第4話 舌鬼
礼司のお客に80歳過ぎのおばあさんがいた。
彼女はリュウマチで両方の手の中指と親指が
曲がり足も悪かった。
タクシーの低いステップでも礼司の補助がないと
乗るのが大変な体で、他の運転手は嫌がり始めて、
礼司の車に乗ったあとに指名をして乗るようになった。
ある日、桜が見たいと言って、哲学堂の桜並木の下を
走っただけで曲がった指の手を叩いて喜んで
昔は京都で修行したお茶の先生で気丈なところがあり、「痛い」
などとは言った事がないと同乗したお嫁さんが言っていた。
毎週火曜日に必ず病院に行く時、乗っていたタクシーも
乗らなくなってしばらく経った8月15日終戦の日、
偶然におばあさんの家の前を通ると彼女が
久しぶりに立って手を上げていた。
車を止め、手伝おうと後ろへ回ると、
おばあさんはすでにシートに座っていた。
「お久しぶりです。今日は私を呼ばなかったんですね」
「ええ、ここのところ寝ていて、
急に調子が良くなったものだから」
「病院でいいんですね」
「はい……、あなた、明日は誕生日でしょ」
「はい。覚えていてくれたんですね」
「はい、プレゼントあげますね」
「いいえ。いいんですよ、気を使わなくて……」
おばあさんは肌がピカピカしてとても元気で、
自分の京都での修行時代の話や亡くなった
旦那さんの話をして、最後に
「お父さんともうすぐ会える」
と小さな声で言った。
車を病院の玄関につけるとおばあさんが礼司に言った。
「待っていてください。お金は嫁が払いますから」
「はい。いいですよ」
ドアを開けて手を貸そうとすると、おばあさんの姿はなくなっていた。
運転席に戻って玄関を観ていると助手席の窓を叩く音がした。
その方向を見ると、おばあさんのお嫁さんが立っていた。
「お久しぶりです」
「あのう、さっき母が亡くなりまして……」
礼司は「やっぱり」と思った。
「母から預かったものを渡そうとしてあなたのタクシーを
呼ぼうとしていたんです。驚きました」
渡されたものはブランド物のワイシャツと
モンブランのボールペンだった。礼司は病院からでると、
運転ができないほど涙がこぼれた。
*********
阿佐ヶ谷の駅のホームに朝7時55分着の上り快速が近づいてきた。
「まもなく、東京行き快速特急が通過いたします。
危険ですので、黄色い線より下がってお待ちください」
黄色い線より下がったOLの首にトカゲの舌のような物が
絡みつき、女性はホームに引き込まれた。
「きゃー」
あちこちから悲鳴が聞こえた。特急はブレーキもかけずに通過し、
OLを撥ねて、血がシャワーのように飛び散り、
肉片がボトッボトッとホームに落ちた。
そこへ、長い舌が肉片をくるっと巻き、
ホームの下に引っ張っていった。
******
中秋の満月が闇夜を照らしている夜23時、
青山霊園の道路にタクシーを停めて夜野礼司は寝ていた。
コツコツと助手席を叩く音がした。
「ん、何だ」
「私よ、私」
礼司が助手席のドアを開けると、そこに魔美が立っていた。
「魔美か、仕事か?」
「うん、阿佐ヶ谷の駅へ行って」
「OK、ところでさ」
礼司は鬼のノブを受け取ってそれを受け取った。
「ところで今日の鬼は?」
「阿佐ヶ谷の駅のホームで待っている客を
線路下に引きずり込む舌鬼よ。自殺者の霊が原因」
「この前のOLが落ちたやつか?遺体が無かったと言う」
「うん」
「あれは事故だったんじゃないのか。朝だったぞ」
「うん、今度の舌鬼の朝でも昼も活動するのよ。
食べたら直ぐに鬼の世界に戻るから
この前の呑鬼と一緒だよ」
「そうか、夜だけだと思っていたよ。今回の退治方法は轢き殺すのか」
「そうよ」
礼司は車を走らせた。
すると魔美からもらったダイバーズウオッチが金色にあり
文字盤に鬼の顔が浮かんできた。
「おお、時計が金色になった」
「それ残り60秒になると赤く点滅するからね」
「ウルトラマンか!」
「今から駅まで約30分だから、退治するまで30分しかないの」
「それがね、あちらの世界に入るには阿佐ヶ谷の駅のホームの線路が入り口なのよ」
「どうやって入るんだ? あそこは高架だぞ」
「そうよ。三鷹の駅の先の踏切から線路入るしかないの」
「何!その間の電車が来たら如何すんだ」
「23時29分に上り三鷹行きの電車が通過して、
次の電車が阿佐ヶ谷を通過するのが23時54分、つまり、のこり25分あるわけ」
「三鷹、阿佐ヶ谷間が約7キロだから、時速100キロで走って4,5分っていう事か」
「10分以内に鬼を倒せばいいわけよ」
「すごいなあ。この過密ダイヤの中に、もう1台入るようなもんだな」
「うふふ、まあそうね」
「ところでさ、最近あちこちの霊が見えるようになってきたぞ」
「霊能力がついて戻ってきたのね」
「元々あったのか?」
「当たり前でしょ。そうじゃなきゃ困る」
「何が?」
「いずれ解るわ」
礼司の運転するタクシーは、4車線の甲州街道を
制限速度オーバーで次々に前の車を抜いていった。
三鷹の駅を過ぎた1本目の信号を右に曲がり、
狭い線路沿いの道路を数100メートル走ると、
踏切りを前にして渋滞があった。
「おいおい、開かずの踏み切りだから渋滞しているぞ」
警報機が鳴り出し、目の前を23時29分の上り電車が通り過ぎた。
「やばいぞ。のこり15分。前の車とっとと走れ」
礼司は車を踏み切りに進めると、左へハンドルを切った。
「線路の上を走るのは初めてだ。行くぞ!」
礼司のタクシーはガタガタ走った。
「ルパン三世みたいだなー」
「そうね。あはは」
「砂利の上でスピードでないぞ」
砂利の上をすべり、線路でボディを擦って火花を散らした。
三鷹の駅を過ぎると100キロにスピードが上がった。
「のこり10分」
「魔美、このまま阿佐ヶ谷の駅を真直ぐ通りぬけるだけで殺せるのか?」
「うん。駅の手前100メートルで向こうの世界に移るから、
その時ハイビームにして鬼の動きを止めて轢き殺せばいいの」
「OK」
タクシーは順調に進み、入り口が線路の上に黒い穴が開いていた。
「そこに入ればいいんだな」
「そうよ。のこり5分」
「おお順調。アニメならここでパンクすんだが、大丈夫そうだ」
すると、後ろのタイヤがパンクし、ゴトゴト音を立てて車が激しく揺れた。
「やっぱり普通じゃ終わらないと思ったよ」
「そのまま入れば車が元に戻るから」
「おお、そうか。了解」
礼司はアクセルをいっぱいに踏んだ。
リアの右タイヤのキュキュキュという音と共に、
砂利を撒き散らしながら回わり真っ暗なトンネルは
遊園地の乗り物をほうふつさせる雰囲気で、行きよいよく斜めに落ちた。
車が水平になって穴に入ると、目の前には人間のような顔で黒い長い舌を出す緑色のカメレオンのような鬼が4本足で立っていた。
その舌は、鞭のようにヒュンヒュンと音を立ててこちらをけん制している。
「あれよ」
魔美が指を指した
「よし、ハイビーム」
鬼は反対の線路に移った。
「わりと単純だよな」
礼司はすでにハンドルを右に切っていて舌鬼にハイビームをあてた、
するとそれは足にあたり緑色の体が白く変色をした。
「弱っているわ」
舌鬼はバランスを崩しながらジャンプをしてタクシーの屋根の上に乗った。
「やっぱりな、ここしかないよな」
車は新宿方面を向いたままバックし、ホームの一番後ろで停まった。
「あと、何分だ」
礼司は鬼の時計を見る余裕はなかった。
「2分30秒よ、大丈夫?」
「りょ、了解」
上に乗った鬼の舌は長く伸び、バンバンとフロントガラスを叩いていた。
「フロントガラスをべとべととさせやがって、きたねえな」
礼司はギアを一番奥の6速に入れ、アクセル奥まで踏み、
回転をいっぱいに上げた。
「魔美シートベルトにしっかり掴ってて」
「うん」
礼司はアクセルをいっぱい踏むと
後輪から白い煙が出た瞬間、車体は弾き飛ばされるように飛び出し、
上下線の線路の間にある黒い箱にフロントの左タイヤを乗せた。
その瞬間タクシーは宙に浮き、横になって屋根の上の
舌鬼を上りホームの間に挟んだ。
「きゃー」
と魔美は悲鳴を上げた。
横になったまま20メートルほど走ると、車体の間に挟まった
舌鬼の反動で元に戻り、数メートル前に進んだ。
「鬼は?」
「下に落ちている」
「おお」
礼司は屋根から落ちてホーム下に横たわっている
舌鬼をバックさせ踏みつけた。
その体が破裂し、血が飛び散ってホーム下にいる霊たちに付くと、
5つの白い霊魂がカラーになり、ゆっくりと空へ上がっていった。
「やった」
「おお」
「すぐに出ないと、のこり1分しかないわ」
鬼の時計が赤く点滅していた。
礼司はバックのままアクセルを思い切り踏み込んだ。
ホームを過ぎて広くなった所でUターンをして
穴から出ると元の世界に戻った。
「きゃー」
「何が〝きゃー〟だよ」
「後ろから下り電車が来る」
バックミラーに電車のライトが反射した。
「早く言えよ」
「ははは、楽しい」
「パンクしたままだからハンドルが取られる」
タクシーは蛇行して走り、そして三鷹の踏切りを
左に出てすぐに停めた。
「タイヤ交換するぞ」
「はい」
礼司は手際よくトランクからタイヤを取り出し、
ジャッキで車体を上げた魔美は後ろに立って礼司に話しかけた。
「そうだ。魔美、おまえさんといると、
何か懐かしい感じがするんだ」
「どんな?」
「お前の子供の頃を見た事があるような気がする」
「うふふ」
魔美がニヤニヤ笑った。
「何だ。気持ち悪いな」
礼司はジャッキをおろして言った。
「任務完了」
「お疲れ様」
「今日のタクシー代は?」
「10000円。残りはチップよ」
「サンキュー。じゃあ、このチップでフェミレスで夜食だ!
月見団子もな」
「うん」
魔美が礼司の腕に抱きついた。
「な何だ。デジャブーか? どこかで体験したような……」
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