12.ねいろちゃんが好きなこと

 約束の土曜日。今日の天気は雨。

 時計の針は、ちょうど午後2時を指している。

 したくを終え、カサを持って出かけようとしたら、玄関でママに呼び止められた。

「みかる、これを着て行きなさい」

 そう言って、ママが私に着せてくれたのは、カラフルなネコ柄のレインコート。

「ありがとう」

 と、お礼を言ったのはいいんだけれど。

 これ、小学生の頃から着てるやつだけど、変じゃないかな? 少し子どもっぽくないかなあ……。でもまだ中1だから、セーフかな? ま、いっか。

「みかる氏……? 出かけるのですか?」

「気をつけていくんじゃよ、みかるや」

 阿弥陀如来サマと壱おじいちゃんには、ねいろちゃんのことは話していない。

 ねいろちゃんに、邪神がからんでいることはたぶんないだろうっていう、私の判断。

 ふたりに見送られながら、私は家を出た。

 ◇

 どどーん! と、重厚感あふれる瓦屋根のお屋敷。

 金色に縁取られた門扉の前で、圧倒される私。

 はじめて訪れた、ねいろちゃんの家は──すっごーく大きな、立派な和風の一軒家だった。

「こっ、こんにちは〜。ねいろちゃんのとなりのクラスの、雨宮です」

 カメラ付きのインターホンを鳴らして、ドギマギとそう言う私。

 うっ。緊張して、ちょっと声が裏返っちゃったよ。

 しかも、『となりのクラスの雨宮です』じゃなくて、『生徒会長の雨宮です』って言うべきだったかな?

 だって、今日私がこうしてねいろちゃんの家に来たのは、ねいろちゃんがまた学校に来られるように、話を聞くためだもんね。

「雨宮さん……」

 玄関を開けてくれたのは、意外にもねいろちゃん。

 ねいろちゃんは、大人っぽい水色のワンピース姿で、きれいな黒髪のロングヘアは、4月の入学式で見た時と変わっていなかった。

 こぶしを胸元にあてて、とまどったようにそうつぶやくねいろちゃん。と、パタパタと足音がして、ねいろちゃんのパパも現れ、私を出迎えてくれた。

「やあ! 来てくれたね。ねいろ、生徒会長の雨宮みかるさんだ。となりのクラスなんだろう?」

「……」

 うつむいて、だまってしまうねいろちゃん。きっと、なんて言ったらいいか、迷ってるんだよね。でも。

 そんなねいろちゃんに、私も、まずは言うことがある。

「あのっ、ねいろちゃん! ……今までずっと、ねいろちゃんが学校に来ていなかったのに、私、一度もこうして、家まで来なくてごめんね」

 ──今は11月。ねいろちゃんが学校に来なくなってから、半年以上が経っていることになる。

 私が学校で、せとやゆゆりんや一心くん、まゆうちゃんたちと、楽しく過ごしていた、その間。

 ねいろちゃんは、ずっとひとりで、家にいたんだよ。

 今になって思うと……。

 私にもなにか、出来ることはあったんじゃないかな? って。

 べつに、生徒会長だからっていうわけじゃなくて、こうしてひとりの友達として、ねいろちゃんの家に訪ねて来ることだって。

 家に来るのが少し気がひけるなら、ほかにも色々、『心配してるよ。学校に来てほしい』って内容の、手紙を書いたりとか。

 ねいろちゃん──友達のために、できることはきっと、いっぱいあったはずだ。

 あああぁああ。私、なんでそのくらいのこと、しなかったんだろう……。

 中学生になって、学校生活に慣れることに必死で……。

 その上、生徒会のお仕事がいそがしかったから……だなんて、言い訳にも過ぎないよね。

 ねいろちゃんにしてみれば、『今さら、いったいなにをしに来たんだろう?』って。そう思われても……しかたないよね……。

 なんだかとても悪いことをしているような罪悪感で小さくなって、頭を下げる私に、ねいろちゃんは、「いいの」と首をふるふる振った。

「雨宮さんとは、入学式の時に少し話しただけだから」

 あ……。ねいろちゃん、入学式の時のこと、覚えててくれたんだ。

「……雨宮さんのことは、パパから聞いてる。とりあえず、わたしの部屋にいかない?」

「! う、うんっ」

 よかった。

 とりあえず、家には上がらせてもらえるみたい。私は、ホッと息をついてから、

「おじゃましますっ!」

 大声でそう言ったんだ。

 ◇

 ねいろちゃんの部屋のテーブルには、ねいろちゃんのパパが運んできてくれた、『ベーカリー三日月』のパンが4個と、オレンジジュースが2つ。

 きっと、仲良く2個ずつ食べなさいってことだよね。

 そして、ねいろちゃんの部屋には、入ってまず目をひく、大きなグランドピアノが置かれていた。

「わっ! すごい! これ、ねいろちゃんの⁉」

「……わたしの部屋にあるんだもん。わたしのだよ」

 クールにそう答えるねいろちゃんに、私は、「あははっ!」と笑ってから、お願いしてみた。

「弾いてみて! 私、ねいろちゃんのピアノ、聴いてみたいな!」

 ニコッ! と、とびきりの笑顔で私が頼むと。

「……う」

 ねいろちゃんは、少し照れたように、おずおずといった様子で、鍵盤のふたを開けてくれた。

 学校を休んでいるあいだもピアノばっかり弾いてる、って、ねいろちゃんのパパが最初私にそう言ってたっけ。

 ねいろちゃんの、形のいい白い手が、優雅にピアノの鍵盤で躍る。

 わぁ……!

 ねいろちゃんが奏でる音色、すっごく素敵だな……!

 私、ピアノのことはよくわからないけれど……きっとたぶん、すごく上手な気がする。

「この曲知ってる。題名はわからないけど。有名な曲だよね」

 私がそうつぶやくと。

「ベートーヴェンの、エリーゼのために、だよ」

 ねいろちゃんが、そう教えてくれた。

「ベートーヴェン! 音楽室に飾られてる、偉い音楽家だよねっ!」

「そう。──この曲も、もともとは、エリーゼのために、じゃなくて、テレーゼ、っていう女性のために作られた曲らしいの。字がきたなくて、解読不能だったから、間違われたらしいよ」

 豆知識をひろうしてくれるねいろちゃんに、「はえー」と、私は感心の声をもらした。

「ねいろちゃんって、ほんとにピアノが大好きで、上手なんだね。ビシビシ伝わってきたよ! とても不登校してる子には見えないよーっ!」

 ピアノを弾き終えたねいろちゃんに、あははー、と明るく笑って言った私。

 ねいろちゃんは、わずかに目を見開く。そして、次の瞬間、こぶしをぎゅっとにぎりしめて、

「わたしは、『不登校してる子』なんて、呼ばれたくないっ!」

 そう、大声でさけんだ。

「ごっ! ごめん……っ!」

 あやまった拍子に、私の手がコップにあたって、オレンジジュースがこぼれた。オレンジの甘ずっぱい香りが、ねいろちゃんの部屋いっぱいに散る。

 ねいろちゃんは、そんな私に対し──少しあせったように、言葉をつむいだ。

「! ……こっちこそ、ごめんね。どなったりして。……雨宮さんは、すごくいい子だね。わたしのパパと校長先生に、言われただけなのに、こんなわたしを心配して、こうしてわざわざ家まで来てくれて」

「……こんなわたしって?」

 そう話すねいろちゃんの瞳は、とてもうつろで。まるで底しれぬ闇を見ているようだった。

 シーン、と静かな、グランドピアノが置かれたねいろちゃんの部屋で。

 ぽつり、と、ねいろちゃんがこぼした。

「わたしは……この世界から、いなくなりたいって。消えちゃいたいって、そう思ってる」

「! ────っ、」

 私は、ねいろちゃんの──友達の、『消えちゃいたい』って言葉の、あまりの重さと、不穏な空気におどろいて。

 そしてそれと同時に、学校をずっと休んでいたねいろちゃんが、そんな風に考えていたことが、とても悲しくなって。一瞬、言葉を失ったあと。

「だ、だめだよ……っ、ねいろちゃん、ゼッタイだめだよ。消えたいなんて思うのは! まだ私たち、中1なんだよ? ねいろちゃんが、なにに悩んでいるのかは……知らない、けどでもっ! これから楽しいこととか、嬉しいこととか、きっといっぱいあるはず! 死んじゃったら……それもぜんぶ、なくなっちゃうんだよ。わっ、私なんかが、何言ってんのって感じかもし、しれないけどっ……! ねいろちゃん、消えたいなんか、言わないでよ……っ」

 涙まじりに、後半は声をつまらせながら、矢継ぎ早に、必死でそう言った。

 そんな私を見て──なにか感じたのか、ねいろちゃんは、消えちゃいたいって思うその理由を話してくれた。

「わたしの家は、1年前にママが病気で死んじゃったの。受験して受かった桜望中の制服も──無事に中学生になれた、晴れ姿も……見せられなかった。わたしには、小学生の頃から、仲の良い友達もとくにいないし、好きな人だっていない。……さみしいの。天国にいる、大好きなママに会いたい……っ」

 そう、だったんだ。

 ねいろちゃんの家は、お母さんが亡くなっていたんだね。

 それで、また会いたいって。死んじゃえば会えるかな? って。ねいろちゃんは、そう考えるようになっちゃったんだ。

 でも、でもね。私、聞いていて、ひとつ不思議に思ったことがあるよ。

 だって、だってねいろちゃんには──

「でも、ねいろちゃんには──」

 ねいろちゃんには、ピアノと、あんなに優しいパパがいるじゃない。

 私がそう言いかけた、その瞬間。

 ──みかる氏! 聞こえますか⁉  みかる氏!

 とつぜん、私の頭の中に響いた声。阿弥陀如来サマ⁉

 ──みかるや、今すぐそこを離れるのじゃ!

 壱おじいちゃん!

 グワンアァァァァアアン!!!!!

 ねいろちゃんは、とつぜん立ち上がると、大切にしているはずのグランドピアノの鍵盤を、思いっきり両手でなぐりつけた。

 そして、バッ、と私につかみかかると。

 びっくりするくらいの怪力で、ピアノの上に組み敷いた。

「雨宮さんは……──みかるちゃんは、いいよね。いつも明るくて元気で、その上、生徒会長とかやってて……どうせ、死にたいと思ったことなんか、一度もないんでしょ?」

「ね、い、ろ……ちゃん……っ」

 ねいろちゃんが。

 私の知ってるねいろちゃんじゃない。

 その、苦しげにゆがんだ表情も。光を宿していない、真っ黒な目も。

 桜と一緒に、散っちゃったのかもしれない思い出が、ぶわっと込み上げてきた。

 入学式の日、私が落としたハンカチを拾ってくれたときに見せてくれた、はにかんだようなねいろちゃんの笑顔がよぎる。

 ──「ねいろちゃんって言うんだ。可愛い名前だねッ。私と友達になろうよ!」

 ──「み、みか……雨宮さんと友達になれて、わたしも嬉しい!」

 あの時、きっとねいろちゃんは、お母さんを亡くしたばかりでつらかったんだ。

 だから、笑顔も少し、悲しそうに見えたんだね。

 ギリギリと私の首を締めつける怪力は、きっと邪神のものだ。

「……ねっ、いっ……!」

 両うでに、せいいっぱい力を込めて、抵抗しても。

 ──ふりほどけない!

 息ができない。あまりの苦しさに、顔がゆがむ。

 うそ。やだ……いやだ!

 私……もしかして、邪神に殺される? こんなところで、死ぬの?

 ゾッとするような、芯から冷え込む恐怖に飲み込まれそうになった時。

 ──みかる氏! ねいろさんに問いかけてください! ねいろちゃんは──。

 阿弥陀如来サマの声が響いた。

「ね、いろちゃんは──【何が好き】?」

 必死で、そう、問いかけた瞬間。

 ねいろちゃんは、ハッとした表情を見せて──瞳に一瞬、生気が戻った。そしてそれと同時に、邪神の怪力が少しゆるんだ。そのスキを逃さず、私はねいろちゃんのうでから逃れる。

 ゴホッゴホッ、と、首をおさえてせき込む私。

「あっ……! わ、わたしは──」

 ねいろちゃんが、苦しそうに胸をおさえる。

 ──ピアノが好きなんじゃろう?

 気味の悪い、重低音。これは──邪神の、声!

 ──クケケケ。そんなもの、わしがとうに知っておるて。じゃからねいろから、それを取り上げて、かわりにドロドロを、たぁくさん、植えつけてやろうと思ったのに……。

 ヒュッ──。

 ねいろちゃんの意識が飛ぶ。

 ドロドロ……っていうのは、きっと、汚い心のことだ。阿弥陀如来サマが守ろうとしている、人が持つ美しい心とは、きっと真逆のもの。

「邪神!」

 許せない。ママを亡くして、弱ってるところにつけこんで。ねいろちゃんがこんなになるまで、悪いものを植えつけて!

「阿弥陀如来サマ! 私はどうすればいいの⁉」

 ──ふ……ょう、……お……ん……

 阿弥陀如来サマの声に、じっと耳をすませて。集中した瞬間、指が、勝手に動いた!

 鍵盤の、ドとレ、ドとシ。私はその2音を、うるさいくらい、ひたすら弾き続けた。

「ぶつ、かる……」

 意識を失っていたねいろちゃんが、うっすらと目を開け、そうつぶやいた。

 ──アーアーアー! 不快じゃ! この音オォオオ! うるさくてかなわんわ!

 邪神が、苦悶の声をあげる。きっとこの音は、邪神が嫌いな音なんだ。

 ──みかる氏! さあ! 【あみだぶつ】の仕事です!

「人の美魂を惑わす邪神よ、自分の棲むべき場所に還れ。ゆめゆめ、二度と現るるでない! 阿弥陀如来職務補佐第一中学生、桜望中生徒会長、雨宮みかるが命じる!」

 宙に浮かぶ札が現れ、私たちの周りをかこう。

 そして、まばゆくきらめきながら、気味の悪い嗤い方をする邪神に向かって、驚愕のスピードで飛んでいく。

「邪神、封じる! ねいろちゃんの魂は、極楽浄土へ! 『南無阿弥陀仏』!」

 念を込めてさけぶ瞬間、邪神の声が聞こえた。

 ──お前がウワサの生徒会長か。その忌々しい顔、しかと覚えたからな……。

「ねいろちゃんっ! ねいろちゃん! 大丈夫⁉」

 ねいろちゃんは、相変わらずぐったりしたままだ。

「ねいろちゃんっ!」

 私は、ねいろちゃんの名前を呼び続けた。

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