第10話
翌朝。
蝉の声がじりじりと山里を包み、青空の下で桃の葉がきらきら揺れていた。
沙耶は父の軽トラックの助手席に乗り、後部座席ではバルが落ち着きなく外を眺めている。
(……ほんと、どこに行っても落ち着かないのね、この人。まるで大型犬をそのまま車に乗せてるみたい)
桃園に向かう途中、道端で困った声が聞こえた。
「おーい、正一さーん!」
見ると、近所の農家の井上さんが、泥濘にはまった軽トラの前で途方に暮れていた。
後輪が空回りし、ぬかるみから抜け出せないらしい。
正一は車を止め、帽子を押さえながら降りていった。
「やあ井上さん、どうしたんだい?」
「いやぁ、参った参った。泥にハマっちまってさ」
井上さんが苦笑いするのを見て、沙耶も慌てて降りた。
(あー、これは大人が数人がかりで押さないと無理そう……)
と、そこでバルが車から悠然と降り立つ。
「ふむ、これを動かせばよいのだな?」
「えっ……ちょっと待って、まさか——」
止める間もなく、バルは軽トラの後部を片手で持ち上げた。
泥に沈んでいた車体が、ぐぐっと浮き上がる。
井上さんが目を丸くする。
「お、おお……! こりゃすげぇ!」
父も「ははは、すごくな助かった助かった」と笑い、軽トラはあっさりぬかるみから脱出した。
(……いや、待って。軽トラを片手って普通じゃないから! この人、筋肉番付どころじゃないって!)
沙耶は頭を抱えながらも、周囲が妙にあっさり受け入れているのに呆れるばかりだった。
軽トラをあっさり救出したバルは、得意げに鼻を鳴らしていた。
「どうだ、人の道具も我の力の前には無力よ」
(……軽トラは日本の農家にとっては命綱なんだから!)
沙耶の必死の心のツッコミも、周囲には届かない。
井上さんは「いやぁ助かった助かった」と頭を下げ、父も「ほんと頼りになるなぁ」とにこにこ。
さらにその後の作業でも、バルはやりたい放題だった。
桃の収穫かごを二つまとめて軽々と肩に担ぎ、道具小屋に山積みになった農具を片手でまとめて持ち上げる。
村の人が二人がかりで運ぶ肥料袋をひょいと抱えて、何食わぬ顔で軽トラに積み込む。
「見よ、これぞ竜王候補の力!」
誇らしげな声が畑に響くたび、周囲から「すごいねぇ」「助かるわぁ」と歓声が上がる。
(すごいけど……すごすぎるけど! いや、もう普通じゃなさすぎでしょ!? 誰も疑問に思わないの!? “外国はすごくわねぇ”で片づけないで!)
沙耶は額を押さえて立ち尽くす。
なのに、バルは褒められるたびにますます調子に乗っていく。
「ほう、次はこれを持てばいいのか? ふむ、たやすい!」
「我はまだまだ余力があるぞ!」
(やめて! そのドヤ顔がまた妙に絵になるのが余計に腹立つ! 顔がいいからって何しても許されると思うなー!!)
結局、作業場は「便利すぎる助っ人」状態になり、バルは完全にヒーロー扱い。
沙耶だけが「子どもが力自慢で褒められて調子に乗ってる図」にしか見えず、ひとりで疲労感を募らせていた。
作業を終えた帰り際、母・美智子がふと思いついたように言った。
「せっかくだから、今夜の村の寄合に一緒に行きましょう。皆さんに紹介しておかないとね」
「寄合?」と首を傾げるバル。
「村の人たちが集まって話をしたりするのよ。沙耶あなたも顔を出しておいた方がいいわ」
沙耶も戻って挨拶をしていない事に気が付き「うん、わかった」と返事をする。
その横でバルは堂々と頷いた。
「よかろう。我は竜の候補、覇王竜ヴァルグレイア。有象無象にに顔を知らしめるのは当然だ」
「寄り合いで有象無象とか言ったら許さないから」と凄む沙耶に「う、うむわかった」とたじろぐバルの姿があった。
——その晩。
家族で村の集会所に足を踏み入れると、テーブルには煮物や漬物が並び、和やかな笑い声があふれていた。
子どもが走り回り、年配の人たちが麦茶片手に談笑している。
バルは胸を張り、開口一番。
「我は竜王候補、覇王竜ヴァルグレイアである!」
ざわっ、と空気が揺れた。
(ちょっとおおお!? なんで正体モロ出しで自己紹介してるの!?)
沙耶は慌てて割って入る。
「す、すみません! この人、外国育ちで! ちょっと変なこと言うんです!」
必死のフォロー。
笑顔を引きつらせながら、額に冷や汗がにじむ。
「いやぁ、ユニークでいいじゃないか」
「竜の候補ってのも面白いねぇ」
村の人たちはむしろ楽しそうに受け入れていた。
拍手まで起こり、子どもが「すごーい!かっこいい」と歓声を上げる。
(なんでポジティブに解釈するの!? この村、耐性強すぎでしょ! 普通ならドン引き案件だから!)
バルはそんな様子にますます得意げになり、笑みを浮かべて席に着いた。
夜の集会所からの帰り道。
月明かりに照らされた田んぼ道を、家族とバルが並んで歩いていた。
村人たちは笑顔で見送ってくれ、寄合も和やかに終わった。
その帰りバルは腕を組み、得意げに言い放った。
「雑魚ばかりだったが、皆よく笑っていたな」
「雑魚呼ばわりやめなさい!!」
沙耶は即座に叫んだ。
(初対面の人に“雑魚”って! こっちは受け入れてくれて感謝しかないんだから! 空気ぶち壊しにもほどがあるでしょ!)
父は「ははは」と笑い流し、母は「まぁまぁ」と宥め、杏奈は「バル様の口悪キャラ、逆に面白い」ときゃっきゃしている。
(いや、面白くない! 私の胃がもたないんだから!)
沙耶はため息をつきながら、横を歩くバルを横目で見た。
「……小さな村だからね。みんな家族みたいなものなのよ」
「ふむ。我の知っている村は、隣の村と常に争っていたがな」と懐かしいものを思い出すように呟く。
「なにその世紀末みたいな世界!?」
思わず足を止めて振り返ると、バルは真剣そのものの顔で空を見上げていた。
黒髪が月光を受けてきらりと光る。
(……くそ、顔が良すぎるのがほんと腹立つ。真面目な表情されると一瞬カッコいいって思っちゃうのが悔しいんだってば!)
沙耶は頭を振って気持ちを切り替えた。
「とにかく! “雑魚”は禁止ワードだから! 覚えといてよ!」
バルは小さく頷き、なぜか満足げに微笑んだ。
「承知した。オネイチャンの言葉は……聴かねばならぬ気がする」
「……あんたのお姉ちゃんじゃないっての……」
一瞬どきりと胸が跳ねた。
けれど沙耶は慌てて視線を逸らし、つっけんどんに返した。
「そ、そういう言い方やめなさい! 変に重いから!」
夜風が二人の間を吹き抜け、稲穂のざわめきがやけに優しく響いていた。
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