第5話 火鬼

夜の新橋駅周辺、酔っ払いが駅へ向かって歩き出す頃、

礼司は小太りでジュラルミンのビジネスケースを持った男を駅前で乗せた。

「まっすぐ」

こう言うだけの客は結構多いが、運転手としては大変迷惑だ。

「はい。すみませんお客さん、方向だけでも教えてください」

「多摩川」

めんどくさそうにその客は答えた。多摩川と言っても長い、

これじゃ方向も決まらなければ、どの道路を走っていいかもわからない。

「東急多摩川駅のほうですか?」

「そうだ」

怒った様に客は返事をした。

「はい」

それにしても、この男の息遣いが荒いのが気になる。

新橋から首都高目黒線へ行き荏原から中原街道をひたすら多摩川へ向った。

ミラーで確認すると、男はいかにも暴力団風で

大事そうにケースを膝の上に乗せて目を閉じたままだった。

「そろそろ多摩川ですが」

男は目を開けると、その客が言った。

「橋の手前を右に曲がれ」

「はい」

 多摩川沿いに300メートルくらい走ると

客が窓を眺めながら言った。

「止まれ」

「はい」

 礼司はブレーキを踏んだ。

「いくらだ?」

「ありがとうございます。6180円です」

男は10000円を出して3820円を受け取ると、

数人の人影が見えるグランドに向かって土手を降り始め、

こちらを睨みつけた。

礼司は「やばい」と思って、車をゆっくり走らせ、

再びさっきの男を見ると後ろにぴったりと

張り付いた女性の姿が見えた。

それは、猫背で真っ赤なスーツ着て、

髪は長く真っ白な顔をしていた。

そして、そのやくざ風の男の肩に両手をかけ、こちらを見て笑った。

「闇取引? ああ、怖」

 礼司はスピードを上げてタクシーを走らせた。

********

雨の多摩川の野球のグラウンド。道路には

5メートルから10メートル間隔に車が停まっていた。

多摩川は増水していて、グラウンドの草むらに

拾い忘れられたボールが水に浸かっていた。

しばらくすると、その駐車中の1台に、

川の方から火の玉が飛んできて運転席の

窓ガラスを破り、車中に飛び込んだ。


運転席にいた男の体はあっという間に燃え出し、

助手席にいた女性は悲鳴をあげて、ドアを開けて外へ飛び出した。

すると、まもなく車は爆発した。それを見ていた女性は素足のまま立っていた。

そして、肉の焦げる臭いがした。


11月の日曜の夕方。礼司は新宿の歌舞伎町の奥にある

バッティングセンターでボールを打っていた。

「何だよ。いきなりバッティングの練習をしろって、魔美のやつ」

それは、3回に1回前に飛ばすのがやっとなくらい下手だった。



「お疲れ様」

魔美は白いフレアーのミニスカートと紺のジャンパーを着て立っていた。

「おお、俺は球技が苦手だったんだ。プールの時のようにはうまく行かないぞ」

「うふふ、知っているよ。これが終わったら、

代々木公園で壁に向かってピッチング練習ね」

「あはは、この年でスポコンかよ」

「明日はタクシーの予約を入れておいたから、ゆっくり練習してね」

 礼司はホームランのボードに当て、バッティングの練習を終えた。

「やっぱり、球技はだめだ」

汗を拭きながら礼司はゲージから出てきた。

「お茶する?」

「おお、じゃあまた例の所だ」

二人は歌舞伎町を抜けてフルーツパーラーへ入った。

いつもの無愛想なウエイトレスにフルーツパフェを

注文すると礼司が魔美に向かって言った。

「あのさ、魔美。お金がどこから出るか知らないけど、無駄使いは止めろよ」

「うん。夜野さん若い頃お金で苦労したもんね」

「あ、ん。何で知っている?」

「ちょっと調査をしたの」

「霊界からの調査か?」

「まあね」

「俺、最近力がついてきたから、バッティングの

練習なんかしなくても鬼に勝てるような気がしてきた」

「そうだといいね」

礼司はパフェを持ってきたウエイトレスのお尻を見ながら言った。

「おい、明日は夜の20時に出勤だぞ」

「うん、22時からの予約を入れておいたから」

「今回は準備がいいなあ」

「うん、相手が手強いのよ。火を吐くから」

「火を吐く?」

「うん、火鬼と言って火を吐く鬼。昔、

プロ野球チームのファンが『巨人の星』に感化され、

死んでその精神が合体したものなの」

「つまり、鬼と人間の念が合体したものか」

「そう。それで、女性連れで車を停めて話をしている

軟弱な男が嫌いみたいなの。だから人間を食うのが目的じゃなくて、

ただ殺せばいいみたい」

「大リーグボールの開発にあったなあ、そんなシーン」

「そうね。だから火の玉が野球の硬球なのよ」

「つまり、その火の玉を打ち返せって言うわけか」

「そう、空振は無し。ひたすら打ち返すの」

「空振りしたら?」

「食われる」

「あはは、勘弁してくれ~。自信ないぞ」

「その代わり、いいバット上げるから」

「誰の?」

「大谷しょうへよ」

「まさか」

 翌日、バッティング練習場に行くと魔美が待っていた。

「はい、約束のバット」

それは、金色に輝いていた。

「これか、あはは。大谷しょうへいのバットがアルミかよ」

「とにかく使ってよ」

 魔美はいつものように口をとがらせて言うと

礼司は仕方なしにバットを受け取った


「はい、はい」

礼司がマシンから来るボールに向かってバットを

出すと不思議に、すべて前に打ち返すことができた。

「これ、いいなあ。これなら今からでもMLBのプロになれるぞ」

「じゃあ、今夜がんばって」

「おお」


礼司は22時になると、善然寺へ魔美を迎えに行くと

魔美は黒いつなぎの服を着て、ポチが脇で尻尾を振っていた。

「おっ、ポチ。こないだはご苦労さん」

礼司がポチの頭をなでると魔美

紙袋を持ってポチと後部シートに乗った。

「ありがとう。じゃあ多摩川ね」

「何だ? その袋」

「うん、ボールよ」

「なるほど」

タクシーが善然寺を出ると礼司が魔美に話しかけた。

「おい、魔美善然寺の娘か?」

「違うよ」

「ふーん」

「それだけ?」

魔美は期待外れの答えに拍子抜けした。

「ああ」

「何か聞きたい事ないの?私の家とか、学校の話とか」

「あっ、そうだな。家はどこだ?」

「板橋区板橋2―2―45」

「おお、俺が昔住んでいたあたりだ。親は?」

「父親が3年前に死んだ」

 礼司は顔色が変わった。

「母子家庭か・・・悪い事聞いちゃったな」

「ううん、夜野さんパパに似ているから聞いてほしかったんだ。

気にしないで。二人と2匹でがんばっているから」

「母子家庭じゃタクシー代大変なんだな・・・」

礼司は毎回お金を受け取るのが悪いような気がした。

「大丈夫だよ。仕事だから」

「そ、そうか。お父さんはいくつだった?」

「生きていれば42歳」

魔美は指を折って答えた。

「ほほう、俺と同じ歳か」

「うん」

「何かさ、魔美と初めて会った時、

どこかで見た事があるような気がして……」

礼司の運転するタクシーは中原街道の新丸子橋を渡って川崎市に入った。

すると、すぐに右折し、多摩川沿いに野球のグラウンドに着いた。

「ここか?」

「うん」

「向こう岸に先週来たばかりだ。女の幽霊を連れた男を降ろした」

「ああ、殺人事件があったやつね。銀座のクラブホステスが殺されて、

 その人もここで死んだ」

「そうか、やっぱりな」

礼司は苦笑したあと、トランクからバットを下ろし、

バットを2、3度振りながら言った。

「さて、どうやっておびき寄せるんだ?」

「夜野さんが川に向かってボールを投げるの」

「それでいいのか?」

「うん。そうすると、火のついたボールが返ってくるの」

「なるほど。だからピッチングの練習をさせたのか」

「そう。だって、遠けりゃ遠いほど返ってくる

ボールのスピードが遅くなって有利だから」

「魔美サンキュー、じゃあボール投げてバットでかまえりゃいいわけだ」

礼司は魔美からボールの入った紙袋を受け取り、グランドに下りた。

「行くぞ!!」

礼司は川に向かってボールを投げた。

すると、投げたボールは川に届かずに跳ねて、川に入った。

「やベー、届かねー」と言って、礼司は後ろを振り返った。

「前見て。来るよ」

その時、川の中からは龍の顔をした鬼が川の中に立って、

礼司に向かって口から火を吐いた。

火の玉はすごい勢いで向かってきた。

「おお、早えー」

「何やってんのよ。バット持ってよ、バカおやじ」

「いけねー」

やっとの事で火の玉にバットを当て、

ボールは川原を転がった。

「もっと前から投げなきゃ。やっぱり球技は苦手なのかな」

「いまさら言ったって」

「昔から肩が弱かったんだよ」

 礼司は10メートルほど前に行ってボールを

投げると川の向こう岸近くに届いた。

するとまた鬼がボールを吐き出した。

礼司は火の玉のスピードに追いつかず、空振りをしてしまった。

「しまった」

「きゃー」

後ろから悲鳴が聞こえると魔美の手が燃えていた。

「魔美!」

礼司は魔美に覆いかぶさって火を消した。

「大丈夫か」

「バカ、死ぬ所だったよ」

「どうした?」

「夜野さんが空振りしたから、ミットで受けたの。

もし後ろにボールを逸らしたら、本当に食われていたわ」

「そうか、悪かったな。今度は空振りしないから」

礼司が真剣な顔に変わった。

「頼むよ、パパ」

「うん」

 礼司は何回かバットを振った。

「ちょっとまって、リストバンドも上げる」

「おお、お前・・・怪しいなあ」

「ううん。パパがMLBのファンだったの。

しょうへい君は二刀流だからボールを

 遠くへ飛ばせる」

礼司はうれしそうに笑って

リストバンドをして、さらに10メートル前に出た。

「大丈夫?」

「あはは、もう大丈夫だ」

「がんばれ、おー」

礼司は大きく振りかぶってボールを投げた。

今度は川の真ん中を超え東京側の向こう岸近くにボールが落ちて、

火鬼が顔を上げ、火の玉を礼司に向かって吐き出した。


返って来た火のボールをジャストミートで

打ち返すと向こう岸に届いた。

次のボールも高く上がって向こう岸に届いた。

「すごい!でもダメだよ」

魔美は手を叩いた。

「上げ過ぎた。そうか、大谷しょうへいのバットじゃホームランばかりか」

礼司はボールを上げず、20メートル下がってレベルスイングで

ドライブがかかり川の真ん中あたりにボールが落ちて

火鬼が顔を上げ、火の玉を礼司に向かって吐き出した。

礼司はその時、バットを水平に持って打ち返すとボールはライナーで川に落ちた。

「なるほどキリがない」

礼司は残りのボールが入っていた袋をハンマー投げの

室伏のようにクルクル回って川へ飛ばした。

川から再び火鬼が顔を出すと連続で火のボールを口から吐きだした。

「これの方がやりやすい」

 礼司は飛んできたボールを次々に打ち返し、火鬼に当てた。

「おーい、魔美。ボールが足らないぞ」

「ポチ、ボールを捜して」

 魔美がポチに命令するとグラウンド駆け回り、

草むらからボールを次々捜して持ってきた。

「サンキュー、ポチ」

そこへポチが大きなボールを鼻先で転がしてきた。

「夜野さん、サッカーボールがあるけど」

「あはは、こっちへくれ」

 魔美はボールを思い切り蹴った。

「サンキュー」

 礼司はサッカーボールを両手で受け取り、川原に転がしながら言った。

「鬼さん、サッカーも面白いぞ」

 そう言って礼司はそのサッカーボールを川に蹴った。

それを鬼は大きな口を開いて飲み込んだ

「吐き出せるか?」

火鬼は大きく口を開いて火のサッカーボールを吐き出した。

「おお、『少林サッカー』」

 礼司は返って来た火の玉のように燃えた

サッカーボールを回し蹴りで跳ね返し、

それと同時に川に向かって走り出した。

「バットより蹴りの方が得意だ」

火の玉は火鬼に当たり、火鬼の体が燃え出した。

礼司はジャバジャバと川の中に入り、火鬼の腹にバットを振った。

その瞬間大谷しょうへいのバットがきらりと

光って金色の刀に変わった。

「おー」

礼司は刀を振りかぶって鬼の胴を真っ二つ切り抜くと、

同時に火鬼の体はバラバラに飛び散った。


「やった~」

 魔美が岸で跳ねた。川の周りから九個の白い塊が

勢いよく半月の空へ飛んでいった。

「びしょびしょだね」

「ああ、今日はまだ仕事があるのに、

パンツまでびしょびしょだ」

「あはは、柿ご馳走するよ」

「ああ、大好きだ」

「私も」

 礼司は魔美の頭をなでた。

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