第11話 真由姉さんはスマホアプリでドキドキバクバクしたい(前編)

土曜日の昼下がり。


窓から差し込む初夏の陽射しが、白いレースカーテンを透かしてやわらかく揺れていた。


「お兄ちゃん、お昼までもう少しかかるから、ちょっと休んでていいよ」


キッチンに立つあかりは、淡いベージュの薄手ニットにショートパンツ姿。


鍋をかき混ぜるたびに、ニット越しに柔らかい胸のラインが浮かび上がり、短いパンツから伸びる健康的な太ももがちらちらと見える。


料理をしているだけなのに、妙に女の子らしくて、視線を逸らすのが大変だった。


(……あれが“初夏の膝枕コーデ”ってやつか。あかり、無自覚すぎるだろ……)


心臓を抑えつけるように深呼吸していると、あかりが思い出したように言った。


「そういえば、今日ね。真由お姉ちゃんがこっちに来るんだよ」


「え、マジで? 俺、聞いてないぞ」


「おととい話したじゃん。私から」


……そうだった。真由姉さんが東京の友人に会うついでに、こっちにも寄ると。だが、なぜ本人からじゃなく、あかり経由で知らされるのか。


真由姉さんは、俺たちの地元の公立大の大学院に通う心理学専攻の院生だ。落ち着いた雰囲気で面倒見がよく、地元の商店街の人からも頼られるタイプ。


性格は優しいけれど、時々するどいところがあって、気づけば人の心を見透かしているようなことをさらりと言う。


「真由姉さん、高校の時からあかりの勉強とか見てくれてたんだろ?」


「うん。テスト前とか受験のときも、親身になって相談に乗ってくれて……。進路決めるとき、一番助けてくれたの」


あかりは包丁を動かしながら、少し照れくさそうに笑った。


俺の知らないところで、彼女がどれだけ真由姉さんに支えられていたのかを思うと、ありがたい反面、妙な緊張感が走った。



昼過ぎ、インターホンが鳴った。


出迎えると、涼しげなワンピース姿の真由姉さんが立っていた。


落ち着いた紺色のワンピースに小ぶりのトートバッグ。長い黒髪を後ろでゆるくまとめ、知的な雰囲気を漂わせている。


「久しぶり。元気にやってる?」


「は、はい。真由姉さんこそ」


俺が少し固い声で返すと、真由姉さんはにこっと笑った。


どうしてだろう。あの笑顔を見ると、子どもの頃からいまだに心を読まれている気がする。


「さ、あがって。ごはんできてるよ!」


あかりが笑顔で迎え入れると、リビングのテーブルには色とりどりの料理が並んでいた。


チキンのトマト煮、彩り野菜のサラダ、かぼちゃの冷製スープ。


それに、あかりが得意な卵焼きまで添えられている。


テーブルクロスまで新しいものに変えてあって、まるでおもてなし仕様だった。


「すごいわね、あかりちゃん。こんなに作れるなんて」


「えへへ。今日は特別だから」


3人で向かい合って昼食を囲むと、どこか実家での団らんを思い出す。


ただ、違うのは、ここが俺とあかりの住む家で、真由姉さんが客としてきているということだ。


食事の合間に、真由姉さんがあかりに質問した。


「大学生活、どう? 楽しい?」


「うん! ゼミも始まったし、友達もできて、すごく楽しいよ」


「そう、よかった。……蓮くんも、ちゃんと勉強してる?」


「は、はい。まぁ……」


返事を濁すと、真由姉さんの目が細められる。やばい、見透かされてる。



昼食が落ち着いた頃、真由姉さんがバッグから何かを取り出した。


「実はね、今日はお願いがあって」


テーブルに置かれたのは、見慣れないスマートウォッチ。


「今、ベンチャー企業と共同開発してるスマホアプリがあって。ユーザーテストに協力してほしいの」


「ユーザーテスト……?」


「簡単に言えば、モニター体験ね。私が専攻してる心理学の研究とも関係してて」


そう言うと、真由姉さんはスマホの画面を見せてくる。


そこには「脈拍データとお題チャレンジで信頼度を測定」と書かれていた。


「へぇ……スマートウォッチで脈拍を測るんですか?」


「そうそう。アプリから出されるお題をクリアするときの脈拍変化を見て、二人の信頼度やドキドキ度を測定するの」


思わず、俺とあかりは顔を見合わせた。


こんなの、どう考えても恥ずかしい。


「でも……真由お姉ちゃんにはいっぱい勉強教えてもらったし、協力したいな」


あかりが小さくつぶやくと、俺の方を見てきた。


「お兄ちゃんも、一緒にやろ?」


真由姉さんはにこにこと、俺の反応を待っている。


心の奥で警戒音が鳴っていたが、断れる雰囲気ではなかった。


「……わかりました。協力します」


「よかった。それじゃあ、早速試してみましょうか」


真由姉さんの声が、昼下がりの空気を少しだけ張り詰めさせた。

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