、何が変わるわけでもありません。言うまでもないことですが、わたしには、命令を押し切ってまで希望セズに印を付け、非国民扱いされながら生きていく勇気がなかったからです。わたしは仕方ないとあきらめると共に、これもお国のためなのだと自らを奮い立たせながら、熱望スルの上に、鉛筆にて力強く丸印を書きました。わたしだけではなく、ほとんど全員がそうしたものと思います。

 ですが想像していた以上に、現実は厳しいものでございました。希望セズに印を付けたことを自ら公言し、こんな無謀な攻撃には参加するべきではないと、周囲に向けて声高に呼びかけていた三名が、任務を遂行する当日になって、全員飛行場へと現れたからです。彼らは急遽きゅうきょ、わたしのいる隊に加わったようでした。当時、土壇場での隊の再編成はよくあったことなのですが、それにしても、一体何があったのだろうと思いました。彼らの特別攻撃に反対する意志は、大変強いもののように見えていたからです。ただ、三人の一様に暗い顔つきを見て、彼らが出撃を強制されているということだけはわかりました。おそらくは自害か特別攻撃か、どちらかの選択を迫られたのでしょう。むろんあとになって気が変わり、自分たちの方から志願したという可能性もあるにはあるでしょうが、結局は同じことです。わたしは自分から熱望スルへ印をつけたことに、心からの安堵を覚える反面、国のやり方に、強い憤りを覚えました。

 その原因は、搭乗予定の戦闘機にもありました。本来特別攻撃に使われるとされていた機種が、慣れ親しんでいる隼から、多少旋回性が高いとは言え、総合的には、隼よりも性能の劣り、更に使い古されている、九七きゅうなな式というものに、変更されていたからです。一切何の前触れもなしに、出撃の直前になって、事実のみを以って知らされたのです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る