第22話

2012年8月


 結局、爽ちゃんと親友たちのご対面は、大学2年の夏になってやっと叶った。

 翔子さんが「今年はみんな二十歳になる年だし、カフェの常連さんや友達も巻き込んで、パーっとバーベキューしよ!」と言い出した。翔子さんに首ったけで、もはやパシリとも化している神が張り切って企画から準備まで担当。川沿いでの大人数BBQが決まった。


 爽やかな山あいの川辺に、朝から続々と人が集まる。

 主催の翔子さん、神、はっし。昼間のパートさんたちと旦那さんや子どもたちも来た。KIRISAWAの常連さんも10人ほど参加してくれた。ちーちゃんは専門でできた新しい彼氏・山下くんと参加。私は爽ちゃんを連れてきた。

 青木さんは東京で仕事があるということで欠席だったが、極上の肉や野菜、お酒を大量に差し入れてくれた。さすがすぎる。

 そして隼は、大学ゼミの後輩・香帆ちゃんを連れて現れた。予想以上に大所帯の賑やかな会になった。


「とはいえ、隼が女子連れてくるとはなあ。」

 神がニヤニヤしながら口火を切る。


「いや、ほんまはもう一人男子も来る予定やったけど、風邪で来れんかったんや。だから今日は酒井だけ」

「酒井香帆です。よろしくお願いします。一年生なので皆さんより一つ下です」

礼儀正しく頭を下げる香帆ちゃん。ボブの髪に柔らかな笑顔、ふんわりした雰囲気で、隼の横に並んで楽しそうにしている。


 胸の奥が少しチクリとして、恥ずかしくなる。


「あんたの友達、イケメンばっかじゃない! 私の彼氏できる前に紹介しなさいよー!」

爽ちゃんが、はっしの焼いた肉を頬張りながら私を軽くどつく。

「え、爽ちゃん彼氏おるん? どんな人?」ちーちゃんが興味津々だ。

「まあ、いい男よ」とえらく色っぽく答える爽ちゃんが面白い。

「ねえねえ、そっちの人ってどこで出会うん?」

 と神が聞いた。

「どこでも出会うわよー。あなたたちノンケと変わらないわよ。ほら?実はそっち系って男、意外といるからね」

 と意味深に微笑む爽ちゃん。

 私は思わず隼の顔を確かめるように見たけど、彼は表情ひとつ変えない。もしかして、隼がゲイなんて私の勘違いなのだろうか。それとも香帆ちゃんに出会って、そっちにも目覚めたのだろうか…。

そこへすかさずはっしの声。

「とはいえ爽ちゃーん! 杏たんに合鍵渡してるやろ!俺、まじジェラシーやわ!いくら爽ちゃんはオカマとは言え、男やん?!」

 タオルを頭に巻き、軍手姿でトングを握りしめ、爽ちゃんをビシッと指差す。

「こーれだからノンケはイヤだわー。私は杏をただのメス豚としか思ってないわよ! 何? はっしは杏のこと好きなの?」

 「おい! 杏たんをメス豚言うなあああ!」

はっしが声を張り上げ、爽ちゃんは「杏が相手してくれないなら、私がいるわよ」と笑っている。

2人のやりとりは可笑しくて笑ってしまう。だけど私はなんだか心ここにあらずで、隼と香帆ちゃんのことばかり気になっていた。


「杏ー? 飲んでるー?」

不意に翔子さんが酔った様子で近づいてきた。


「あたしはまだ二十歳じゃないけん、ノンアルよ」

「えー、いいじゃんちょっとくらい! 酔えば本音で話せるかも?」

 悪戯っぽく顔を近づけてくる翔子さん。すでに出来上がっている。私はそこから少し離れた川辺の折りたたみ椅子に翔子さんを座らせ、水を手渡した。そして私も隣に腰掛けた。

 

 まるで家の窓から花火を見ているみたいに、私はみんなの様子をぼんやり眺めていた。


爽ちゃんとはっしは、案の定相性がいい。まさに陽キャ同士だ。常連さんたちまで巻き込んで大盛り上がりしていて、あの二人がいると場が一気に明るくなる。

ちーちゃんは山下くんと肩を寄せ合って笑っていて、その笑顔を見ているだけで胸が温かくなった。山下くんのことはまだよく知らないけど、ちーちゃんのことを大事にしているのは一目で分かる。

神は子どもたちと本気で遊んでいて、ママさんたちが笑顔でそれを眺めていた。神のおかげで、育児から解放されたひとときを楽しんでいて安心する。


――そして隼は。

香帆ちゃんに肉を取り分け、飲み物まで気を遣って渡していた。彼女の隣で自然に振る舞う姿は、まるで恋人のようで。


「……しんど」

思わず漏れた言葉に、翔子さんがすかさずニヤリとする。

「隼くん、取られたくないんでしょ?」

「べ、別に! そんなんじゃないけ」

「へえ。はっしなら良くて、香帆ちゃんはダメなんだ?」

「どっちでもいいし! 関係ないもん!」

「ふふっ、かわいい」


翔子さんは私の頭を軽くポンと叩いた。

……どうしてだろう。隼と付き合いたいなんて思っていないのに。むしろ、もしはっしとうまくいってくれたら、私はすごく嬉しいはずなのに。

胸の奥に、じくじくしたものが広がっていく。


じっと隼を見ていたら、彼がふとこちらを振り返った。すぐに新しい紙皿に肉を取り分け、私と翔子さんの前に差し出す。

「ほれ」

「ありがとう隼くん!」

「ありがとう」


受け取った私たちを残して、彼はまた香帆ちゃんの隣へ戻っていく。


「隼くんって、本当によく周りを見てるよね」翔子さんが肉を頬張りながら言った。

「……うん」


 隼はみんなに優しい。私だけ特別なわけじゃない。これまで私に寄り添ってくれたのは、私が色々大変だったからで、もし香帆ちゃんが同じように困っていたら、きっと彼は同じように支えてあげるんだろう。

 それが隼のいいところで、私がずっと大好きなところ。

 なのに、どうしてこんなに泣きたくなるんだろう。


「それにしても、この肉めちゃくちゃ美味しいね。杏も食べなよ。青木さんって本当センスいいわ」

「……うん」


 ひと口食べて驚いた。今までバーベキューの肉って固いものだと思っていたのに、これは柔らかくて甘い。

「すごい、美味しい。青木さん、やっぱりすごいね」

「でしょ? 来られたらよかったのにね」

「うん……忙しいのかな」

「ブックカフェ以外にも色々やってるらしいよ。なんか編集の仕事とかも」

「へえ……ほんと完璧だよね、青木さんって。イケメンで、紳士で、お金もあって。翔子さん、好きにならないの?」


 歳も近くて、ずっと一緒に働いてきた翔子さんと青木さん。恋人になってもおかしくないと思っていた。

「はは、優良物件だけどねえ。長年一緒にいてもプライベートが全然見えない人だから、なんか踏み込めなくてさ。私って基本ダメンズウォーカーだから、逆にああいう人には惹かれないの」


「じゃあ神は? 翔子さん大好きじゃん。元女ったらしでダメンズだよ」

「神くんは可愛いけど……歳が離れすぎよ」

「もう未成年じゃないんだし、いいんじゃない? 翔子さんのおかげで一途な男に変わったんだし」

「でもね、いずれ気づくのよ。『こんなバツイチのおばさんなんで好きだったんだろ?』って。黒歴史にされるのは、ちょっと寂しいでしょ?」


 冗談めかして笑っていたけれど、翔子さんの声の奥に、ほんの少し寂しさがにじんでいる気がした。

 ―――――――――――― 

 バーベキューが終わり、爽ちゃんや香帆ちゃん、山下くん、常連さんたちを駅まで送った。

もう夜。私たちはKIRISAWAに戻ってきた。親友たちと翔子さん、それに運転担当だったはっしと神はここから飲みたいらしく、結局いつものメンバーで二次会が始まった。


「爽ちゃんって本当いいキャラ!大好き!今度バイトしてる流川のオカマバー行こうよ!」

ちーちゃんはすっかり爽ちゃんにハマった様子。


「ちーもよかったやん。山下くん、寺山より大事にしてくれそうやし」

神も缶チューハイ片手に陽気になっていた。


「隼たんもついに女の子連れてきたしなー!」

はっしが調子よく声を上げる。


「そんなんやないから」

隼は即座に否定する。


翔子さんは私をちらりと見て、にこっと笑った。


その時、不意に店のドアがガラリと開いて、鈴の音が響いた。

入ってきたのは青木さんだった。


「あっ、青木さん!今日は美味しいお肉とお酒、ありがとうございました!」

翔子さんが声を掛ける。

私たちも立ち上がってお礼を言った。


「いやいや、全然いいんだよ。僕は行けなくてごめんね。またすぐ行かなきゃいけないんだけど、ちょっと杏ちゃんに話があって」


「へ?」

急に名前を呼ばれて、私はびっくりした。


青木さんは私の前に来て、革のいかにも高級そうなビジネスバッグから分厚いA4サイズの茶封筒を取り出した。


「これ、玉木青の次に出る新刊の原稿なんだけど、読んでみて、装丁を描いてもらえるかな?今回の物語はね、舞台が広島で。だから杏ちゃんにぴったりかなと思って。」


「……………………え?」


あまりに衝撃的な発言に、頭がついていかない。


「杏ちゃんの描いた装丁が必ずしも選ばれる保証はないけど、よかったら挑戦して欲しいんだ。ほら、今夏休みだし、少しは時間あるでしょ?」


「玉木青の原稿……なんですか?」


「うん」

青木さんはすっきりと微笑んだ。


「杏たん!夢叶うやん!!玉木青の装丁描くの、ずっと目標にしてたやろ!」

酔い気味のはっしが大声で割り込んでくる。


「すごいすごいすごい!玉木青の原稿なんてやばいよ!杏ちゃん、すごいチャンスじゃん!」

玉木青ファンの翔子さんも大興奮だ。


私は突然降ってきた夢のような出来事に頭が追いつかなくて、呆然としていた。こんな急に、こんなあっけなく。とんでもなく遠い道のりだと思っていたチャンスが、目の前に降ってくるなんて。


「杏!頑張んな!あんたの絵が書店に並ぶかも!」

ちーちゃんも興奮している。


神も「頑張れよ!」と笑い、隼も「やったやん!お前なら選ばれるやろ」と優しく声を掛けてくれた。


私は青木さんの目を見て、「ありがとうございます!やります!」と封筒を受け取った。

 

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