第7話
夕食がようやく終わった。
テーブルの上には、食べ散らかされた証拠のご飯粒や魚の骨が並び、母が台所へ食器を下げ、杏奈が「今日の食卓すごかったね〜」と笑っている。
父は湯呑を片手に「いやぁ、賑やかでいい」とご機嫌。
その中心で、バルは腕を組み、堂々とふんぞり返っていた。
「なかなか美味かったぞ」
沙耶は思わず箸を置き、目を細める。
「なに偉そうにしてるのよ。普通は『ご馳走様でした』でしょ」
自分でもちょっと口うるさいと思う。
でも放っておいたらこの人、永久に感謝もせず終わる気がするから。
バルは一瞬きょとんとし、次いで真剣に復唱した。
「ぬ……ごちそうさまでした?」
声はやたら低く響くのに、内容は小学生並み。
そのギャップに、沙耶は頭を抱えた。
(……ほんとに、ゼロから教えなきゃダメっぽいわね。竜の次期王候補だかなんだか知らないけど、人間界の最低限マナーからやり直し)
なのに——。
父も母も妹も、当然のように受け入れている。
この異常なまでの馴染み方、藤森家の恐ろしいところだ。
(私だけ? 反対派は私ひとりなの? あの顔だから? いや、確かに整いすぎてるけど……)
ちらりと横顔を盗み見て、沙耶は慌てて視線を逸らす。
黒髪の艶やかな光沢、真剣なまなざし。
どんなに言動が残念でも、見れば見ただけ心臓が変な音を立てる。
(……だめだめ、意識しちゃだめ。相手は素手でご飯わしづかみするヤバいやつだから!)
扇風機がゆるく首を振る音が、いつもの日常を装っている。
けれど沙耶の中では、「非日常」がどんどん侵食してきていた。
食卓の片づけが一段落したころ、正一が麦茶をすすりながら何気なく口を開いた。
「ところで、バルくん。君はどこから来たんだい?」
その問いに、バルは迷いなく答えた。
「創造竜セレナリアが治めるエルディアから来た」
居間に沈黙が落ちた。
正一は「へえ」と目を丸くし、母は「まぁ、外国かしら?」と軽く流し、杏奈は「エルディア……ファンタジーの世界っぽくてカッコいい!」とキャッキャしている。
(カッコいいじゃない! 怪しさしかないでしょ! この人、地球外出身とかわけわからないこと言ってるのよ!?)
正一は続けて首を傾げた。
「それで、泊まるところはあるのか?」
(えぇ?お父さん今の発言さらっと流すの!?)
バルは堂々と答える。
「平たい場所があれば、どこでも眠れる」
「つまり……泊まる場所の当てはないってことか?」
「そうだな」
そこで父がにこやかに爆弾をおとす。
「じゃあ、しばらくは家に泊まっていきなさい」
「はぁ!? 勝手に決めないでよ!!」
沙耶は立ち上がり叫ぶ。
血の気が一気に引く。
(ちょっと待って。つまり、これからこの人が“居候”になるってこと? 今までも十分カオスだったのに!?)
父はのんびり笑い、母は「困ってる人を放っておけないでしょ」と頷く。
杏奈は「やったー! イケメンチャンス!」と手を叩いた。
「なにがチャンスよ! 馬鹿言ってんじゃないわよ!!」
孤立無援。
沙耶の声だけが虚しく響く。
「待ってよ! 知らない人を家に泊めるなんて危ないに決まってるでしょ!」
沙耶は必死に声を張り上げた。
けれども家族は誰一人動じない。
母・美智子は落ち着いた口調で言う。
「でも、困ってる人を放っておくのは藤森家の流儀じゃないのよ」
「流儀って……武士の家系か何かですか!? しかも相手、“困ってる人”っていうより“困らせてくる人”だから!」
必死のツッコミも空しく、杏奈は机に身を乗り出して目を輝かせる。
「ねぇねぇ、いいじゃんいいじゃん! だってイケメンなんだよ!? 家にイケメンがいるなんて、ドラマ展開じゃん!」
「ドラマじゃない、現実だから! イケメン割引なんて存在しないから!」
(……って言いながら、確かに顔が良すぎて“割引券”くらいの効力はありそうなのが腹立つんだけど)
父までのんびり笑いながら言う。
「まぁまぁ、沙耶。しばらく泊まってもらってもいいだろう。悪い人には見えないし」
「見た目に騙されないでよ! だってこの人、さっきまで素手でご飯むさぼってたんだから!」
沙耶は指差して力説したが、当の本人は胸を張っている。
「ふむ。我は人の住まいに滞在し、その文化を視察しよう」
「視察じゃなくて居候でしょ! 用語のチョイスおかしいから!!」
気づけば、藤森家の中心で沙耶ひとりだけが反対を叫んでいた。
母は世話焼きモード、妹は祭りのように盛り上がり、父はいつもの天然マイペース。
(嘘でしょ……? これ、もしかして私の負けフラグ立ってる? ……いや、まだ折れない! ここで諦めたら試合が終了する!)
沙耶の心臓はドクドクと音を立て、声は裏返りそうになっていた。
場の流れは、完全に決まってしまった。
沙耶がどれだけ「常識」を訴えても、家族は聞いちゃいない。
母はにこやかに座布団を追加し、杏奈は「枕どうする?」と勝手に盛り上がっている。
父は「風呂上がったら布団敷くか」とのんびり。
(なんで……なんで私だけが反対派なの!? 正しいこと言ってるのは絶対私なのに!)
絶望しかける沙耶の前で、バルはふんぞり返り、偉そうに胸を張った。
「ふむ。ならば我はここに居る。代わりにこの家を守護してやろう」
宣言は妙に堂々としていて、声が天井まで響いた。
「……守護? いやいやいや、誰も頼んでないから!」
沙耶が即ツッコミを入れるより早く、父が笑って口を開いた。
「じゃあさ、最近イノシシが桃園を荒らして困ってるんだよ。試しに守ってもらおうかな」
冗談めかした言葉に、バルは真剣にうなずく。
「任せておけ。我にかかれば雑事よ」
胸を叩く仕草まで加えて。
(ちょっと待って、なんで話がトントン進んでるの!? これ、完全に“居候確定イベント”じゃない!?)
沙耶は頭を抱え、畳に突っ伏した。
「……もう最悪」
扇風機のカタカタという音と、家族の笑い声が響く中で、彼女ひとりだけが未来の混乱を予感して震えていた。
(本当に始まっちゃったんだ……常識崩壊ホームステイ生活が)
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