身代金はおいくらですか?

かるめる

「一円です」

「すまない。突然聴力を失ったようだ。もう一度言ってくれ」

 厳かな声が豪華絢爛な執務室に響き渡る。音の発生源は私だけなので、必然的に声が室内に響いてしまうのだ。「おや」と片眉を上げ、執事長であるメルヴィンは口を開いた。

「耳鼻科医を呼びつけましょうか?」

「それには及ばない。もう一度頼む」

「オリヴィアお嬢様が誘拐されました」

「それは理解できた。身代金はいくらだ?」

「犯人が要求した身代金は一円でございます」

「一円?」

「さようでございます」

 執務室に静寂が訪れた。たった三秒だが、それでも静寂が訪れた。その静寂をぶち破ったのは私の猛抗議。具体的に言うと執務机をバンバンと叩いた。百万円の執務机だがそんなことは問題ではない。

「おかしくない!? 世界で一番可愛いから誘拐されるのも頷ける愛娘が一円なわけなくない!?」

「おっしゃる通りでございます」

 メルヴィンは表情こそ平静を保っていたが、声音は困惑を隠し切れていなかった。仕方あるまい。身代金の要求額が一円とか狂気の沙汰だぞ。かくいう私は顔も声も態度も全てにおいて困惑を包み隠さず溢れ返させていたわけだが。

「なあ」

「はい」

「もしかしなくても桁間違えてるオチか?」

「それはありません」

「なぜだ」

「その件に関しまして誘拐犯に問い直しましたので」

「つまり誘拐犯は一円であっているとほざいたのか」

「おっしゃる通り一円であっているとほざきました」

「そうかそうか」

 呵々大笑。それがぴったりな表現だと思う程に笑った。そして執務机を強かに叩く。今度は拳で。縦の拳でガンガンと叩いた。困惑の感情を最大限込めて。

「こんなの絶対おかしいよ!」

「落ち着いてください旦那様」

「桁足りなさすぎない!?」

「おっしゃる通りでございます」

「うちの天使オリヴィアちゃんってば最低でも一億の価値あると思うんですけどぉ!?」

「同意しかありません」

「ところで受け渡し場所は?」

「××公園の山型遊具です」

 めちゃくちゃ人の往来あるんですけどあの公園。昼夜問わず庶民の憩いの場ぞ?

「時間は?」

「五分後です」

「五分後」

「はい、五分後です」

「バカなの? 死ぬの?」

「オリヴィア様の生命の危機は迫っている可能性はあります」

「オッケー行くわ。現場人払いしておいて」

「すでに人払いを済ませております」

 私は決意した。

 必ずや愚かな誘拐犯を一億円の小切手でビンタしなければならぬと決意した。


「パパー!」

「おおマイエンジェル!」

 身代金受け渡し場所に来たら、天使の如き可愛さを全身から放つ愛娘が駆け寄ってきた。擦り傷、いやかすり傷一つでもあれば抹殺してやろうと思っていたが傷一つ無い。誘拐犯め、命拾いしたな。

 元気良く駆け寄ってきたオリヴィアを抱きしめた後、メルヴィンに安全な場所へ連れて行かせる。いくら再会した愛娘が元気いっぱいだとしても、精神的苦痛は表面に出づらいものだ。それを考慮した結果である。

 オリヴィアが安全な場所へ案内されていることを確認し、誘拐犯に向き直る。ゴミ捨て場から這い上がってきたような格好をした薄汚い男が一人だけ。普通今のうちに逃げると思うんだが。身代金一円だし。

「身代金を渡す前に聞きたいことがある」

「びた一文まけないからな」

「まけるような金額でも無いだろうが。この誘拐は狂言誘拐か?」

「違うが?」

 ひどく困惑した様子。いやいやいやおかしいだろ! 普通に考えておかしいだろ!

「身代金に一円はねえよ一円は!」

「あぁ!? 金持ちだからって一円をバカにしてんのか!? 一円を笑う奴は一円で泣くんだぞ!」

「そういう意味じゃねえわバカタレ! 身代金の桁が足りねえっつってんだよ!」

 こちらの怒りに対し、明らかに驚いている。なんでだよ。普通に桁が足りないだろうが。

「な、なら……百円……?」

「たった二つ増やしてんじゃねえよバーッカ!」

「うちの娘は最低でも一億円の価値はあるぞ!」と続ければ、恐れおののく表情に変わっていく。いやなんでだよ。ガチ誘拐してるくせに身代金に恐れおののくなよ。というか警備ガッチガチなのに誘拐する程度の能力を持ち合わせておきながら一円はねえよ一円は。

「一億ってお前……そんなの大金じゃん……」

「誘拐犯は普通それくらいふっかけてくんだよ!」

 パチン、と指を鳴らす。一秒と経たず後方にメルヴィンが現れた。

「お呼びでしょうか旦那様」

「例の物を」

「こちらにございます」

 うやうやしく差し出された未記入の小切手と万年筆を受け取り、誘拐犯に差し出した。誘拐犯は恐る恐るこれらを受け取る。こちらの意図ははわかっているようだ。誘拐犯はおろおろしながら小切手に数字を書き、万年筆とともにこちらに差し出した。メルヴィンがそれを受け取り、金額を確認した上で私に手渡す。その場で突き返さない辺り、こちらが納得する数字が書かれていたに違いない。

「おいメルヴィン」

「いかがなさいましたか」

「お前にはこの数字どう見える?」

「一万円に見えますね」

「そうだな。私もそう見える」

 小切手をぺりぺりと一枚剥がし、そして思い切り破いた。百パーセント金額に対する怒りで構成された顔の私。悲壮な顔に変わる誘拐犯。

「一万円じゃ不満だってのか!?」

「不満も不満じゃバカタレ!」

 身代金がたった一万円などうちのマイエンジェルに対する侮辱でしかない。

「身代金ってのはなぁ!」

 小切手にさらさらとペン先を滑らせ。

「こんだけ請求するもんなんだよォ!!」

 切り取った一億円の小切手で思い切り誘拐犯をビンタし、取引現場を後にした。

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身代金はおいくらですか? かるめる @tenmeiya

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