第4話


 山道に現れた青年を前に、沙耶は固まっていた。

 理屈を飛び越えて「とんでもない美男子」としか形容できない。

 

 見てはいけないものを直視してしまったような居心地の悪さがある。

 白布を無造作に体へ巻き付けただけ。

 まるで古代劇の衣装から抜け出したようだが、現実に立っているとただの「布きれ一枚」でしかない。

 胸元や脚はほとんど露出し、山の中で出会うにはあまりに異様。


(……いや、待って。これ、映画スター級の顔面を持ちながら、格好は変質者じゃない?)


 思わずこめかみを押さえた。

 

(半裸のイケメンが山奥で仁王立ち……第一印象が最悪過ぎるんですけど!?)


 青年はそんな沙耶の動揺など意に介さず、当然のように胸を張った。

 

「我が名は——」


 低く響く声。

 耳に残るほどよく通るイケボ。

 けれど内容は突拍子もない。


「覇王竜ヴァルグレイア! 次代竜王候補にして、この世を統べる存在!」

 

 目の前の男は両手を高く上げ空へ向かって高らかと宣言した。

 沙耶の思考は一瞬止まり、すぐにツッコミが脳内で爆発した。

 

(なにその自己紹介!? 自己陶酔100パーセント!? しかも竜王候補って……ゲームかアニメの中の話でしょ!?)


 怖さと呆れが入り混じり、感情の処理が追いつかない。

 目の前の男はとんでもなく整った顔立ちなのに、発する言葉がとんでもなく残念過ぎる。


 枝を構える手に力が入り、沙耶は一歩じりっと後退した。


「……とんでもないイケメンの、とんでもない変質者だわ」


 声には出さなかったが、内心の叫びははっきりしていた。


 自分の思った反応が返ってこなかったからか青年は胸を張り、再度堂々とした声で言い放った。


「我は覇王竜ヴァルグレイア! 天空を統べ、大地を従える次代竜王候補なり!」


 夕暮れの山道に、やけに響く宣言。

 遠くでカラスの鳴き声が聞こえる……。

 沙耶は固まったまま瞬きを繰り返した。

 

(……いやいやいや、待って。何を言ってんのこの人。竜王候補? 天空を統べる? 自己紹介が中二病の究極進化形なんですけど!?)


 頭の中で全力ツッコミをしながらも、目の前の青年は至って真剣だ。

 背筋を伸ばし、誇らしげに顎を上げる姿は、モデルの撮影会でもしているかのように絵になってしまう。

 だからこそ、余計に怪しい。


 沙耶はじりっと後ずさり、握った枝を構え直した。

 

「……竜王候補? ってことは、あなた……つまり自称・竜?」


 恐る恐る問い返すと、彼は当然だと言わんばかりに頷く。

 

「そうだ。我が咆哮ひとつで山を砕き、我が翼ひと振りで嵐を呼ぶ! 弱き者どもは我の名を聞くだけで震え伏すのだ!」


 胸を叩きながら高らかに言い切るその姿。

 

(あぁもう、カッコよすぎる外見とヤバすぎる発言のギャップで脳がバグる……!)


 沙耶の脳裏には、「竜王候補」を名乗る変質者が留置所で事情聴取を受けているシュールな光景まで浮かんできた。

 思わず口元が引きつる。


「……お、おかしい……おかしすぎる……!」


 小声が漏れたが、青年は気づかない。

 むしろさらに熱が入り、片手を天へ掲げていた。


「いずれ我は竜王となり、世界を導く。お前は幸運だぞ、人間の女。最初に我と相まみえたのだからな!」


(いやいやいや、幸運どころか不運の極みでしょ!? なんで私がよりによって最初に遭遇する役なの!?)


 美男子であるがゆえに、妄言に迫力が加わっているのがまた厄介だった。

 沙耶の心臓は早鐘を打ち続け、笑うに笑えない恐怖が背中を這い上がってくる。


 枝を握る手に汗がにじむ。

 目の前の男は、どう見ても人間離れした美貌を持つくせに、口を開けば危うい言葉ばかり。

 

(……やっぱりダメだ! 関わっちゃいけないタイプだ、これ!)


 沙耶は一歩後ずさる。

 青年は不思議そうに眉を寄せ、首をかしげた。

 

「なぜ退く? 人間の女よ。恐れを抱くのは当然だが、ひれ伏すなら害はせぬ」


(いや、十分害ありまくりだから! “ひれ伏せば安全”とか条件付き安全保障とか聞いたことないし!)

 

「しかし、腹が減ったな。そこの女、我に食物を献上する栄誉をぁ……」

 

 心の中で総ツッコミを入れる間にも、青年はじり、と前に出た。

 枝がかすかに震える。


「や、やばい……!」


 沙耶は反射的に踵を返し、全力で駆け出した。

 山道を下りる足音が石を弾き、ざくざくと響く。


「待て! 逃げるな! ……聞け、人間の女!」


 背後から響く声が、妙に良い声だから余計に怖い。

 

(声だけで映画館のスピーカー並みの迫力あるのやめて! こっちは心臓に悪いんだから!)


 枝を放り投げ、両手でスカートを押さえながら走る。

 額から流れる汗が目に入り、視界が滲む。

 それでも足を止めるわけにはいかない。


 山道を必死に駆け下りる沙耶の背に、青年の声が追いすがる。

 

「逃げ惑うな! 我は害を与えぬと言っているだろう! ただ……我が腹を満たすために、お前の“食”を体験してやろうと——」


(……いやいやいや、“食を体験”って何!? 絶対ヤバい意味にしか聞こえないから!)


 沙耶は半ば泣きそうになりながら走り続けた。

 やがて視界に見慣れた屋根瓦が見えてきた瞬間、全身の力が抜けそうになる。


「た、助かった……」


 玄関前にたどり着くと、肩で荒く息をしながら壁にもたれる。

 膝が震え、心臓はまだ暴れ馬のように胸を叩いている。


(なんなのあの男……! 美形とヤバさの融合体……! 二度と会いたくない……!)


 玄関前で荒く息をついていた沙耶は、額の汗を拭いながら心を落ち着けようとした。

 

(……最悪だった。あんなヤバい美男子に絡まれるとか、下手なホラーより怖い。とりあえずもう安全、ここから先は家族がいるし——)


 と、そのとき。


「沙耶ー? ちょっと聞いて! 困ってる人を連れてきたの!しかも超イケメン!」


 母・美智子の弾んだ声が庭から響いた。続いて杏奈のはしゃいだ声。

 

「お姉ちゃん、イケメン拾ったよー!」


 沙耶の背中に冷たいものが走る。

 振り返る勇気も出ない。

 

(……嫌な予感しかしない。いや、まさかね? まさか、あの……)


 塀についた引き戸式の門ががらりと開く。

 嬉しそうに顔を覗かせた母と妹の後ろに、背の高い影があった。


 ゆっくりと姿を現したのは先ほど山道で遭遇した、あの“とんでもない美男子”。


 黒髪が夕陽を受けて輝き、堂々と立っている。

 白布を適当に巻いただけの格好で、まるで「客人として当然」という態度で玄関道に足を踏み入れようとしていた。


「腹が減った。人間の食を体験してやろう」


 威厳たっぷりの声音。だが沙耶の耳には“侵入宣言”にしか聞こえない。


「ま、まさか……!」


 沙耶の顔は青ざめ、頭を抱える。

 

「やっぱりアイツじゃないのーー!!!」


 絶望の叫びが玄関先に響く。

 母と妹は「カッコいい〜!」と目を輝かせ、バル本人は当然のように胸を張っている。


 都会でのトラブルよりも、もっと理不尽で強烈な非日常が、いま目の前から玄関を踏み越えてきたのだった。

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