第33話

 KIRISAWAの営業後、時間を取ってもらって青さんとお話することにした。

 静まり返った空間に、カップの音が小さく響く。


「杏、どうした?」

「うん……あの……」


 言葉が喉でつかえて出てこない。そんな私を見て、青さんが先に口を開いた。


「僕から言った方がいいかな」

「……え?」

「大体分かるよ。杏が伝えようとしてること」


 落ち着いた声。でもその奥には、少しの寂しさが混じっていた。


「僕はね、杏が好きだ。どうしようもないくらい」

「青さん……」

「例え、杏が僕ではなく違う人を想っていても。そんな杏ごと、全部好きなんだ」


 胸がぎゅっと締め付けられる。


「隼くんに勝てないことなんて、最初から分かってたよ。君が真っ先に頼るのは隼くんだってことも」

 青さんは少しだけ視線を伏せる。

「だからこそ……『海辺から』では、陸と沙也加を結ばれないようにした。普通なら、きっと結ばれるはずの2人なのに。あれは僕のエゴだ。せめて物語の中だけでも、杏を僕のものにしていたかったから」


 淡々と語られる告白が、余計に切なく響いた。


 応えられない気持ちを向けられるのが、こんなにも悲しいなんて――知らなかった。

 私はずっと、青さんにとって自分はほんの一部の存在だと思っていた。

 成功していて、たくさんの人に囲まれて、私なんかはその中に紛れてしまうんだと。

 なんなら、他にも彼女がいるんじゃないかって……そのほうが気楽でいい、とまで思っていた。


 ―何も分かっていなかったのは、私の方だった。


 涙がこみ上げてきた。泣く資格なんてないのに。


「僕は“別れる”って言葉は好きじゃないから言わない。でも、僕らが恋人じゃなくなったとしても、杏は大切な人だよ。だから自分を責めないで欲しい」

 青さんは優しく言葉を重ねる。

「学費のことだって、僕が出したかっただけだ。君は気にせず学んで。僕の装丁を書いた実績も就活には有利でしょ?遠慮なく活用して。そしてまた、僕の本の装丁を書いてよ」


「青さん……ありがとう、ごめんなさい……」


 青さんは静かに微笑み、私の髪を撫でた。


「無理に囲い込もうとした僕も悪かった。学費も、夢も――断りづらいよね」

「違います……私が弱くて、子供なだけです」

「杏は周りを幸せにすることができる。みんな君を大好きだ。……幸江さんにそっくりだよ。だからこれからも変に気まずいと思わないで、仲良くしよう」


「ありがとうございます……」


 もう蛇口が壊れたみたいに涙が止まらなかった。

 青さんが優しすぎて。

 自分が情けなさすぎて。


 ――もう誰も、傷つけたくない。絶対に。

 

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