第13話

 目覚めると、味噌汁の香りと、包丁の耳に心地よい音が聞こえた。

翔子さんが何か作ってくれてるのかな?

キッチンに出てみると──

案の定、翔子さんが朝ごはんを作ってくれていた。

しかも、まるで料亭の朝ごはんみたいに、品数が多い。


「おはよう、杏ちゃん!」

「おはようございます。冷蔵庫、ほとんど食料なかったでしょ? どうしたんですか?」

「私、早起きしちゃって! 商店街をぶらぶらしてたの! ここって朝早くから八百屋さんも魚屋さんも開いてるんだね、すごいよ! それで、みんなと仲良くなってきた! “桐澤洋裁店です”って言ったら、みんなサービスしてくれて。おばあちゃんと杏ちゃんの人望って、すごいな〜」

「朝からこんなに作ってくれる翔子さんのほうが、すごいよ〜」

「ははは! なんか嬉しくて! 初日だから張り切ってるけど、しばらくしたら品数は減ると思う〜!」


二人でダイニングテーブルに着いて、「いただきます」と朝ごはんを食べ始める。

味噌汁をひと口啜ると、「おいしすぎる」と思わず声が漏れた。

翔子さんは、本当に料理センスのある人だ。

「嬉しすぎる〜!」と、翔子さんが満面の笑みを浮かべた。

「ねぇ、明日から新学期でしょ? 宿題は済んでる?」

「7月中に全部終わらせてました。いや〜……8月は壮絶だったから、やっといて正解でしたね」

まさかこの1ヶ月で、おばあちゃんが亡くなって、東京に行って、妹が生まれて、

そして翔子さんと一緒にこの家に帰ってくるなんて──

まるで走馬灯みたいに、人生の出来事が一気に押し寄せたような一月だった。


「さすがだね〜! ねえ、杏ちゃんの親友たちは終わってるの?」

「うーん、多分……ちーちゃんと隼は終わってる。神とはっしは、ほとんど残ってると思う」

「ははっ! じゃあここに呼んじゃおうよ! みんなで宿題やっちゃえばいいし! 私、杏ちゃんの親友たちにも挨拶したかったんだ。お昼ご飯、腕によりをかけて作るからさ!」


──そういえば、はっしから来てたいつもの自撮りメッセージ、まだ返事してなかった。

帰ってきたことも、まだ誰にも伝えていない。


昨日のはっしの自撮りは「杏たん、そろそろ帰ってきて〜」というメッセージとともに、大袈裟な泣き顔ポーズ。(ちなみにパンダメイクのマジック跡のせいで、目元はいまだに黒ずんでいる)

思わず笑ってしまう、早く返信してあげよう。


私は携帯を手に取って、ゆっくりとメールを打ち始めた。

【翔子さんと一緒に大竹帰ってきたよ。

翔子さんがみんなに会いたいって。お昼ご飯作ってくれる。

はっしと神はどうせ宿題終わってないでしょ。持ってきて、うちでやって〜。

はっし、まだ目元黒いからクレンジング貸すから、ちゃんと顔洗ってね。】


グループに一斉送信をして携帯を伏せた。


数分もしないうちに、ピロリ、と着信音が鳴る。

ちーちゃんからだった。


《いくー!! 杏にも翔子さんにも会いたいし!》


ふふっと笑った直後、立て続けにもう一通。


《杏たん、女神か……!

杏たんのクレンジングで……全身洗いたい!!》

──安定のはっし節。……本当に全身洗いそうで怖い。


三通目は神。

《宿題終わってないの大正解!ってことは、お前ら手伝ってくれるんよね??》

──これまた安定の、清々しいクズぶり。


そして、少し間が空いてから、四通目。

《12時くらいに行くんでええ?》


隼だ。

短く、そっけなく、でもちゃんと律儀で、いつも通り。


──みんな、何にも変わってない。

たった一通のメールで、それぞれの声や顔が頭に浮かんできて、私は思わず笑ってしまった。


お昼になって、みんなが続々とうちに集まってきた。

玄関のチャイムが鳴るたび、翔子さんと私は台所から顔を出す。


最初に現れたのは、ちーちゃんだった。


「初めまして〜!」と明るく玄関に現れて、靴を揃えながら笑う。


「あっ、ちーちゃんだよね! 可愛い〜!! これからよろしくね」


翔子さんがパッと顔を輝かせて声をかけると、ちーちゃんも「よろしくお願いします!」と嬉しそうに頭を下げた。


そのすぐあと、階段をバタバタと駆け上がってきた声がした。


「お邪魔しま〜す! はっしで〜す!!」


はっしだった。予想通り、いや、予想以上に元気だ。


階段の途中で翔子さんを見上げて、目をまん丸にする。


「あ、あ、杏ちゃん!? 東京行って大人っぽくなった!!? 背、伸びた!?!?」


何言ってるんだこの人は。


翔子さんが吹き出しながら、

「ははは! さすがはっし君! 私が杏ちゃんに見えた?」と笑うと、


はっしも「いや〜すんません!!!」とおどけて頭をかいた。


「とりあえずはっし、洗面所にクレンジングあるから、洗っといで〜」と私。


「お風呂で全身洗ってもええかい?」


「アホか」


翔子さんはお腹を抱えて笑っていた。




玄関が再び開いて、神と隼も現れる。


「こんにちは、神野です」

「……一ノ瀬です。お邪魔します」


ふたりともそれぞれのテンションで挨拶してくれて、翔子さんは「あっ、神くん、隼くんね! 来てくれてありがと〜!」と笑顔で迎えた。


ふと、隼と目が合う。

その瞬間、思わずふっと吹き出してしまった。


「……何笑ってんねん」


隼が怪訝そうに眉を寄せる。


「銃刀法違反に気をつけてね」


私が言うと、隼が「それまだ言うか……」と呆れたように笑った。


翔子さんが作ってくれたのは、目玉焼きがちょこんと乗ったガパオライスだった。

旬の夏野菜が彩りよく散らされていて、湯気の立つその一皿からは、香ばしいバジルとスパイスの香りが立ちのぼっていた。

椅子が足りなかったので、一階の洋裁店からミシン用の椅子と来客用の椅子を引っ張り出し、私たちはぎゅうぎゅうにダイニングテーブルを囲んだ。


「いただきまーす!」


全員で手を合わせると、空気が一気にやわらかくなる。


「うわ……こんな洒落た料理、初めてや!!」

はっしが感嘆の声をあげる。翔子さんに目を輝かせながら、わしわしとスプーンを動かしている。


ひと口食べた瞬間、みんなの顔がパッと明るくなった。

ひき肉の旨味と甘辛い味つけ、それに絡むピーマンやパプリカの食感と甘さ。ひと口ごとに夏の味が広がって、思わず言葉を失ってしまう。


「美味しすぎる……! これ、ブックカフェのメニューにしてくださいよ!」


ちーちゃんが感嘆の声を上げた。


「ありがとう! そうだね、メニューも考えないとね。店の名前とか、メニューとか、仕入れる本も──全部任せてもらってて。やること、いっぱいで」


翔子さんが笑いながら言うと、すかさずはっしが手を挙げた。


「じゃあ店の名前は『翔子と杏〜世界一のマドンナ〜』ってのはどうっすか!?」


「ドラマでもそんなタイトルないわ」と隼が即座に突っ込む。


「でも、ほんま……料理もうまいし、こんなに綺麗な人がこの田舎に来てくれるなんて。

杏とちーちゃん、大竹のマドンナの座、とられたな。やっぱり東京の女性は格が違うわ」神が饒舌に言った。


「翔子さん、気をつけて。口説きモード入ってる」と、ちーちゃんが苦笑いで釘を刺す。


翔子さんは笑いながら肩をすくめた。


「ふふっ、リップサービスでも嬉しいよ。こんな可愛い男子高校生から褒めてもらえるなんて」


「か、可愛い……? かっこいいじゃなくて……?」


神が少しショックを受けた顔で聞き返す。


「私の歳からしたら、みんな可愛い子どもだよ〜」


翔子さんはそう言って、まるで弟を見るような眼差しで、無邪気に笑った。


「翔子さんは、いつから本格的にこっちに住むんですか?」

ちーちゃんが尋ねた。

「今回は一週間くらい居ようかなって。このあたりの雰囲気とか、お店の様子とか、いろいろ確認したくて。でも本格的に住むのは、10月くらいからかな。東京の店舗の引き継ぎもあるしね。こっちは1月にオープン予定だから、それまでに内装とか仕入れとか、決めることが山ほどあって」

そう言って翔子さんはにっこり笑った。


「じゃあ、1ヶ月くらいは杏が一人暮らしになるんじゃね?」

と、ちーちゃんが私のほうを見た。


「俺、一緒に住むわ!」

はっしが秒で口を開いたのを、隼が即座にしばいた。


「大丈夫?杏?」

ちーちゃんの真面目な問いに、私は「うん」と答えたけど──

ほんとのところは、まだわからない。

おばあちゃんを失った喪失感は、どこかにずっと残っていて、

一人きりの時間に顔を出しそうで、少し怖かった。


「じゃあ、私が1ヶ月居候していい?」

ちーちゃんは、何気ない調子で言った。

「杏のとこなら、うちの親も安心するだろうし。何より楽しそうじゃん」


「え、ちーちゃんだけズルい!俺も住みたい!」


「男子禁制!」

と、ちーちゃんがにっこり笑った。


その提案は、正直──救いだった。

一人になるのが怖い。あの静かな夜の部屋に、あのベッドに、

ぽつんと戻ることを、どこかで恐れていたから。


「俺らは毎日遊びに行くけん」

と、神が言って、

隼も静かに笑ってくれていた。


「友情……やばい……!!」

翔子さんが目をうるませていた。

ほんとに、女版はっしだ。感受性が強くて、可愛くて、素直で、あったかい。


「ありがとう、みんな。大好き」

私は、心からの気持ちで、笑った。


***


ご飯のあとは、みんなで宿題タイム。

はっしと神の宿題を、手分けして片づけた。


翔子さんは「なっつかし〜!」と笑いながら楽しそうに問題を解いていて、

私は読書感想文をせっせと手伝った。

隼は、ひたすら無言で数学を解いていて、

ちーちゃんは、自由研究をほぼ勢いで書きあげていた。


夕方には、全部終わった。

宿題も、夏も、もうすぐ終わる。


明日からは新学期。

きっと大丈夫。

私は、こんなにもあったかくて、頼もしい人たちに囲まれているから

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