第5話
藤森家の玄関先。
夕焼けに照らされた土間に、妙に場違いな光景が広がっていた。
白布を体に巻いただけの美男子が、門の前で仁王立ち。
腕を組み、堂々とした口ぶりで放った第一声は。
「飯を食わせろ」
沙耶は目を見開き、即座に声を荒げた。
「はぁ!? 入れるわけないでしょ!!」
母・美智子はそんな娘の叫びをさらりと無視し、目を輝かせて青年を見上げた。
「お腹が空いてるらしいのよ。まずご飯を食べさせないと」
「いやいやいや! 知らない男を簡単に家に上げちゃダメでしょ! 常識的に考えて!」
沙耶が必死に手を広げて立ちはだかると、すかさず杏奈が口を挟む。
「えー、でもさぁ……困ってるイケメンに冷たくするのってどうなの〜?」
「困ってるどころか、困らせてる側なのよ! この状況が見えてないの!?」
妹は全く堪えていない。
むしろ面白がって沙耶を小突き、にやにや笑う。
「お姉ちゃん、顔真っ赤。ねぇねぇ、ちょっと嬉しそうじゃない?」
「嬉しいわけないでしょ!! 全力で嫌がってるの! 分かんない!?」
母の美智子は頷きながらも口元に手を当て、「でも、せっかく格好いいのに……」と小声でつぶやく。
沙耶は頭を抱えた。
(母も妹も完全に顔にだまされてる! いや、確かに美男子だけど……! 服は布切れだし、発言は物騒だし! 普通に危険人物なんですけど!?)
一方、当の本人である自称、覇王竜の青年は腕を組んだまま堂々と宣言する。
「人間の家屋に招かれてやろう。そこで人の食を堪能し、文化を視察してやる」
「お願いだから“上から目線”やめて!! こっちは一切お願いしてないから!!!」
沙耶の必死のツッコミも虚しく、母と妹のテンションは上がる一方。
玄関前の攻防戦は、完全に不利な流れに傾いていた。
玄関前で青年を背に家族を前に、沙耶は全身でバリケードを作っていた。
両手を横に広げ、必死に家の敷居を塞ぐ。
「いい!? お母さん、杏奈! 知らない人を簡単に家に入れちゃダメ! これ常識でしょ!?」
額に汗がにじむ。
声も裏返っていた。
しかし美智子は動じない。
むしろにこやかに笑い、青年を見上げていた。
「常識も大事だけどね、困ってる人を助けるのも人として当然よ」
「困ってる!? この人は“人間の食を体験してやろう”とか言ったんだよ!? 完全に困らせる側だから!!」
杏奈は手を口元に当て、にやりと笑う。
「ふーん……でもさぁ、お姉ちゃん。ちょっと嬉しそうに見えるんだけど?」
「さっきからなんなの?どこをどう見たらそうなるの!? 全力で嫌がってるでしょ!!」
さらに声が大きくなる。
だが妹はまるで面白がるばかりだ。
一方の覇王竜を名乗る男は、胸を張って堂々と口を開いた。
「我はただ、人間の食を試し、文化を視察してやろうとしているだけだ。感謝されこそすれ、拒まれる理由はない」
「拒むよ! むしろ拒む理由しかないよ!」
沙耶は両腕を必死に振り回し、青年を押し返そうとする。
しかし相手はびくともしない。
逆に一歩前へ踏み出し、玄関の敷居を軽く越えようとする。
「やめなさいってば!!」
背中を使い必死で踏ん張る沙耶。
背中から伝わる青年の体温と圧迫感に、心臓が跳ねる。
(ちょっと! 近い! 近いってば!! なんでこんなイケメンがこんな状況で迫ってくるのよ!)
頭の中で混乱と警戒とツッコミがごちゃ混ぜになり、叫び声が裏返る。
「だから! お願いだから入らないで!!!」
その必死の抵抗にも関わらず、母と妹の表情は「まあまあ」と言わんばかりに柔らかい。
家族三対一の状況に、沙耶の劣勢は明らかだった。
玄関先で繰り広げられる押し問答は、もはや小さな騒動だった。
沙耶は必死に両腕を広げて青年の侵入を阻止し、母と妹はその横から「どうぞどうぞ」と招き入れようとしている。
ちょうど裏手の畑から父・正一が帰ってきた。
「お父さん! お願いだからこの人を追い返して!」
藁にもすがる思いで沙耶が声を上げた、そのとき。
麦わら帽子を片手に提げ、作業服には土がついている。
いつも通りのんびりした笑顔で、三人と一人の異様な構図を目に留めた。
「おぉ……ずいぶんと賑やかだな」
「お父さん! この人、危ないから! 見てよ、布きれ一枚しか着てないし!」
切羽詰まった沙耶の訴えに、父は首を傾げて青年をまじまじと眺める。
そして、どこか感心したように頷いた。
「ふむ……立派な体格だな」
「いや、そういう問題じゃなくて!!」
一方で美智子はすかさず援護射撃をする。
「でね、この人お腹が空いてるらしいの。せめてご飯ぐらい食べさせてあげたら?」
杏奈も頷き、にやにやと口を挟む。
「そうそう。ねぇお父さん、いいでしょ? ご飯だけなら」
青年は胸を張って当然のように言い放った。
「我を中へ通せ。人間の食を味わい、文化を視察してやる」
その高圧的な物言いに沙耶は頭を抱えた。
「ほら見てよ! 完全に危ない人でしょ!? “視察してやる”って何なのよ!!」
だが父は顎に手を当て、しばらく考え込んだ末に、のほほんとした口調で言った。
「まぁ……飯ぐらい一緒に食えばいいじゃないか」
沈黙。
次の瞬間、母と妹は同時に笑顔で頷いた。
「そうよね!」
「やっぱりお父さんもそう思うよね!」
沙耶はがくりと肩を落とし、叫ぶ。
「父さんの一言で全部決まっちゃうの何!? 多数決すら機能してないじゃない!!」
だが父は悪びれもせず、のんびり笑っていた。
その様子に、沙耶はもう頭を抱えるしかなかった。
父の一声で、場の空気は完全に決まってしまった。
母と妹は嬉々として青年を玄関の中へ招き入れる態勢に入り、沙耶だけが必死に最後の抵抗を試みる。
「ちょ、ちょっと待って! 本当に大丈夫なの!? 名前からして危険人物なんだけど! “覇王竜ヴァルグレイア”って、どう聞いてもヤバいやつでしょ!」
その長い名を言っただけで、沙耶の舌は疲れる。
苛立ちを含んだ声に、母・美智子はにこにこと笑いながら手をひらひら振った。
「まぁまぁ。細かいことはいいのよ。お腹が空いてるんだから、まずはご飯」
杏奈は腕を組み、青年をまじまじと眺めてから、ぱっと手を叩いた。
「ねぇ、名前長すぎない? “バル様”って呼んでいい?」
青年は胸を張り、即座にうなずいた。
「うむ。許す!」
即答。
しかも妙に誇らしげ。
「よし決まり! じゃあこれから“バル様”で!」
杏奈は勝手に宣言し、母も「呼びやすくていいじゃない」と賛同する。
沙耶は額を押さえた。
「こら!勝手に愛称つけるんじゃありません!懐いて居座ったらどうすんの!?!」
だが本人が快く了承した以上、止めようがない。
父までも「バルくんか、いい名前だなぁ」とのんきに頷いている。
気づけば藤森家全体での呼び名は“バル”に統一されてしまっていた。
当の本人——いや、バルは胸を張り、堂々と家の敷居をまたいだ。
「ふむ……これが人間の住まいか。いつも潰していたから入るのははじめてだな」
「こわっ!! ここは我が家!! 潰したりしたら許さないから!!!」
沙耶の全力ツッコミもむなしく、母と妹は「どうぞどうぞ」とスリッパを揃える気配りまでしている。
父は「まぁまぁ」と笑いながら靴を脱ぎ、勝手に先へ進むバルを咎める気配は皆無。
沙耶は玄関に立ち尽くし、頭を抱えた。
「……終わった。これで本当に悪夢が始まる予感しかない……」
ため息が、夕暮れの土間に虚しく響く。
こうして、“バル様”こと覇王竜ヴァルグレイアは、藤森家に正式に迎え入れられてしまったのだった。
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