25〈肥田慎二〉My Favorite Game
非常事態宣言の着信音が流れ、樫井真央はスマホを手に取った。
「お父さん大丈夫かな」
父親である自衛官の
「大丈夫?気をつけてね」と送信する。
「ふぅ」
TVで何か分かるかも知れない。
リモコンを手に取り画面に向けた時、真央は異様な気配を感じた。心霊写真を見たときのような何とも言えない感じだ。日常であって日常で無い、突然他者の悪意がぬるりと生活に入り込むような違和感。
まだスイッチの入っていないTVの真っ暗な画面には真央と部屋の様子が反射していた。ジェラート・ピケのモコモコのパジャマを着た真央が中央に居た。後ろにはお気に入りのターコイズブルーの木製シングルベッド、大学生になり一人暮らしをはじめてから使っている愛用品。大学生二年の頃付き合っていた彼がペンキで色を塗ってくれた物だ。彼とは就職を期に遠距離になり自然消滅してしまった。そのベッド後ろに出窓があり、そこにはクマのキャラクター、「ぺろくま」シリーズのぬいぐるみが二体。窓には赤いブロックチェックのカーテンがかかっていて……。
其のカーテンの隙間に顔があった。
長い髪を額に垂らして硝子に頬をベッタリ付けてこちらを覗き込んでいる顔があった。外には
真央は背中に一気に汗が吹き出すのを感じた。体が恐怖で動かない数秒が、真央には数分にも感じられた。
何も気付いていない素振りをし、真央は其の
〈あれって…肥田さん…?〉あのねっとりとした目つき、光を宿さない黒目。真央は同僚の肥田の事を思い出した。
すぐ近くの筈のキッチンが余りに遠い。やっとの思いで引き出しに指をかけた
「戦うな、逃げろ」
〈催涙スプレーを浴びせて逃げるんだ〉引き出しからスプレーを取り出し振り向いた真央のゼロ距離、目の前に髪を顔にベッタリとへばり付けた肥田が立っていた。
「真央ぉぉおお」そう言う肥田の手には抜き身の刀が握られている。
「嫌ぁぁああああああっ!」真央は叫び、ドアに向かう。左手でドアノブを掴んだ瞬間、右腕を肥田に《グイ》と掴まれる。
「何だぁ、おい!守りに来てやったんだぞぉ」そう言って肥田が真央の身体を引き寄せようとした時、《プシュゥウ》と真央は左手に握っていた催涙スプレーを肥田の顔面目掛けて吹き掛けた。
「あああぁぁああ!いぃぃってぇぇええええ!」叫びながら肥田が
「お前よぉ…俺の事舐めてんだろぉ」
背後から荒い鼻息で肥田が突き刺した
「熱っ」
足を絡ませながら真央は公園の中に逃げ込む。彼女のジェラート・ピケの白いモコモコの生地が腹部から赤く染まっていく。〈殺されちゃう、殺されちゃうよ、弓削さん…〉この状況下で真央の心に浮かんだのは父親では無く、弓削廉太郎だった。
「弓削さん…助けてよ」小さく呟きながら真央はブランコの手前に倒れ込んだ。
ゆっくりと後を追ってきた肥田の耳にその呟きが届く。
「弓削ぇ?」
肥田は自分がかつて無い程激昂するのを感じた。
この、この俺が来てやったと云うのに弓削か、よりによって弓削か!しかも俺の顔にスプレーを浴びせやがった。このクソブスが、誰だろうとこの俺様の美貌を汚す奴は許さねぇ、この俺様の美貌を認めない女は許せねぇ!
肥田は赤く染まった背中を丸めて
「ぐハァ」と息を吐く。
「うぅうっ」お腹を押さえたまま真央はうめき声を上げた。
「ひ、肥田さん…なんで…」
肥田は蔑む様に真央を見下ろし
「お前ぇが悪いよなぁ、どう考えたってさぁ」冷たい声で言い放つ。そしてゆっくりと真央の腹部に
その度に真央は小さくうめき声を上げ、真央の内臓の手応えと彼女の苦悶の声が肥田の心を満たしていった。
《ビュォオンッ!》
恍惚としている肥田の耳に聞き慣れない風切り音の様な音が響く。
真央の腹部に刀を刺したまま肥田が振り返ると、
そして其の女は真央と同じ顔をしていた。
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