第9話


 気づけば夜はすっかり更けていた。

 窓の外では虫の声がにぎやかに鳴き、縁側から涼しい夜風が流れ込む。

 居間に座った沙耶は、額を押さえてため息をついた。


(……結局、泊まることが確定しちゃったのよね。私がどれだけ反対しても、家族は聞いてくれなかったし)


 父の「困ったときはお互いさま」という一言で決まり。

 母と妹は大喜び。

 沙耶だけが浮いている。

 杏奈なんて、にやにや笑いながら肩を小突いてきた。

「お姉ちゃん、都会に染まったんだねぇ〜。助け合い精神忘れちゃったんだ?」


「なっ……姉を煽るなんて生意気な!」


 取っ組み合いになりかけ、ふたりで畳の上でなんちゃってプロレスをしていると、母がパジャマを抱えて現れた。

 

「はいはい、ケンカしないの。バルくん、これ着なさい」


 手渡されたのは父のパジャマ。

 地味な格子柄の長袖上下だ。


 しかし、バルは受け取るなり首を横に振った。

 

「いらぬ、この布一枚で十分だ!」


 そういいながらタオルを指差す。


「いや、十分なわけないでしょ!」


 沙耶は即座に叱りつけた。

 今日一日で何度目のツッコミか数えるのも嫌になる。

 

(ていうかこの人、裸か粗布でしか生きてこなかったの? ここ日本だから! 人んちだから!!)


 バルは胸を張り、頑なに拒否する。

 

「我はこれで寝られる。問題あるまい」


「あるわ!!!」


 沙耶の叫びが、夜の藤森家に響いた。


 パジャマを押し返したバルは、まるで勝利宣言のように鼻を鳴らした。

 

「オネェチャンはうるさい。我はこの布一枚で十分だ」胸を張って宣言するバル。


「誰があんたのお姉ちゃんよ!」


「そこのチビがいつも言っておる」そう言って杏奈を指差すバル。


「チビじゃなくて杏奈!」


「アンタも嬉しそうにすんじゃないわよ!」照れる杏奈を嗜めつつ絶好調の沙耶であった。


 沙耶の声が裏返る。

 指先が震えるのは怒りか、それとも半裸のまま堂々と立つ彼を直視してしまったからか。

 

(ちょっと待って……こういうときに限って顔は完璧なんだもん。腹立つけど、目が勝手に吸い寄せられる……!)


 バルはそんな沙耶の動揺などお構いなしに、ふらりとまた縁側へ出ていった。

 そして、庭を見下ろすようにごろんと寝転がる。

 月明かりにバスタオルが照らされ、筋肉のラインが影になって浮かび上がる。


「ほら見ろ。ここで寝られる」


「寝るなーー!!!」


 沙耶は慌てて縁側に駆け寄る。


「そんなところでくつろがないでよ! 第一、隣の家から丸見えだからね!? 近所迷惑にもほどがある!」


 すると、背後から杏奈の歓声が飛んだ。

 

「イケメン半裸寝……! これ、SNSに上げたい!」


「やめろぉぉぉ!!」


 妹の暴走を必死に止めていると、風呂上がりの父・正一がのんびり戻ってきた。

 湯気をまとったままタオルで髪を拭き、気楽な口調で言う。

 

「ふぅ〜、いい湯だったなぁ」


「お父さん! コイツが服を着ないの!」


 訴える沙耶に、父は縁側で寝転ぶバルを一瞥して——。

 

「ふむ……いい体だねぇ」


「違うでしょぉぉぉぉ!!!」


 沙耶の絶叫が、夜の村に響いた。


 父はタオルで頭を拭きながら、縁側で寝転ぶバルの横に腰を下ろした。まるで世間話でも始めるような調子で声をかける。

 

「まぁまぁ、落ち着きなさい。……時にバルくん」


 バルは片目だけを開け、偉そうに答える。

 

「なんだオトウサンよ。聞いてやろう」


(聞いてやろう、じゃない! この人、誰に対しても上からなんだから!)


 沙耶は半泣きでツッコミを入れたが、父は全く動じず、むしろ笑っていた。

 

「見てごらん。このパジャマ、私のと色違いなんだ。風呂から上がったら、家族みんなこれに着替えるんだよ」


 父は格子柄の自分のパジャマを指さし、にこやかに続ける。

 

「だから、バルくんも"同じ"のを着てみないか? みんなと"おそろい"だ」


 バルは眉をひそめたまま黙り込む。

 

「みんなと……同じ姿……?」


 その言葉を反芻するように呟き、しばし考え込んだ。


(お、効いてる……? “同じ”って言葉に引っかかったっぽい)


 沙耶は祈るように見守る。


 やがてバルは、渋々といった調子で体を起こした。

 

「……仕方あるまい。我も群れの一員として合わせてやろう。仕方ない」


「よしっ!」


 沙耶は思わずガッツポーズをした。

 

(やっと……やっと人並みに服を着てくれる! ありがとうお父さん! こういうときだけは頼りになる!)


 母がすかさず用意していたパジャマを手渡すと、バルは不器用に袖を通し、もたつきながらも上下を身につけた。


格子柄のパジャマを着終えたバルは、鏡の前に立ち、しばし自分の姿を眺めていた。

 腕を組んで首を傾け、次に両手を腰に当て、さらには戦士のように胸を張る。


「……悪くないな」


 満足げに呟く声が妙に低く響く。


 そして、なぜかポーズを変えながら家族の前に戻ってきた。

 

「オトウサン、どうだ?」

「オカアサン、どうだ?」

「チビ、どうだ?」


 いちいち決め顔で感想を求めるバルに、父は「似合ってる似合ってる」と大笑い、母は「うんうん、すごくいいわよ」と目を細め、杏奈は「イケメンのパジャマショー最高!」とスマホを向けそうな勢いで盛り上がる。


 沙耶はこめかみを押さえ、深いため息をついた。

 

「いや……これ、ファッションショーじゃないから」


(ほんと、この人はどんな格好してもサマになるのが腹立つ。粗布でも映えるし、パジャマまでモデルみたいに着こなすとか……反則だわ)


 バルは家族の反応にますます得意げになり、胸を張った。

 

「ふむ、これで我も人間の寝間着を制した!」


「制したって何よ。日常生活を戦果に数えないで」


 沙耶のツッコミは、今日一日で何度目か分からない。

 でも、その口調の裏で、自分でも気づかぬ小さな安心を覚えていた。

 

(まぁ……さすがにパジャマ姿なら近所に見られても大丈夫、か。……いや、それ以前に、なんでこんな人がうちにいるのよ……)


 扇風機が夜風を運び、パジャマ姿のバルは畳の上に仁王立ち。

 

 その姿は、滑稽で、少し頼もしくて。

 そしてやっぱり、どこか目を奪われるのだった。


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