26〈ちえみ〉Where is the Love?


ダーク・シーから溢れた者達を見付けられる間はまだ良かった。


カルミラ・ダーク・ブルーは元は鈴木千恵巳ちえみという普通の百合作品好きな19歳のフリーターだった。しかし今や彼女は銀髪の吸血鬼ヴァンパイロになっていた。

清潔にくびれショートに刈った銀の髪には薄墨と白のメッシュが入り、真っ白な肌と紅い瞳孔に薄ピンクの唇、漆黒のベルベット地の聖歌隊ケープには髑髏のレリーフが施された緋色のボタンが金の糸で縫い留められ、白い繊細なレースの襟が付いている。黒いショートパンツはケープの裾でほぼ見えず肉付きの良い真っ白い太ももがあらわになっていて足先には黒光りするエナメルのメリージェーン型ハイヒールを履いている。手には黒地に紅いサソリの模様の本体に、持ち手に蝙蝠の銀細工があしらわれ先端から波型の刀身が飛び出る全長50cmの短い仕掛けステッキ〈銀黒鐵蠍ぎんくろてっけつ〉を携えている。


ダーク・シーでは好みの顔の女性キャストを襲う仲間殺しフレンドキラーで、レズビアン吸血鬼と云うロールプレイをしていた。

「フフフ、イケない人ですね」

悶絶絶叫物の寒いセリフが千恵巳ちえみの決めゼリフだった。


「イケないどころじゃないよぉおお」

今のちえみにはそんなセリフを吐いている余裕が無かった。

ダーク・シーに於いて吸血鬼ヴァンパイロには日光に依る弱体化は無い。しか吸血鬼ヴァンパイロである以上、生存の為の吸血は必須だった。

小鬼精ゴブリン小悪鬼コボルトのゲボが出るような血液でも取り敢えず頑張って飲み干した。

小鬼精ゴブリンの血は粘度が妙に高くてネバネバしてるしこの世で最も汚い公衆トイレを煮詰めて出来たシチューみたいな風味がした。

小悪鬼コボルトの血は中学校のバレー部エースの靴下くらい臭いし異常に脂肪分が多くてヌルヌルドロドロしていて飲んだ瞬間脂肪肝になったんじゃないかと恐怖したほどだった。

でもどっちも頑張って飲み干した。

それで何とか吸血渇望を抑えていたんだけど、愈愈いよいよ血を吸えそうな怪物が減ってきてしまっていた。

「フフッ、これが生態系頂点の生物の苦悩と言う事ですね、ええ…」

時々自分の意思に反して創作キャラクターであるカルミラが自然と表面に出てくる事も悩みの種だった。何だか常に頭が混乱している感じがする。ちえみは自分の中にどうしようも無い程〈人の血を吸いたい〉と言う欲望が渦巻いている事になるべく気付かないフリをしていた。

南砂町の自宅から血を吸えそうな怪物を狩りつつ、あても無くちえみは歩き続けていた。

「お腹空いた…死んじゃいます…マジで…」

スーパー跡で大好物の筈のスパム缶を幾つか手に入れたが何故か全く食べる気にならない。ただ、血液だけが欲しかった。

空腹で空腹で頭がおかしくなりそうだ。


フラフラと歩き続けて、ちえみは錦糸町にたどり着いた。錦糸町に近付くに連れ、街のあちらこちらに『臨時避難所 江戸東京博物館』の手書き看板があった。

「た、助かります、ええ」

ちえみは看板の矢印に従って避難所を目指すことにした。避難所にはきっと沢山の食べ物があるだろう…。


江戸東京博物館周辺は一部バリケードの様に資材が置かれて居たが、本の出演者ブックキャストなら軽く飛び越える事が出来た。階段を登り橋桁のような形状の入口に近付くと、その手前に男が番をする様に立って居るのが見えた。


男は身長183cmの痩せたアフリカ系の男で、老いてはいるが背中はピンとしている。顎には白くなった髭を薄っすらと纏い、眼窩は深く窪みその中からギョロリとした大きな目が眼光鋭く周りを観察し、頬はこけ頬骨が浮いている。頭にはチョコレート色の帯の付いた白いフェドーラ帽を斜めに被り、真っ白な使い込まれたシャツを着ていて、下は黒いパンツ、よく手入れされた古い革靴を履いている。手に持った黒く分厚いハードカバーの本は端が擦り切れていた。


「そこで止まってくれないか!」

その老いた男は両手を広げてよく通る声でちえみに言った。友好的に見えるがちえみを警戒していることが分かる。

「私も人間です、敵じゃありません」

「君も本の出演者ブックキャストだな、念の為だ、幾つか質問させてくれ」男はちえみがバリケードを簡単に飛び越えたのを見ていたようだ。

空腹でイライラが募る。避難所らしき場所を見つけたのになんの権利があって邪魔するのだろう。でもこの男は『君も』と言った、暗に自分もキャストであると匂わせて牽制しているっぽい。

「君の名前と種族、職業、レベルを一つずつ教えてくれ」

おいおい、仲間殺しフレンドキルをするなら相手の情報をどれだけ前もって知っておくかはとても重要な要因となる。このジジイは私を殺す気かも知れない。それに何よりも自分の種族が吸血鬼ヴァンパイロであると知られる訳にはいかない、間違いなく入所を拒否されるだろう。

「あなたがフレンドキラーでない保証がありません、お互いに譲りませんか?」ちえみはなるべく友好的に聞こえるように言った。男は少し考えて口を開いた。

「君の言う事ももっともだ、私から譲歩しよう」

「私はChr·I Stop Her神よ、私は彼女を止める告発者アキュザントだ」

最初の言葉は何だ?意味が分からなかったが職業が告発者アキュザントだと言う事は分かった。もしもこのジジイが敵対しても自分の蛇の騎士セルペンテキャバリオならやや有利に戦える。

「私は蛇の騎士セルペンテキャバリオです」

「|The truth is kept secret〈真実は隠される〉」

男は手に持った本を掲げて言うとページをめくり、ちえみを見据えた。

「ありがとう、本当の様だね」

チェッ!告発者アキュザント技能レルテソか。ちえみは思わず心の中で舌打ちをした。嘘を見抜けるのは厄介だ、何とかして種族だけは嘘を通さなくては。

「名前も教えて貰えるかな?」

「名前はちえみ、種族は新人類ネオホーマです」

吸血鬼の肌の白さも新人類ネオホーマと云う事なら違和感は無い。それに嘘と真実を混ぜてどちらが嘘か判断できるのか?

「|The truth is kept secret〈真実は隠される〉」

「嘘をついたね」手に持った本に目を落とした老人の表情が厳しく曇る。

「ごめんなさい、本名を言うのは危険だと思ったので…。でもあなたも名乗っていないですよね?」此れは賭けだ。名前の方が嘘だということにする。二つの言葉の内のどっちが嘘かまで特定できるならおしまいだがYes・Noの判断しかできない方に賭けた。もしもどれが嘘かまで特定出来るならもう仕方が無い、暴力的にここを制圧するしか無い。

Chr・I Stop Her神よ、私は彼女を止めるが私の名前だ」男が言う。

「それはキャストネームでは?」

「それにI Stop Her、なんて言われたら警戒してしまいます」

しばらくの沈黙の後で男は小さく溜息をついた。

「君の言う通り、此方こちらにも落ち度があった、君の言うキャストネームと云う言葉の意味は分かり兼ねるが、ただ私の名が呼びにくければ C・I・S・H、シㇲと呼んでくれて構わない」

「ありがとう、シㇲさん。私はカルミラ・ダーク・ブルーです」

それを聞いたシㇲは再び本に目を落とし

「真実をありがとう、レベルを聞かせてくれるか」と言った。

上手く行った、やはり言葉の中のどれが嘘かまでは判断できない様だ。まんまと吸血鬼ヴァンパイロではなく新人類ネオホーマと云う事にできた。これで相手の警戒心は大きく軽減されただろう。

だがレベルを言うのは厄介だ。ちえみはレベル62、高レベルプレイヤーだが向こうがそれ以上の場合殺される可能性があり、逆に向こうがより低レベルなら警戒されて迎え入れて貰えない可能性がある。

「シㇲさん、レベルを言うのはお互いにデメリットが大きいのでは無いでしょうか?あなたは嘘を見破れるようですので何か私を信用できる質問をしてくれませんか?」

シㇲは窪んだ眼窩の奥から《ジィ》っとこちらを見つめている。

シㇲにとっても自分より職業的に優位な相手がレベルでも上回っていたとすれば、これ以上刺激して関係を悪くするのはマズい筈だ。さあ、敵なのかどうかをその技能レルテソで確認しろ。

ちえみは事の成り行きがジリジリと自分の思う通りに進んでいるのを感じていた。

「ふむ…」

「|The truth is kept secret〈真実は隠される〉君は私を含む此処にいる人々に憎悪や復讐心と云った敵意を持っているか?」

来た、敵意なんてある筈が無い。

「誓って敵意はありません!」

暫くの間シㇲは手にした本を凝視したのち

「色々と済まなかった、カルミラ、君を歓迎しよう」そう言ってちえみのもとに歩み寄ってきた。

「ありがとう、とても空腹で辛かったの」

「豊富では無いが食べる物はあるよ、ブックキャストであるカルミラにはこれから一緒にここを守って欲しい」シㇲは笑顔を見せた。

「敵意が無いって証明できて良かったです」ちえみはやっと食事にありつける喜びに頬を緩めた。


敵意、そう、敵意なんてあるものか、吸血鬼ヴァンパイロにとって人間など捕食と支配の対象でしか無いのだから。

其処そこに在るのはむしろ『愛』ですらある。

ちえみは美しい笑顔をほころばせ、自身にとって食糧の山である避難所の扉の向こうへ悠々と消えて行った。

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