21〈パロミデス〉eye of the Fiksriga


巨大な眼フィクスリガ…」


勇者パロミデスは思わずつばを飲み込んだ。

目の前に居たのはダーク・シーでも最悪の怪物の一つ、巨大な眼フィクスリガだった。


   ✣ ✣ ✣


大きな魔力の蠢きを感じ、飲食店や事務所が入居する六階建ての『第1カネマツビル』に入ったパロミデスは慎重に歩を進め、二階を目指した。一階は既に瓦礫の山と化し人々の死体が散乱していた。死体はどれも口から鼻から、ある者は目からも血を噴き出して倒れている。薄暗い階段を聖剣クロスクレッシェンドラムを構えて進む。階段を上がってすぐの「喫茶ロレアン」のショーケースにはパスタやカレーを中心とした食品サンプルが並んでいた。

「まがい物の食物しょくもつ?」

書いてある文字の意味も料理の味も見当が付かないが、その精巧さから技術・文化レベルが高いことはパロミデスにもく分かった。

《ガンッバカンッバキバキッ》と何かが破壊される音が薄暗い廊下の先から聞こえてくる。

音の聞こえる先で木片やコンクリート片、ガラス片が宙を舞っているのが見えた。


巨大な眼フィクスリガ…」


ビルの二階の天井を突き破り、三階の床の大部分を削り取って宙に漂うれは、魔力の暴風で周りを渦状の瓦礫に変えて、体は薄っすらと光って見えた。水道管が破られたのか、破壊された天井部から滴った水が魔物の足元に大きな水溜りを作り、池のようになっていた。

怪物を中心として渦を描くように瓦礫の中に倒れた二階フロアの人々は、目や鼻から噴き出した血が顔面にこびりついている。パロミデスも戦った事の無い強力な魔物の姿がそこにあった。


巨大な眼フィクスリガ〉は体長およそ2・5m、濃緑色をした球体状の体を持ち、直径1m程もある巨大な眼が体表の不規則な位置に二つ付いた怪物である。球体の目以外の場所には人間のものによく似た大小様々な大きさの口が無数に付いている。目を開いている限り反魔法アンチマジックフィールドを張っており、火や水、風等のあらゆる魔法攻撃を遮断する。手足は無く、通常は地表から50㎝程宙に浮いている。第14巻「深世界へ」の全フィールド上にまれに出現し、レベルは60である。半径10m圏内に不用意に足を踏み入れれば生還はほぼ不可能と云う初見殺しの強力な魔法生命体だ。


「アイボガルドォ、デデデデルマ、イルゼゼナェー」

片方の目でパロミデスをチラリと見た巨大な眼フィクスリガは無数の口からそんな声とも音とも付かない物を発した。


其れを聞いた途端、パロミデスは後頭部を鉄塊で殴られたかの様な強烈な頭痛に襲われ、思わず膝を付いてしゃがみ込んだ。《ゴォオオオオオッ》と云う耳鳴りがパロミデスの脳内に響き渡りとても立っては居られない。

「アイボボボガルドォー」

蔑みのような目でパロミデスを見下しながら巨大な眼フィクスリガは音を発している。次の瞬間にはパロミデスは鼻血を吹き出し完全に倒れ込んだ。

「グ、グッ、このままでは本当に死ぬ…」

パロミデスは聖盾クロスフルを取り出し、その陰に隠れるように潜り込んだが何の効果も得られなかった。

響け聖槍ソーノランソ

パロミデスの掌から黄金色の光が溢れ出し、地に横たわった其の手に光波打ち、輝く槍が生成された。パロミデスが持つ数少ない強力な遠距離攻撃だが、相手に向かって投擲する必要がある。

「ボボォォードララーガァー」

巨大な眼フィクスリガが発する声が衝撃波の様に空気を震わせ、激しい頭痛がパロミデスを襲い続け、腕がブルブルと震える。

「グ、ググぅ…」

何とか腕を持ち上げようと試みるが立ち上がることすらできない。やがて光の槍はその形を維持できず霧散してしまった。消えて行く光の槍を見つめるパロミデスは視界が薄っすらと赤くなっている事に気付いた。

「何だ?」

疑問は直ぐに解消される。消えて行く槍を握った手の平に自身の目から滴り落ちた血が丸く染みを作っていったのだ。

「フ、火焔フラモ

直径20㎝ほどの火球がパロミデスから発射される。巨大な眼フィクスリガは目を細め、嘲るように火球を見ている。火球は魔物に近付くにつれ見る見る小さくなり《シュゥッ》と消失してしまった。

「デデデルマァー」

完全に地面に倒れ込み、鼻と目から出血しながらパロミデスは死を覚悟していた。口中に鉄の様な血の味が広がる。


手も足も出ない…、完敗だ…。

この何処かも分からない世界で突然死ぬ、元の世界では勇者と呼ばれ無敗を誇ったこの私が呆気ない…。


《ビュゥゥウウンッ!》

床に伏せたパロミデスの耳に大きな風切り音が響く。

次の瞬間ブチッと大きな音が鳴り

「ボォォオオオォッ!」と云う巨大な眼フィクスリガの声がビル中にこだました。僅かな力を振り絞って顔を上げたパロミデスが目にしたのは、片方の眼球に長い棒を突き刺され苦痛で回転する巨大な眼フィクスリガの姿だった。

パロミデスには知る由もないがそれは「一時停止」の標識だった。

「ボォッボォオオオォー!」

グルグルと激しく回転し、巨大な眼フィクスリガは何とか標識を引き抜こうとしている。

次元転移ディメンジノメタスぅ」

声と同時に巨大な眼フィクスリガの側の空間に突然、女が現れた。

「そりゃっ、とぅ、ほれっ」

掛け声を掛けながら女は回転する巨大な眼フィクスリガの口にタイミング良く何かを放り込んでいく。巨大な眼フィクスリガから発せられる音が其れに伴って小さくなっていく。

「自由意志の…民…」パロミデスが呟く。

「これで最後っ」

女が言った直後に巨大な眼フィクスリガは宙に浮く力を失い《ドォン!》と大きな音を立てて落下した。《ズリリ、ズリリリィ》埃が舞う中でも尚、怪物は体を床に擦りながら回転を続けている。


池の様に溜まった水の中、ふわりとパロミデスの側に降り立った女は大きなつばの付いた黒い帽子を目深に被り、沢山の美しい金細工のアクセサリーで身を飾っていた。

魔女の良いスウプウィチマボナスーパ

女は勇者を向いて回復術を詠唱した。大きな回復力は無いが頭痛が消えただけでパロミデスには充分だった。

「助かった、ありがとう」勇者の力で自己回復しながら礼を言う。

「勇者パロミデスだね、懐かしいな、私はノル」女が名乗る。

何処どこかで会ったか? すまないが憶えていない」

それを聞いたノルはふふっと笑い

「まあ、君はそういうものなのだろうね」とく分からない事を言った。

「しかし君は魔女ウィチモか、とんでも無い強さだな」

巨大な眼フィクスリガは何度も倒してるからね、コツがあるんだよ」ノルと名乗った魔女は少し得意気だ。

聞けば巨大な眼フィクスリガの口々から発する音にはそれぞれ自己浮遊、強力な状態異常、身体中枢へのダメージと云った効果があるが、音を出している口を塞いでしまえばそれを防ぐことができると云う。

「あれの口には舌が無いからね、石でも詰めれば自分で吐き出せないんだ」

「攻撃音を出させない為に最初に目を刺したのか」

攻撃魔法は遮断されてしまう為に使えない。音が届かない距離から物理的な攻撃で先制し、攻撃音を止めさせる必要があったと云う事だ。

「体を回して抜こうとするから刺す物には抜けないように『返し』を付けるのが大事だよ。攻撃音を出す余裕が無くなれば後はあいつの口を塞ぐだけだからね」そう言ってノルはサンダルのヒールで標識ポールの先端を曲げた時の様子を演じて見せる。

「大きな口はどうする?石では塞げないだろう」

「大きい口は吸気専用なんだよね、だから塞ぐのは小さいのだけで良いんだよ」

経験に裏打ちされた完璧な攻略法、パロミデスは心底感心した。


《ズリリ、ズリリリリィ》尚も回転し続ける怪物を見てノルは

「パロミデス、あなたがトドメを」と言った。

パロミデスはコクリと頷き、手から煌めく光の槍を生成し巨大な眼フィクスリガに近付く。標識の刺さっていない方の目でパロミデスの姿を認めた怪物は何とか此処から逃れようと体を動かすが、足を持たない体はその場で虚しく回転するだけだった。パロミデスは槍を握り込み、それを怪物の眼球に渾身の力を込めて強く突き刺すと《ブチャッ》と音を立てて異臭を放つ灰色の液体が飛び出した。

「ブゥッ!ブゥッ!」

石の詰まった口の隙間から怪物の嗚咽が漏れる。回転を止めて体を激しく左右に振っている。

「まだ生きてるね」

ノルの言葉を聞いて、一撃で仕留められない己の非力さを恥じてパロミデスは赤面した。

大・火焔グランダフラモッ!」

渾身の魔法力を込めた勇者の両手から放たれた火球がバチバチと怪物を燃やす。

「ブゥゥゥウウフッ」

最期の断末魔を漏らしながら巨大な眼フィクスリガは大きな灰の塊になった。そしてその灰の中に何かがキラリと光ったのが見えた。

「おー、凄い!めっちゃレアだよそれっ」

ノルが興奮してパロミデスの背後から肩を叩く。

パロミデスが拾い上げたそれは眼球を模したペンダントだった。

「〈eye of the Fiksriga〉だ、良いものを拾ったね」とノルが言う。

「いや、これは君の物だろう」

パロミデスが振り返りペンダントを差し出すと、ノルは突然吹き出した。勇者は何が起こったのか分からず差し出した体勢のまま戸惑ってるが、魔女は構わず腹を抱えて

「ふひひひひっ、ヤバい、ひひひっ」とうずくまっている。

「あー、ヤバい、めっちゃ面白い」

一頻ひとしきり笑った後で涙をぬぐいながら

「鼻血きなよ」と言った。

ペンダントを渡そうとするパロミデスだったが、良いからとノルは其れを断った。

「きっと役に立つから、勇者が持っていればいいよ」


   ✣ ✣ ✣


行くところがあるからと別れを告げた魔女の背中を見送りながら勇者パロミデスは己の弱さを噛み締めていた。自由意志の民と比べて自分に決定的に足りていないもの…。


「経験、か…」

勇者はギュッとペンダントを握りしめた。

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