第9話 俺は旅行サークルに入って全国を旅したい(前編)

朝の光が差し込むダイニング。

 テーブルに座る俺の前に、今日のお弁当が置かれた。木目の曲げわっぱ弁当箱、色鮮やかなおかずがぎゅっと詰まっている。


「今日はちょっと中華風だよ。酢豚と、エビチリと、青椒肉絲。ほら、お兄ちゃんのお気に入りでしょ?」


あかりは笑いながら、エプロン姿で胸を張った。

 胸のふくらみがエプロンの布を押し上げ、その下からはショートパンツに伸びる白い脚。長い黒髪は高い位置でポニーテールに結ばれ、朝の光を受けてきらりと揺れた。


「すごいな……弁当屋かってレベルだな」

「えへへ。だって、お兄ちゃんのために作ってるんだから」


口に出すのが恥ずかしいくらい、真正面から言ってくる。

 しかも、あかりの頬はほんのり紅潮していて、その姿は女の子らしく、初々しい。


「いってらっしゃい」

 柔らかい声とともに、俺の背中に軽く押し付けられるような感覚。振り返れば、彼女がにこにこと手を振っていた。



俺の実家は長野の山奥だ。

子どもの頃の旅行といえば、せいぜい隣県に出かける程度だった。修学旅行で京都や東京に行ったことはあったが、北海道や九州なんて一度も足を踏み入れたことがない。


大学生のうちに全国を見て回りたい。起業を目指す俺にとって、各地の産業や人を知るのはきっとプラスになる。

そんな思いを胸に、今日も大学の講義へ向かった。



「君、1年生だよね?」


キャンパスを歩いていると、声をかけられた。

振り向くと、明るい雰囲気の女性先輩が立っていた。


軽やかに巻いた髪、日差しに映える爽やかな笑顔。都会的な雰囲気に、一瞬で視線を奪われる。


「は、はい。1年です」


「私は旅行サークルの3年、水野。うち、インカレで他大学の子も入ってるんだ。よかったら説明会、来てみない?」


差し出されたチラシを受け取る。

そこには「旅行サークル・春の活動説明会」とあり、楽しげな写真が並んでいた。


「ここは春休みに行った北海道旅行! チョコレート工場と旭山動物園!」

「こっちは去年の夏の九州! 世界遺産と島巡り!」


写真を指差しながら説明してくれる水野先輩。

画面越しに見た観光地とは違う、生の熱気があった。



説明会の会場には、先輩や新入生が十数人集まっていた。

大きなスクリーンには、旅行中の写真や動画が次々と映し出される。


「旅費はもちろん自腹だけど、工夫して安く抑えてるの。民泊に泊まったり、レンタカーでシェアしたりね」


「夏と春に大きな旅行をして、それ以外は週末に近場へ。例えば鎌倉とか、秩父とか」


北海道の広い空、九州の鮮やかな海。

楽しそうに笑う先輩たちの姿は、見ているだけで胸が高鳴る。


「これ、春の北海道旅行のお土産。よかったらどうぞ」


水野先輩から渡されたのは、有名なチョコレート菓子とバターサンド。

まさか説明会で土産まで貰えるとは思わなかった。


俺は迷ったが、ひとまず「仮入部」で申し込んだ。すでにイベントサークルと広告研究会に入っているし、ゼミもある。アルバイトも考えれば、これ以上増やすのは無理だ。



帰り道、ふと今日の出来事を振り返る。


イベントサークルは、小早川先輩が看板のような存在で、とにかく華やか。毎週のようにパーティーや飲み会がありそうで、仲間と騒ぐのが好きな人にはたまらないだろう。


広告研究会は、藤森先輩のように知的で落ち着いた人が多く、人脈作りや実績を重視する雰囲気。OBの社長とも繋がれるらしいし、キャリアを意識するなら強い味方になる。


そして今日見た旅行サークルは、水野先輩を中心にアットホームで仲の良さそうな空気。みんなで旅をして、思い出を共有するのが魅力なんだとすぐにわかった。


どれも違った良さがあって、選びきれない。けれど、この東京でなら全部経験できる。



地下鉄に揺られながら、流れる街の灯りをぼんやりと見つめる。

さっきまでの先輩たちの笑顔や、説明会の映像が頭の中をぐるぐる回っていた。

気のせいかもしれないが、朝よりも胸が少しだけ張り、足取りが軽くなっていた。


あわただしいけど、充実している。

東京に来て良かった。そう強く思いながら、俺は家路を急いだ。

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