第6話

 

ちゃぶ台いっぱいにご飯が並んでいた。

 炊き立ての白ご飯、味噌汁、焼き魚に漬物。

 さらに母が気を利かせて切ってくれた桃まで。

 扇風機がぶんぶん首を振り、醤油の香ばしい匂いが畳に漂う。

 普通なら「いただきます」で始まる、いつもの光景のはずだった。


 問題は、卓の端にどっかと座っている“新入り”だ。

 バル。

 例の“とんでもない美男子”。


 ……なのに。


 落ち着きなく椅子をガタガタ揺らし、背もたれをやたら叩いたり、机の下で足を組み替えたり。

 モデルか何かかってくらい顔が整ってるのに、やってることが完全に小学生男子。


(……なんでこの人が、うちにいるんだろう)


 沙耶は心の中で頭を抱える。

 父は新聞を畳みながら「さ、食べようか」とニコニコ、母は「冷めないうちにどうぞ」と満面の笑み、妹は「いただきまーす!」とノリノリ。

 ……え、誰も疑問持たないの? 

 さっきまで見知らぬ半裸男だったんですけど!?


(私だけ? 常識人ポイントを守ってるの)


 横目で見ると、バルは料理をじぃーっと凝視している。

 真剣そのもの。

 まるで戦場に挑む兵士みたいな眼差し。


(嫌な予感しかしない。ねぇ、その眼つきは“食事”じゃなくて“狩り”だから!)


 扇風機の風が頬をくすぐり、白ご飯の湯気が立ちのぼる。

 普通なら「いただきます」で安心する場面なのに、正面のバルが鼻をひくつかせた瞬間、沙耶の心臓はドクンと跳ねた。


(……やばい、顔が良すぎて緊張してる場合じゃない! こいつ、絶対なんかやらかす!)


 胸の奥にざわざわとした不安と、ほんの少し混じる“意識してしまう”感覚が同居する。

 料理の湯気より、視線の熱さのほうが強い。


(あぁもう……お願いだから、せめて今だけは平和に食べさせて……!)

 

 箸を手に取り「いただきます」と言いかけた沙耶の目の前で、バルがずいっと身を乗り出した。


 次の瞬間。


 彼の大きな手が、焼き魚を——わしづかみ。

 

 さらに白ご飯を茶碗ごと持ち上げ……と思いきや、米そのものを手で掬って口に放り込む。


「……っな、なにやってんのあんたぁーー!?」


 沙耶の絶叫もよそに、バルはむしゃむしゃと頬張りながら満足げにうなずいた。

 

「ほう、熱いが旨いな。人間の食とはなかなか味わい深い!」


(いやいや、犬猫じゃないんだから! ていうかこの人、“とんでもない美男子”の顔面で犬食いってギャップ反則でしょ!)


 テーブルの端からご飯粒がポロポロ落ちる。

 味噌汁の椀も危うく倒れそうになり、沙耶は慌てて手で押さえた。


「やめて! 食器を使って! 箸! スプーン! なんでもいいから!!」


 必死の訴えも、バルは首を傾げるだけ。

 

「ふむ……だが手の方が速い」


 堂々とした口ぶりに、沙耶は頭を抱えた。

 

(こいつ、悪びれる気ゼロ!? “速い”ってなに?! 戦闘なの? 食卓じゃないの?)


 正一は新聞を膝に置いたまま「ははは、豪快だなぁ」と笑い、母は「まあまあ……男の子ってこういうとこあるのよね」と謎の納得、杏奈に至っては「バル様、手づかみ似合いすぎ!」とキャーキャー大盛り上がり。


「似合うとかじゃないから!! 全然よくないから!!!」


 沙耶の必死のツッコミが、食卓にむなしく響いた。

 

(なんで私だけ常識側……!? ていうかこの人、顔が良すぎて妙にサマになってるのが腹立つ! 犬食いすら絵になるとか詐欺でしょ!)


 手でご飯をかき込みながら、バルはどや顔で言った。

 

「見よ! 人の食も、我が掴み取ればたやすい!」


(いや、そのドヤ顔……正直ちょっとかっこいいって思っちゃったのが余計に悔しい……!)

 

 散々テーブルを荒らされたあと、沙耶はついに覚悟を決めた。

 

「はいっ! これを使いなさい!」


 バルの目の前に、箸を突き出す。


 バルは訝しげに眉をひそめ、その二本の木を受け取ると……すぐに構えた。

 

 そう、完全に剣のように。


「む……細いが、二刀か」


「ちがうから! ここは戦場じゃない!!」


 沙耶の全力ツッコミに、家族がどっと笑う。

 杏奈はお腹を抱えて「バル様、かっこいいけど間違いすぎ~!」と転げ回り、父は「なるほど、二刀流かぁ」と変に感心している。


(感心すんな! ますます勘違いするでしょ!)


 案の定、バルは得意げに魚へ箸を突き刺そうとする。

 沙耶は慌ててその手を掴んだ。


「違う! こうやって……親指と人差し指で挟んで、ほら!」


 思わず自分の手を彼の大きな手に添える。

 指の骨ばった感触が直に伝わってきて、沙耶の心臓が一瞬止まりかけた。

 

(ちょ、ちょっと……近い! 指触れてるし! なんで私がこんな至近距離で“食事指導”してんのよ……!)


 頬の熱を必死で隠しながら、箸の動きを示す。

 

「こうやって上下を動かすの!」


「……ふむ、こうか?」


 ぎこちなくも、バルが真似をする。

 その様子に母が「まあまあ、上手じゃない」と目を細め、杏奈は「イケメンの箸練習、尊い……!」とスマホを探そうとして沙耶ににらまれていた。


 しかし、箸はまだ不安定。

 結局、母がスプーンを差し出した。

 

「とりあえず今日はこれにしましょ。スプーンなら簡単よ」


 そこから始まる「スプーン体験会」。

 

 杏奈が「こう!」とデモを見せ、父は「こうすればすくいやすい」と続けて見せる。

 バルは真剣な顔でスプーンを凝視し、「む……なるほど……こうか?」とチャレンジする。

 気づけば一家総出でバルの食事練習を囲む形になっていた。


 ぎこちない手つきで、バルはスプーンを握りしめた。

 柄を持つ角度も不自然で、力加減も強すぎる。

 今にも折ってしまうんじゃないかと、沙耶はハラハラしながら見守る。


(頼むから、壊さないでよ……! スプーンってそう簡単に壊れるものじゃないけど、この人なら平気でやりそうだから怖い)


 バルは真剣そのものの顔で茶碗を見下ろし、慎重にスプーンを突っ込んだ。

 すくったのは、ほんの一口分のご飯。


 家族が息を呑む。


 次の瞬間、そのまま口へ運び——ぱくり。


「……!」


 沙耶は思わず前のめりになった。

 落とさなかった。

 散らさなかった。

 きちんと口に入った。


 バルは咀嚼して、飲み込むと、ドヤ顔で胸を張った。

 

「どうだ? 上手く食える!」


「……いや、それ、当たり前だから」


 思わず沙耶の口から冷たいツッコミが漏れる。

 でも内心では、ほんの少し安堵していた。

 

(ちゃんとできた……たった一口だけど。……くそ、ちょっと嬉しいじゃない)


 父が「おぉー!」と拍手をし、母も「よくできました」と目を細める。

 杏奈にいたっては「イケメンのドヤ顔は破壊力あるわ~」と頬を赤らめていた。


 そんな中、バルはスプーンを掲げてさらに誇らしげに言う。

 

「我は人の道具も使いこなせる! どうだ女、見ただろう!」


「見たけど……そんなに胸を張ることじゃないから!」


 そう言いつつも、沙耶の胸の奥にじんわりと灯るものは否定できなかった。

 

(竜とか何とか言ってるけど……ほんと、子どもみたい。……でも、その素直さ、嫌いじゃないんだよな)


 ちゃぶ台の上にはまだたくさんの料理が残っている。

 けれど、バルがスプーンで掬ったその一口が、確かに「人間としての第一歩」になったのだ。


(はぁ……先が思いやられる。でも……もしかしたら、悪くないのかも)


 沙耶は湯気の立つ味噌汁を口に含み、静かにため息をついた。

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