第9話 俺は旅行サークルに入って全国を旅したい(前編)
朝の光が差し込むダイニング。
テーブルに座る俺の前に、今日のお弁当が置かれた。木目の曲げわっぱ弁当箱、色鮮やかなおかずがぎゅっと詰まっている。
「今日はちょっと中華風だよ。酢豚と、エビチリと、青椒肉絲。ほら、お兄ちゃんのお気に入りでしょ?」
あかりは笑いながら、エプロン姿で胸を張った。
胸のふくらみがエプロンの布を押し上げ、その下からはショートパンツに伸びる白い脚。長い黒髪は高い位置でポニーテールに結ばれ、朝の光を受けてきらりと揺れた。
「すごいな……弁当屋かってレベルだな」
「えへへ。だって、お兄ちゃんのために作ってるんだから」
口に出すのが恥ずかしいくらい、真正面から言ってくる。
しかも、あかりの頬はほんのり紅潮していて、その姿は女の子らしく、初々しい。
「いってらっしゃい」
柔らかい声とともに、俺の背中に軽く押し付けられるような感覚。振り返れば、彼女がにこにこと手を振っていた。
◇
俺の実家は長野の山奥だ。
子どもの頃の旅行といえば、せいぜい隣県に出かける程度だった。修学旅行で京都や東京に行ったことはあったが、北海道や九州なんて一度も足を踏み入れたことがない。
大学生のうちに全国を見て回りたい。起業を目指す俺にとって、各地の産業や人を知るのはきっとプラスになる。
そんな思いを胸に、今日も大学の講義へ向かった。
◇
「君、1年生だよね?」
キャンパスを歩いていると、声をかけられた。
振り向くと、明るい雰囲気の女性先輩が立っていた。
軽やかに巻いた髪、日差しに映える爽やかな笑顔。都会的な雰囲気に、一瞬で視線を奪われる。
「は、はい。1年です」
「私は旅行サークルの3年、水野。うち、インカレで他大学の子も入ってるんだ。よかったら説明会、来てみない?」
差し出されたチラシを受け取る。
そこには「旅行サークル・春の活動説明会」とあり、楽しげな写真が並んでいた。
「ここは春休みに行った北海道旅行! チョコレート工場と旭山動物園!」
「こっちは去年の夏の九州! 世界遺産と島巡り!」
写真を指差しながら説明してくれる水野先輩。
画面越しに見た観光地とは違う、生の熱気があった。
◇
説明会の会場には、先輩や新入生が十数人集まっていた。
大きなスクリーンには、旅行中の写真や動画が次々と映し出される。
「旅費はもちろん自腹だけど、工夫して安く抑えてるの。民泊に泊まったり、レンタカーでシェアしたりね」
「夏と春に大きな旅行をして、それ以外は週末に近場へ。例えば鎌倉とか、秩父とか」
北海道の広い空、九州の鮮やかな海。
楽しそうに笑う先輩たちの姿は、見ているだけで胸が高鳴る。
「これ、春の北海道旅行のお土産。よかったらどうぞ」
水野先輩から渡されたのは、有名なチョコレート菓子とバターサンド。
まさか説明会で土産まで貰えるとは思わなかった。
俺は迷ったが、ひとまず「仮入部」で申し込んだ。すでにイベントサークルと広告研究会に入っているし、ゼミもある。アルバイトも考えれば、これ以上増やすのは無理だ。
◇
帰り道、ふと今日の出来事を振り返る。
イベントサークルは、小早川先輩が看板のような存在で、とにかく華やか。毎週のようにパーティーや飲み会がありそうで、仲間と騒ぐのが好きな人にはたまらないだろう。
広告研究会は、藤森先輩のように知的で落ち着いた人が多く、人脈作りや実績を重視する雰囲気。OBの社長とも繋がれるらしいし、キャリアを意識するなら強い味方になる。
そして今日見た旅行サークルは、水野先輩を中心にアットホームで仲の良さそうな空気。みんなで旅をして、思い出を共有するのが魅力なんだとすぐにわかった。
どれも違った良さがあって、選びきれない。けれど、この東京でなら全部経験できる。
◇
地下鉄に揺られながら、流れる街の灯りをぼんやりと見つめる。
さっきまでの先輩たちの笑顔や、説明会の映像が頭の中をぐるぐる回っていた。
気のせいかもしれないが、朝よりも胸が少しだけ張り、足取りが軽くなっていた。
あわただしいけど、充実している。
東京に来て良かった。そう強く思いながら、俺は家路を急いだ。
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