22〈肥田慎二〉の冒険


街は驚くほど静かだった。

「何だよ」

携帯に来たアラームやメッセージの大袈裟な内容と街の様子にはギャップがあった。

《ブイイイイン…》

肥田の走らせるヤマハのトリシティのエンジン音が妙に静かな街に響く。五分ほど走り笹塚に差し掛かった時、道路脇から黒い何かが飛び出して来るのが見えた。

「うぉっ」

慌ててハンドルを切り一瞬路肩に乗り上げたがトリシティのLeaning Multi Wheelリーニングマルチホイールの効果で転倒することは免れた。

「何だよ、クソが」

猫だったら試し斬りに使ってやろうとバイクを停めて飛び出してきた物を探す。『三崎内装』と車体に書かれた路上駐車された黒ナンバーの軽ワゴンの下を覗き込むと何か小さな物がモソモソと動いているのが見えた。れは猫にしては肌が黒光りをしていて、何より四足歩行の雰囲気では無かった。

「あ?何だこいつ?」

其の生き物はこちらに背中を向けてモソモソと動いている。肥田は大和守安定やまとのかみやすさだの鞘の先で其の生き物を突いてみた。ビクッと其れは動き、ゆっくりと肥田の方を向いた口元にはネズミの頭部が咥えられていた。大きなギラついた両目に左右に大きく張り出した三角形の耳、張り出した腹部に細い手足、そして鋭い爪と爬虫類の様な赤っぽい肌、肥田には知る由も無かったがそれは機械精グレムリンだった。


「ギギッ、アクボッ」


其のの化け物が叫び、何かがこちらに飛んでくる事を感じた肥田は咄嗟に体をけ反らせた。しかし飛んできた何かはワゴン車の下を覗き込もうと地に着けていた肥田の左前腕を掠めた。

《バシュッ!》

「痛っってぇ!」

プロ野球選手の直球でも受けたのか?腕が骨まで《ズキン》と痛む。肥田の左腕は水にビッショリと濡れている。

「何だてめえはぁあ?」

のそりと車の下から現れた化け物は身長50㎝程度の蜥蜴人間と言った風に見えた。肥田は大和守安定やまとのかみやすさだの鞘を払い刀を構えた。左手が痛みで使えないが利き腕が使えて良かった。

「ギッ、やめろ、俺様つよくなった」

蜥蜴人間が人語を発した。

その時、肥田は東京で今何が起こっているのかを理解した。何かは分からないがこの蜥蜴人間が街をうろついているのだ。

「アクボッ」

蜥蜴人間が叫び、発射された何かが肥田のバイクに命中する。フロントカウルとライトカバーが割れて中のLED電球と基板が剥き出しになった。そして其の破壊跡も水に濡れていた。高圧の水玉を発射しているようだ。

「ケルヒャーの化け物って訳かよ」

左腕が泣きたくなるくらい痛いがバイクを壊されてこの蜥蜴人間に対する怒りはより大きくなった。自分よりずっと小さな化け物だ、勝てない訳がない、ジャーマンシェパードと戦うよりずっとマシだろう。

蜥蜴人間を睨みつけながらジリジリと間合いを詰め、肥田はある距離になるタイミングを待つ。学生時代は幅跳びの選手だった肥田にはコイツに勝つ自身があった。

次の瞬間。

肥田は一足跳びに蜥蜴人間の頭を飛び越え、其の背面に着地した瞬間に踵を思い切り後ろに蹴り上げた。革靴の硬い踵部は不意を突かれた化け物の背中を直撃し化け物は2mほど吹き飛んでいった。自分の何倍の大きさの生き物に立体的な戦いを挑まれては対応出来ない、しかも肥田は着地した瞬間振り向く事もなく後ろ蹴りを放っていた。


街頭の柱に叩きつけられた機械精グレムリンが「ギギ、クソッ」

と顔を上げた瞬間キラリと光った何かが自分の腹に刺さったのが分かった。勝ち誇った顔で人間が自分を見下している。機械精グレムリンの身の丈の二倍の長さもあるような刃物がその手に握られていた。

「化け物が、思い知ったか」

人間はそう言いながら腹に刺さった刃物をひねった。

「ウギギ…」

なんて酷いやつだ。こっちは最初から戦いを避けようとわざと魔法を外して警告をしたのに、酷すぎる。腹の中で回転した刃物が内臓をひどく傷付けるのを感じる。チクショウ、人間って奴は全く……。機械精グレムリンのギーギ・フーブは静かに目を閉じた。


「ふふふっ」


油っぽい汚い血が付いてしまったが化け物を殺した。生き物を殺した事に、肥田は不思議な高揚感を感じていた。木綿の青いジャケットを脱ぎ、刀身を拭うとそれをそのまま道端に捨て、肥田は再びバイクに跨った、其の時。

「痛っ!」

急に肥田の顔に痛みが走り、思わず頬を手で覆う。

「シャァァァアアアオ!」

背中を丸く曲げ、体毛を総毛立たせた大きなトラ猫が肥田の足元に居た。この猫に飛びかかられた様だ。

「痛ってえなあ、野良猫?」

「ウァァァオ!」雄叫びをあげた後、再び猫が飛び掛かってくる。

反射的に肥田は刀を振り被り、その刀身が猫の左肩から腹部を貫いた。

「何だよ、怖ぇな、動物もおかしくなってんのか?」

肥田はそのまま猫を地面に《バァン!》とアスファルトに叩きつけ、猫の腹から《ドロリ》と流れ出る内臓を見つめながら考えていた。


何処か遠くのサイレンの音が絶え間なく響く。

行く先でまた蜥蜴人間が居たら片っ端から切り捨ててやろう。大和守安定やまとのかみやすさだを肩に担ぎ、肥田は樫井真央の家に向かってゆっくりバイクを走らせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る