13.公園の夕焼け

「ねいろ⁉ どうしたんだ! 大丈夫か⁉」

 さっきのピアノの大音量を聞いて、きっとおどろいたんだろう。ねいろちゃんのパパが、あわてた様子で部屋にかけこんできた。

 カーペットの上に、倒れるようにして座りこんだねいろちゃんは、やがて、ねいろちゃんのパパ──お父さんの顔を見つめて、言った。

「パパ……わたし、もう大丈夫よ。悪いものは、わたしの中から、やっと出て行った……」

 ねいろちゃんは、深呼吸してから、続ける。

「わたし、ママがいなくなってから、本当につらくて。……つらくて。学校にも行かなくなって、もう死んじゃいたいって思ってた。でも、パパ。わたしの世界には、ピアノがあったんだよ。わたしにピアノを与えてくれて、ありがとう」

 そうつぶやくねいろちゃんに、とまどった色の瞳を返す、ねいろちゃんのパパ。きっと、ねいろちゃんの部屋のグランドピアノは、ねいろちゃんのパパが買ってあげたものなんだ。

「そうだよね? みかるちゃん」

「──っ! な、なんのことだろ、アハハハ……」

 ……阿弥陀如来サマ、ねいろちゃんの記憶も、あとでちゃんと消すんだよね?

 乾いた笑いを浮かべる私に対し、なにかを悟った様子のねいろちゃん。それ以上、なにも言うことはなかった。

「ねいろっ!」

 ねいろちゃんのパパは、そんなねいろちゃん──大切な娘を、ぎゅうっと力いっぱい、抱きしめた。

 ◇

 ──夕陽が差す、ベーカリー『三日月』の前の公園で。

 さっきまで降っていた雨は、すっかり止んで、空には綺麗な虹が架かっている。

 まるで、ねいろちゃんの美魂を取り戻した私たちを、『よくやったね』って、神様が祝福してくれてるみたい。

「じゃあね、みかるちゃん。わたしを助けてくれて、本当にありがとう──っ!」

 ねいろちゃんが、そう言って私に何度も頭を下げる。

 ねいろちゃん、さっきから私のことを、さりげなく『みかるちゃん』って下の名前で呼んでくれてる。

 なんでもないフリしてるけど、気づいてるよーん! えへへっ。

 私にはそれが、かなり嬉しかったりする。

 ねいろちゃんと、やっと親しくなれたって感じ。

「ありがとうって? いーのいーの。だって私は、ごくらく★生徒か……」

 ──「みかる氏! 『だって私は、ごくらく★生徒会のメンバーだからね。仕事しただけだけ、えっへへ〜』とか、また言いかけましたね⁉」

 頭の中に、阿弥陀如来サマの怒った声が響いた。

「……みかるちゃん、不協和音を知ってたんだね」

「ふきょうわおん?」

 聞き慣れない単語に、私は聞き返す。

「えっと、不協和音、っていうのはね。耳に心地よく聞こえない、2つ以上の音のことで……なんとなく雑な感じがして、聴いていて嫌だな、気持ち悪いなって感じる、不快な音をいうの。音楽家は、その音をぶつかる、っていうんだ。ドとレ、ドとシは、まさしく不協和音なんだよ」

「はえー、そういうことなんだね」

 すっごーく上手な説明に、なっとくする私。

 そういえば……ねいろちゃん、さっき、私が邪神と戦っているとき、『ぶつかる』ってつぶやいてたよね。

 もしかしたら──ねいろちゃんの美魂も、邪神に取り憑かれたせいで、不協和音の状態だったのかもしれない。

 お母さんが亡くなって、それで学校に行かなくなって……死にたくなった。だから、邪神に目をつけられた。

 でも、死にたい気持ちと同時に、ねいろちゃんの心の底にずっとあったのは、ピアノが好きだっていう気持ち。

 ピアノのために、この世に生きていたいって、きっと無意識に、そう思っていたんじゃないかな。

 あみだぶつを唱えたのは、私だけど……。

 ねいろちゃんの、その内に秘められた強い気持ちが──最終的に、邪神を打ち負かしたんだ。

「──ねいろちゃんっ!」

 呼びかけた私に、ねいろちゃんが、私の方を見る。

「さっきは言わなかったけど……私、本当は。消えちゃいたいって思ったこと、あるんだ」

 ねいろちゃんが、わずかに目を見開く。私は、へら、と笑って言った。

「壱おじいちゃんが、死んじゃったときにね」

「み……みかるちゃんには、おじいさんがいたの?」

「うん。生きてた頃は、電気屋さんやってたんだ〜」

 そう。壱おじいちゃんは、生きていた頃、『電気工事士』としてお仕事していたんだ。

 私は、おじいちゃんが、自分のお店でお仕事しているのを見つめるのが、大好きだった。

 メガネをかけて、難しい帳簿とにらめっこしている姿も。手を真っ黒に汚して、あらゆる電化製品を修理している姿も。

 壱おじいちゃんが、死んじゃってから──私は、おじいちゃんに、もう一度会いたい一心で、『死んだら、おじいちゃんに会えたりしないかな』なんて、考えたことがあった。

「でもね。壱おじいちゃんが昔、言ってたよ。自分を殺しちゃったらね、真っ暗闇の世界に行くんだ。そこでずっと、永久に一人ぼっち。さみしくてさみしくて、死ななきゃよかったって、どれだけ後悔してもムダ。神様にゆるしてもらえなくて、泣くしかできないんだよ」

 ──だから。だからたぶん、地獄に行くよりも、ずっとずっとつらい。そんな運命が、きっと待っている。

「いやでしょ? そんなの。私も、壱おじいちゃんが、生前そう言っていたのを思い出したんだっ」

 あははー、と笑う私に、ねいろちゃんが言った。

「みかるちゃんって……変わってるね」

「へ? 私が?」

「うん。すごく変わってる。わたしは……そんなみかるちゃんが好きだよ。今日、わたしの家に来てくれたから、月曜日からはまた、学校に行けそう」

 ねいろちゃんが、明るくそう言ったとき。ひときわまぶしい、夕陽があたりを包んだ。

 ふと、ねいろちゃんと一緒に見た、公園の夕焼けは。すごく、すっごーく、綺麗だったんだ。

「じゃあ、またね」「うん、また学校でね」最後にそんな会話を交わし、ねいろちゃんと別れた私は。

 んーっ、と高く伸びをしてから。最近、寒くなってきたな……もう11月だもんね。

 そして、足もとに、コロコロコロ、と転がってきたサッカーボールに気づいた。

「あれっ? せと!」

「おー、みかる。何してんだ?」

 そのサッカーボールを取りにやってきたのは──桜望中の副会長だった。

 桜望中の副会長ことせとは、あの3人じゃない男子たちと、公園のグラウンドで、楽しそうにサッカーをしていた。

 私はその様子を見て、ほっと胸をなでおろす。    

 よかった。せとにはこうして、ちゃんと仲良くできる友達がいるんだね。

「せとー、じゃあまたな」

「おう」

「生徒会長と仲良くラブラブなー」

「バーーーーカ!」

 せとがなぜか顔を赤くして、怒ったように大声で言い返す。……ほんとに、みんなが何言ってるのか、私にはわかんないよ。

 友達と別れたらしいせとと、ブランコにならんで腰かけて、話す。

「──ということがあったんだ。私、ねいろちゃんと仲良くなれたよ」

「そうなんだな。んで、首は大丈夫なのかよ? まあ、あいつも、ちょっと変わったやつだからな。本当はすげーいいやつなんだけど。ピアノも上手いし」

 せとが私の首すじを、心配の色がにじんだ瞳でじっと至近距離で見つめてくるものだから、私は少しはずかしくなって、「だ、大丈夫だよ!」と首に手をあて隠した。

「言ってなかったっけ? ねいろはオレのいとこなんだよ」

「へっ? そうだったの⁉」

 ねいろちゃんも、そんなことひとことも言わなかったよ!

 せとが前に、ねいろちゃんは、『保健室にはたまに来ているみたい』って言っていたのは……ねいろちゃんのことを、いとことして、気にかけていたからなんだね。

「あいつが学校に来たら、またオレも、久しぶりに話しかけてみっかな」

「そーしてそーして!」

 私は、暗くなりつつある公園で。

 ねいろちゃんの幸せを、友達として、心から願った。


 ◇


 その日の夜。阿弥陀如来サマが、真剣な面持ちで、私に言った。

「これは、私の考えですが……もしかしたら──桜望中に、だれか邪神と手を組んだ、黒幕がいるのかもしれません……。今回、ねいろさんの家に、みかる氏が赴くように、仕向けた人物などいませんでしたか? みかる氏、十分気をつけるようにしてください」

「はぇ?」

 黒幕──? 私は、邪神の怪力によって、ねいろちゃんにしめられた首が。急にまた、少し苦しくなった気がして、怖くなった。

「──ここで、みかる氏に、話しておきましょう。私たち神の世界の、ダークサイドに堕ちた側の神──邪神の正体を」

 私の、大好きな壱おじいちゃんは、「ふむ。みかるよ。心して聞くのじゃ」と、真面目な表情だ。

「あっ、ちょっとまって! 生徒会のみんなにも、あとで聞いてもらうから! 録音するね!」

 私は、スマホの録音ボタンを押した。

 阿弥陀如来サマは、うなずくと、静かに語りだした。

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