27〈ノル〉Sing it back
「真央?」
肥田は我が目を疑った。
頭には漫画や映画に出てくる様なフチの大きな魔女帽子を被り、上半身は金の装飾が施された濃い紫のサテン地でプリーツのついたビキニに胸元には液体の入った香水瓶のネックレスなど多数の首飾りや宝石のついたイヤーカフとイヤリング、下半身は前が大きく開いて緩いプリーツの施された紫のロングスカートにヒールのついた編み上げの金のサンダル。やや褐色味を帯びた肌の色。おかしな衣装に身を包んでいるが自分がたった今殺した真央と同じ顔の女が立っていた。
「肥田君?」
ノルは自分を見つめる視線の主に気が付いた。AWAパッキングの後輩の肥田だ。そして其の足元に倒れる女性を見た。
霧のような細かな雨によってしっとりと濡れた公園の土の上に女性が仰向けに倒れていた。モコモコした生地の白いトップスの腹部は赤く血に染まり、その
「
ノルの呪文で肥田は靴底を地面に擦りながら3m程後方に強制的に移動させられる。ノルは呪文詠唱と同時に女性に駆け寄り、身体を起こして絶句した。自分と同じ顔、そう、樫井真央だった。
「樫井君…」
「樫井君!」
雨に濡れる樫井真央は少しだけ目を開きしばらくノルの顔を見つめた後、呟いた。
「どうして……私?…その…顔」
真央の腹部に回復魔術を集中させるが魔女の与回復力には限度がある。致命傷を癒すほどの力が無かった。
「真央君、真央君!」無意識の内にそう呼んでいた。
樫井真央はノルの頬に手を伸ばし少し触れ
「そう…呼ぶのは、弓削さん…だけ」と少し笑う。
次の瞬間、真央の腕は力を失い、そっと目を閉じ、永遠に其の
真央が言った『弓削さん』が何の事か分からなかった。ただ樫井真央が肥田慎二に殺された事だけは分かった。自分が樫井真央と同じ顔なのは何故なのか覚えていなかった。
突然何か巨大な物体に押された様に後ろに弾き跳ばされた肥田は、女に異様な空気を感じながらも三つの生命を奪った感触に酔っていた。見られた以上この女も殺すしかない。
「お前は、真央の何なんだぁ!?」
刀を上段に構えながらゆっくりと女に近付く。
ノルは真央の体を優しく地面に横たえ、肥田に向き直る。
「人を殺すなんて、肥田君」
「俺の事も知ってる?」正眼に移行しながら肥田がジリジリと近づく。
「ヤェイッ!!」気合の雄叫びと共に肥田が女の喉元目掛けて突きを放つ。剣先が女の居た場所に届いた時には既に彼女は2m後方に居た。肥田は正に魔法を見せられた様な驚きの表情で
「何だお前は、真央の顔をして、おかしな服を着て、
ただこの女はこっちを攻撃しては来ない。あの小さなトカゲ人間ほどの危険は無さそうだ。手に黒い杖を握っているがそれも金の植物の彫刻が施された、とても武器とは呼べないまるで美術工芸品だ。
《パツン、パツンッ》
斜めに被った帽子の大きなつばに雨粒が跳ね返る音を、ノルは妙にはっきりと聴いていた。頭の中に色んな思考が巡っていた。こんな世界になってしまっている事。人類の存亡の危機。人間同士で戦うなんて馬鹿げている。でもどうしても、今、眼の前にいる男が憎くて仕方が無い。
〈憎しみは何も生まない、新しい憎しみが連鎖するだけ〉
何処かで何度も聞いた言葉が頭の中を渦巻く。肥田にも家族が居るだろう。肥田を愛してる人も居るかも知れない。《ビシャッ、ビシャッ》とサンダルの音を
「肥田君」
瞬間、肥田は上段から女の頭部目がけて面を放つ。つばの広い帽子を深く被ったこの女からは肥田の上腕の動きは全く見えていない。肥田には其れが
振り下ろされる刀身が帽子ごと女の頭を切り裂いたと思ったその時、その正面、女の頭部の前に突如黒い杖が現れ《キィイン!》と音を立てて刀は弾き返された。女の動きは人間の尋常の速さを遥かに超えている。
「肥田君」
『昏き森の雫』を正面に構えたノルが肥田を見据えていた。
「肥田君、もう無理だよ」
ゆっくりと頭を上げて女が言う。涙で濡れた瞳だが氷の様に冷たい視線。
「くっそ、何だコイツ」
あんな木製の杖なのにまるで鋼鉄の塊に弾かれた様な感触だった。肥田は刀を握る手が熱くなるのを感じていた。
「肥田君、もう戦えないよ」
ノルは肥田の間合いを無視して踏み込んでいく。
「戦えない?降参か?」女の喉元に突きを打つ。しかし刀は肥田の思った様に動かなかった。
何だ?刀がしっかり握れていない。
「そんな鍔のついていない刀で振りかぶるからだよ」
女の言葉に自分の手を見る。
肥田の左手の人差し指は第二関節の辺りで切断され、皮だけでぶら下がっていた。中指、薬指、小指にも深い切れ目が入り日本刀の木柄は血で真っ赤に染まっている。自分の足元はいつの間にか赤い血溜まりが出来つつあった。面打ちを正面から弾かれた時にその衝撃で鍔のない白鞘の柄から指が滑り、自分の刀の刀身で指を切断していたのだ。其の手の
「ああああああっっ!!ちっくしょぉぉおおお」
刀をその場に落とし、肥田が膝を着いて左手を必死で庇っている。ノルは其れを見下ろし
「
「
更に弾かれる。
《ビシャ、ビシャッ》美しい爪先が泥を蹴って、容赦無くノルが近付く。
「
公園の外周を囲う金属のフェンスに激突し、肥田の身体が
「やめろ!やめろ!やめろ、馬鹿野郎!!」
全身泥に塗れて茶色になった肥田が叫んだ。
「殺す気か、お前も人殺しだ!」
泥跳ねでノルのサンダルも足首までもが汚れていた。
「どうしてかな?何時だったかサンダルが汚れるのがとっても嫌だった事があったんだ」
汚れた自分の足を眺めながらノルは呟いた。
「…それってきっと、余裕があるって事なんだよね」
「何だ、何を言ってる」肥田の左手は真っ赤に染まり、何度も吹き飛ばされて全身は打撲と骨折でとても動けない。
「今はサンダルが汚れてもどうでもいい気分なんだ」
ノルは『昏き森の雫』を寝転がる肥田に向け
「
「
高圧の水球の直撃を受けた肥田の膝から《メキメキボキッ》と言う音が鳴り膝から先は真横にひん曲がり、脛の辺りから折れた骨が白く飛び出した。肥田は絶叫している様子だがその声は魔法の効果で音を発する事が無かった。
「憎しみや復讐は何も生まないけど…何かが生まれる必要なんて無いよね」
「納得が欲しいだけなんだよ、きっと」
フェンスにめり込み、血と泥に塗れて涙をボロボロ流す肥田を見下ろしたノルはそう呟くと
雨に濡れた真央の体は冷たくなっていた。ノルは其の体を抱き上げ、公園の隅まで運ぶ。真央の体を立たせるように持ち上げると
「こんな所で、ごめんね」と呟き、呪文を詠唱した。
真央の足元から幾つもの美しい植物が芽吹いた。みるみる成長した無数の其れ等はやがて真央の身体を護るように取り込み、成長を続け、やがてとうとう一本の大きな樫の木になった。
《パツン、パツンッ》帽子のつばに跳ねる雨音。
ノルはその眼からポロポロと大粒の涙を流しながら、その木の成長を仰ぎ見ていた。
そして樫の木が成長しきった時、この木が何なのか、自分が何故泣いているのかを忘れてしまった。
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