第12話
日差しの強い午後。
母に連れられ、沙耶とバルは水無瀬村の小さな商店通りを歩いていた。
アスファルトの照り返しでじんわりと足元が熱い。
軒先から吊るされた風鈴が涼しげに鳴り、焼き魚や漬物の匂いが混じり合って、いかにも田舎の商店街という雰囲気だ。
バルはというと、きょろきょろと落ち着きなく辺りを見回している。
(……まるで子どもが初めて遠足に来たみたい。顔はとんでもなくイケメンなのに挙動が完全に初心者でギャップすごいわ)
母が八百屋の店先で知り合いのおばさんに声をかけられ、世間話を始める。
「美智子さん、今日は娘さんと? ……まぁ、立派な男前も一緒じゃないの」
おばさんの視線は当然バルへ。
「む?」と本人は真剣に受け止めてしまい、堂々と胸を張る。
(やば、また変なこと言い出す予感しかしない……!)
幸い母が「外国から来ててね、ちょっと不思議な人なの」と笑って流し、話は野菜の安売りに移った。
その横で、バルは店先の野菜をじっと観察している。
「沙耶、ここはなんだ?」
「えっ……八百屋だけど?」
「やおや?」
きっぱり復唱された単語が、彼の口ではまるで呪文のように響く。
(……あぁもう、理解してない顔だ。絶対また“戦場の補給所か”とか言い出すに違いない)
案の定、バルは神妙に頷いた。
「なるほど、人間の糧食庫だな」
「違うから、お店やさん」
沙耶のツッコミが、商店街の蝉時雨に溶けて響いた。
バルは八百屋の棚を前に腕を組み、しばし考え込んでいた。
トマトやキュウリをまじまじと観察し、最後に大きくうなずく。
「……わかった」
あまりにも真剣に言い切るその姿に、沙耶は嫌な予感しかしなかった。
「ちょっと待って。今の“わかった”って、絶対分かってないやつでしょ」
「いや、分かった。ここは……糧食を人間が物々交換する場だ」
「だから違……わないのかな?」
思わず大声でツッコミを入れそうになった沙耶だが貨幣も物である以上物々交換になると納得してしまう。
八百屋のおばさんが目を丸くする。
「まぁまぁ、おもしろい人ねぇ」
(笑って済ませてくれてるけど! こっちは冷や汗ダラダラなんだから!)
バルは気にする様子もなく、さらに言葉を重ねる。
「なるほど、人は金という貝殻を差し出し、この糧食を得るのだな」
「これは貝殻じゃなくてお金って言うのよ! 現代日本ではお金と物々交換をするのよ」
母は「あはは」と苦笑し、杏奈がいたら絶対動画を撮ってSNSに上げたいと騒ぐだろう。
けれど沙耶は真剣だった。
(こんな調子で商店街デビュー……無理すぎる。恥ずかしさで胃に穴が空きそう)
それでもバルは堂々と胸を張っている。
黒髪が太陽を反射し、見ている通行人が思わず二度見していく。
(……顔さえよければ何言ってもセーフになるの、本当に納得いかない)
沙耶は心の中で強くため息をついた。
八百屋をあとにして歩いていると、通りの先で人だかりができていた。
町内会の男性たちが数人がかりで大きな木製の看板を持ち上げようとしているが、重くてなかなか動かないらしい。
「おお……これはイベントの看板か」
近くのおじさんが目を細めて呟くと、母が「町内会の夏祭り用ね」と説明する。
沙耶は足を止めて様子を眺めていた——その隣で、バルの目がきらりと輝いた。
(やばい。この顔は“俺がやる”顔だ)
予感的中。
バルは迷いなく看板へ歩み寄り、男たちの輪にずかずか入り込んだ。
「どけ。我がやろう」
「え、ちょっと! 誰だ?勝手に——」
止める間もなく、バルは看板をひょいと抱え上げた。
男たちが数人がかりで苦戦していた重量物が、彼の腕の中でまるで羽のように軽く持ち上がる。
「ふむ、どこに置けばよい?」
町内会の人々が目を丸くして指差すと、その場にどんと置いてみせる。看板が地面に落ちた瞬間、拍手と歓声がわき起こった。
「すごいなぁ! ひとりで持ち上げちゃったよ!」
「藤森さんとこの居候か? 噂どおりイケメンだねぇ」
褒められて、バルは得意げに胸を張る。
「うむ、感謝するがいい」
(ちょっと待って、なんでドヤ顔で決め台詞まで言ってんのよ! それに勝手に手伝っちゃダメでしょ!)
沙耶はこめかみに手を当てて、胃がきゅっと縮むのを感じた。
拍手喝采の中で仁王立ちするバルを、沙耶はぐいっと引き寄せて小声で叱った。
「……いい? 手伝うのはいいけど、勝手にやったらダメなの。まず“手伝っていいですか”って挨拶して、“お願いします”って言われてから動くの!」
バルは眉を寄せ、真剣に考え込む。
「挨拶……? ふむ、戦場では先に斬りかかるのが常だが……」
「ここは戦場じゃない!!」
沙耶の鋭いツッコミが商店街に響いた。
(ほんとにこの人、何にでも戦闘基準で考えるんだから……! でも……真面目に聞こうとしてるのが逆に腹立たしいというか……いや、ちょっと可愛いんだよな)
町内会のおじさんが笑いながら近づいてきた。
「まぁまぁ、そんなに気にしなくていいよ。助かったよ、ありがとうね。君が藤森さんとこの居候かい?」
「うむ。沙耶、褒められたぞ!」
ドヤ顔で報告するバルに、沙耶は思わず額を押さえた。
「もう……だから勝手に自慢しないでよ。……あの、すみません、迷惑かけたらすぐ言ってください」
ぺこりと頭を下げる自分の姿に、沙耶はふと気づいた。
(……あれ? なんだかんだで“居候”って認めてるような言い方しちゃった……私)
バルはそんな沙耶の動揺に気づくことなく、胸を張って言った。
「挨拶は……難しい」
「いや、難しくないから!!」
沙耶の声が響き渡り、商店街の笑いを誘った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます