第9話

嵐のように過ぎた3日間だった。

お通夜、葬式、そしておばあちゃんの遺品整理。


とはいえ、おばあちゃんの部屋はとてもよく片付けられていて

ほとんど不用品もなくあっという間に終わってしまった。

最もおばあちゃんらしい。私たちには何も迷惑をかけないように

生前から準備をしていたのだろうと思った。


もち吉の缶には、本当に私名義の通帳が入っていた。

微々たる年金と洋裁店を細々と切り盛りしながら、

ここまで私のためにお金を貯めてくれていたなんて。


また泣いてしまった。

このお金は、大切に、大切に使おうと思った。


この3日間は、久しぶりに父と2人で過ごす時間にもなった。

父は1週間の休みを取ってくれていたが、

東京では菜々子さんの出産予定日が迫っているらしく、どこかソワソワしている様子だった。


「杏、東京で一緒に暮らすじゃろ?」


ダイニングテーブルで向かい合わせになって

二人で麦茶を飲みながら一息ついている時にお父さんはふと言った。


「でも……高校生活ももう半分は終わってるし、今更転校するのもなぁ・・・」


「お前はしっかりしとるが、まだ未成年じゃろ。

おばあちゃんが亡くなった今、ここに一人で住まわせるわけにはいかんよ」


確かに、それが普通の考えだ。まだ16歳。


それに東京に行けば、新しい環境に放り込まれて、悲しんでいる暇もなくなるかもしれない。ある意味、それは楽なことだ。


でも、あの大切な親友たちと離れるのは寂しいし、

おばあちゃんとの思い出が詰まったこの町を今すぐに出るのは、私にはまだ決心がつかない。

決心なんてつかない内に、なんでも飛び込んでみるのが正解なのかもしれないけど。


私が何も言えずに黙っていると、父が続けた。


「別に、こっちの家庭のことは気にせんでええよ。

菜々子もお前のこと大好きじゃし、大歓迎じゃ。

それに、妹もできるぞ。赤ちゃん、好きじゃろ?」


「赤ちゃんは好きだけど……」


東京でお父さんと菜々子さんと腹違いの妹と暮らす。

それはそれは穏やかで幸せな環境だと思う。

菜々子さんは私を心から可愛がってくれると思うし、

毎月のやりくりの心配も、ご飯も、きっと大人がなんとかしてくれる。

私はせいぜい妹を愛でる程度にお世話して、高校の勉強をしっかりして

行きたい進路を目指すだけ。



一方でここに残って一人暮らしをするとなると、全て自分か。

食べるメニューは全部自分が決められる。

勉強をしてもしなくても、テレビや携帯にどれだけ依存しようとも誰にも干渉されない。

そんな気ままな自由な生活は憧れるけど、まだその自由を謳歌する器が自分にはないような気もした。

それにこの家には、おばあちゃんの面影がありすぎる。

父が一緒じゃなかったら、たぶん家に入ることすら息苦しかっただろう。


ピンポーン


そのとき、下の階からインターホンの音が聞こえた。


そういえば、青木さんから今朝ショートメールで

「今日の午後に伺います」と来ていたのを思い出した。


私は慌てて階段を駆け下りて、玄関の戸を開ける。

青木さんを洋裁店の方へ案内し、お客様用の机と椅子へと通した。


お茶を淹れて戻ってくると、

青木さんは店内を眺めながら、懐かしそうに微笑んでいた。


「懐かしいです。……昔と、変わってませんね」


「青木さん、ここに来たことがあるんですか?」


「ええ。僕、10歳のときに1年だけこの町に住んでたんです。

そのとき、幸江さんには本当によくしてもらいました。

もう……20年前のことになりますけど」


そのとき、父も2階から降りてきた。


「はじめまして。桐澤幸江の息子の、桐澤聡です」


「はじめまして。よかったです。

聡さんにもご挨拶したいと思っていたので。

今日ご一緒にお話できて、安心しました」

青木さんはスマートにお父さんにも名刺を渡した。


私と父は青木さんの向かいに座った。

青木さんは穏やかに話し始めた。


「幸江さんとは、僕が10歳の頃からの付き合いなんです。町を出てからも、しばらく文通でやり取りを続けていて……去年の今頃ですね、久しぶりに連絡が来たんです」


青木さんはゆっくりと言葉を選びながら話しはじめた。


「僕、都内で何軒かブックカフェをやってるんですけど、そのことを聞いてくださって。うちの洋裁店をブックカフェにできるかって相談を受けました。

年齢的にもこのお店をどうしようか考えていたみたいで。

それにこの商店街には、誰もが気軽に集まれる“場所”がない。どうせなら、そういう場にしたいって。

それに――杏さんが本好きだから、杏さんが居心地よくいられる場所にしたい、っても言ってましたよ」


私は息をのんだ。そんなことまで考えてくれていたのだ……。

目の奥がまた熱くなって、必死に堪えた。


「それでこの1年、ずっとやり取りをしながら、少しずつ話を進めていました。もしお二人に了承いただけるなら、秋から工事を始めて、年明けにはオープンしたいと思っています。

工事と言っても、この洋裁店の雰囲気はできるだけ残したいんです。たとえば……このミシン、すごく素敵ですよね。これも、そのまま残したいです。」


青木さんは窓際に置かれた、私が物心がついた時には、そこに既に歴史を感じさせる雰囲気で鎮座していた、古くて大きなミシンをじっと見つめた。


「地域の人を“糸で紡ぐ”ような、そんなコンセプトでやれたらな、って」


少し照れくさそうに笑ったその言葉に、私は思わず身を乗り出した。


「それ、素晴らしすぎます!」


もう、まさに理想的すぎるお店だった。思わず興奮して声が大きくなってしまう。父も、静かに微笑んでいた。


「でも……こんな片田舎の商店街で、うまくやっていけますかね?この辺り、働き手もなかなか見つからないですし。テナントとして貸す分には問題ないんですが、青木さんがご苦労されるのではと……」


父は、当然の疑問を口にした。


「ええ、よく分かります。たしかに田舎です。でも、このあたり、本当に地域の人が“ゆっくりできるカフェ”がないんですよ。マクドナルドくらいで。

それに、この商店街は駅からも近いですし、宮島からも近い。計画通りでいけば4年以内には近くに空港もできます。マーケティング次第では、地域の憩いの場としてはもちろん、全国からの観光客の需要も望めます。」


青木さんは少し声のトーンを落として、真剣な目で続けた。


「それにリーマンショックの影響で、すぐ近くのモールではテナントがどんどん撤退しています。職を失った学生さんや主婦の方も多くて、働き口を探している人は少なくありません。そうした人たちの受け皿にもなれるようなお店にしたいんです。……だから、きっとうまくいきます」


青木さんの言葉には何か説得力がある気がした。直感的にこの人は信用ができると思った。おばあちゃんが頼りにするのも当然だと思った。決してこちらを説得するような目的とは違う、真っ直ぐに心からの言葉を発している人だと思った。


「東京の店舗を立ち上げる時から共にやってきてくれた永野のという女性がいます。彼女は実は田舎に移住したいと前々から言っていて、このお店の責任者としてまかせようと思っています。朗らかで素敵な女性なので、きっと杏さんにも合うと思いますよ。もし、よかったらなんですが、、杏さんにはこのブックカフェでバイトをしてほしいです。もちろん学業は優先で。杏さんは幸江さんとよく似ています。きっと杏さんがカウンターに立てば、来る人みんなが癒される素敵なお店になります。」


私はなんだか恥ずかしくなって顔を下にむけた。


「それは嬉しい話じゃけど、実は僕は東京に住んどるんです。お袋が生きてる間はここで杏とお袋の二人暮らしだったけど、死んだ今、未成年の杏を一人暮らしさせるのはいけん。だから東京に連れていこうと思っています。」

お父さんが言った。


「私、残りたい」

咄嗟に口走っていた。


「はぁ?でも、お前はまだ未成年じゃろ。」


「だって、おばあちゃんがここをブックカフェにって考えてくれたのは、私のためじゃろ?それに私は、この町が好きじゃもん。」


お父さんはため息をつきながら呆れたように下を向いた。


「もし良かったらなんですけど、永野をこの家に下宿させてくれませんか?」

青木さんが切り出した。


「というと・・?」

お父さんは訝しげに尋ねた。


「もちろん家賃はテナント代とプラスでお支払いします。杏さんが心配ということでしたら、永野を、保護者がわりにといいますか、、一緒に暮らすというのはどうでしょうか?

とても信用できる人間です。歳は28歳かな?保護者というよりはお姉さんみたいな感じですね。お父様が心配なら、永野は東京に今はいるので、一度一緒にご挨拶に伺います。そこで決めていただいて構いません。」


お父さんは私が一度言い出した事は、簡単に曲げない事を知っている。

渋々「わかりました・・」と返事をした。


まさかの展開だったけど、私の胸はたしかにワクワクしていた。

おばあちゃんが亡くなってから、もう二度と沈んだまま戻ってこれないような絶望感に苛まれていたのに、今は未来に希望が持てる。

おばあちゃんが準備してくれた居場所。そこで私はこれからどう生きていくのだろう。

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