第38話

2013年11月。

 親友グループのLINEに翔子さんからメッセージが届いた。


「来週の隼くんの誕生日!KIRISAWAでパーティーやるね❤️鍋でもしよー!みんな絶対参加で!」


 隼の誕生日は祝日で、店も休みになる日だった。

 翔子さんはいつもみんなの誕生日を全力で祝うけれど、今回は自分の店を会場にできるとあって、さらに気合いが入っているに違いない。


 私はというと、あれ以来ずっと隼に返事をできずにいた。

 バイトのシフトが重なることもなく、顔を合わせる機会もほとんどない。だけど、このままじゃ良くないことくらいわかってる。はっしが言ってくれたように、勇気を出して素直になればそれで済むこと。

 それでも、いざその瞬間になるとよみがえるのは、いがみ合っていた両親の顔だった。

 お互いに好きで結婚して、私を授かったはずなのに。

 ――どうしてあんなふうに憎み合うようになったんだろう。

 隼とそうなりたくない。その怖さが、どうしても私の足を止めてしまう。


「杏!隼の誕生日会、絶対きてよ!」

 ダイニングテーブルの向かいで、翔子さんがニコニコしながら言った。


「……あんまり行きたくないけど」

「もう!隼が一番祝ってほしいのは杏でしょ?」

「LINEでおめでとうって言うよ」

「とにかく来なさい!業務命令!」


 翔子さんは完全に本気だった。


――――――――――――――――――


 11月23日。勤労感謝の日が隼の誕生日。


 朝から翔子さんは張り切っていて、夕方のパーティーを前に神まで呼び出し、せっせと準備を進めていた。

 もちろん私も逃げられるはずがなく、ケーキのスポンジ作りを任されていた。


 ボウルに泡立て器を走らせながら、ふと思う。

 ――これを隼が食べるのか。


 出会ってもう十年近くになるのに、隼に手作りのものを渡したことなんて一度もなかった。

 バレンタインだって、ちーちゃんは友チョコまで律儀に手作りしていたのに、私は何も用意したことがなかった。

 なのに、どうして私なんかを好きになってくれたんだろう。

 せっかく作るなら、美味しく仕上がるといい。

 隼が幸せな二十一歳を過ごせるように――そう願いを込めながら、腕に力を込めた。


 トントン、と階段を上がってきた翔子さんが、横に立った。

 「いい感じ!杏、上手じゃん。デコレーションもお願いしていい?」

 「無理無理!やったことないし、翔子さんがやってよ」

 「杏が全部作ったほうが、隼は絶対喜ぶって!」

 「……そうだといいね」


 翔子さんはふっと真顔になり、私の目を見た。

「ねえ、杏。私も色々あったけどさ、今すごく幸せなの」

「……」

「東京にいた時、離婚してグチャグチャだった頃は、もう二度と立ち直れないと思ってた。でも大竹に来て、大好きな空間で、大好きな人たちと、大好きな仕事ができてる。しかも“もう恋なんてしない”って思ってたのに、まさかあんな年下の彼氏にこんなに幸せにしてもらえるなんて思ってなかった」


 翔子さんの目が少し潤んでいた。


「あの時の地獄は、この天国のための時間だったんだなって思うの。離婚しなきゃ大竹に来てなかったわけだし。……杏はお母さんのことでたくさん苦労してきたから、色々考えちゃうんだと思う。でもね、必死で生きてたら、結局人間って幸せになれるんだよ」


「翔子さん……」


「だから、目の前にある“幸せの芽”から逃げてる杏が、もどかしいの」

 そう言ってニカッと笑うと、「まぁとにかくケーキ作って!」と声を弾ませ、また一階へと降りていった。

 

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