第7話
おばあちゃんは霊安室に移された。
初めて入るそこは薄暗く、花と蝋燭の前に寝かせられたおばあちゃんを見ると、 本当に亡くなったのだと、ようやく実感が湧く。
ドラマでしか見たことがなかったけど、こんな場所が本当に存在していたのだ。
看護師さんが連絡してくれて、お父さんは東京から始発でこちらに来ることになった。
菜々子さんはもう出産予定日も間近ということで、東京に残るとのことだった。
もう夜明けも近いのに、4人はずっと付き添ってくれていた。
それほど、私の姿が悲惨だったことは言うまでもない。
霊安室ではなんとなく落ち着かなくて、私は言った。
「屋上でも行かん?」
みんなは少し驚いたようだったけど、頷いてついてきてくれた。
⭐︎
屋上にはベンチが2つ横並びにあって、
自然と女子と男子に分かれて腰かけた。
空はもう、明ける寸前だった。
おばあちゃんが死のうと、
私がどれだけ悲しみに暮れていようと
そんなことに関係なく、太陽は昇る。
その当たり前が、今日はひどく切なく思える。
いつだって空を見上げれば、私は小さくて
悩みや苦しみも、ほんのちっぽけに感じて楽になれるのに。
今日はそうもいかない。
この広い空に、自分が吸い込まれてしまいそうで、
ただただ、心細い――。
⸻
おばあちゃんと一緒に、空を見上げることは、もうこの先二度と叶わない。
思えば、この5人で病院の屋上でこんな風に朝日を迎えることも、きっと二度とないだろう。
横を見た。
そこには、私の大切な友達がいた。
私のために、花火大会を投げ出して、朝までそばにいてくれる人たち。
その優しさに、また涙があふれてきた。
ちーちゃんがそっと、ハンカチで私の頬を拭いてくれた。
「よし!お腹すいた!セブンでなんか買ってくるわ!」
神が、空気を和ませようしたのか、立ち上がって声を上げた。
「そやな!杏たん、何が食べたい?俺がなんでもご馳走するで!!」
はっしも調子を合わせる。
「……食欲ないから、大丈夫だよ」
私は笑って返した。
「おいおい、杏!知ってた?食べたら元気になるで!」
神の言葉に、思わず笑いそうになった。
こういう時、彼が神社の息子であることを思い出す。能天気に見せて、色々なことを考えた上で人の心を温めることが出来る人だ。さすが三股も出来るほどモテる訳だ。
ちーちゃんも立ち上がる。
「私もお腹すいたし、行こっかな〜。じゃ、杏の好きそうなの選んできたげる。隼は、いるもんある?」
「おまかせするわ」
隼が言った。
「はーい!じゃあ行くよ〜!」
3人はそう言って、屋上を後にした。
私と隼だけが、そこに残された。
空間は一気に静かになった。
「ありがとう、隼。ずっとそばにいてくれて……それだけで救われたよ」
私は心から、そう伝えた。
「全然ええけど」
隼の声は、いつもよりもずっと優しかった。
「……いつか、乗り越えられるかな?」
私のこの曖昧な問いを、隼全部理解してくれる。
「俺さ、初めて人に話すんやけど――妹がおったんよ。記憶には、ほとんどないけど」
「え……?」
「阪神淡路で、タンスの下敷きになって死んだ。まだ赤ちゃんやった。俺はそのとき、三歳くらいや」
私はあまりの衝撃的な内容に息を飲んだ。隼にそんな過去があったとは。
隼は朝日を見つめたまま話し続けた。
「悲しいっていう気持ちは、正直ほとんど覚えてない。でも――親父とお袋がずっと泣いとった記憶だけは、やけに鮮明に残っとる」
「……」
「毎年、1月17日になると、二人とも一日中泣いとってさ。それが俺は、すごい悲しかった。だから俺、嘘ついたんよ」
「嘘……?」
「“蘭なら、そこにおるで”って……俺、言ったんよ。ほんとは何も見えてなかったけど。
そしたら、親は泣きながら笑って、“隼は見える子なんやな、そうか、子どもってそういうの見えるって言うもんな”って……」
「……」
「それからや。親父もお袋も、ちょっとずつ元気になっていった。
“蘭がそばにおるから、頑張らな”って言ってさ。
それ見て、ああ、これでよかったんやって思った」
「……」
「俺のは嘘やった。でもな――
ほんとに死んだ人って、“周波数が違うだけで、そばにおる”らしい。
杏が前、貸してくれた本にそう書いてあった。あの、玉木青のやつやったかな?
それで俺、ああ、あの嘘、もしかしたら本当だったんかもなって、思った。
信じたいことを、信じて生きてけばええんやと思う。
悲しみは簡単には消えんけど、そうやって、なんとかやってける。
だからおばあちゃんも、この先もずっとお前のそばにおるよ。」
隼は、いつも心の奥まで温かくしてくれる言葉をくれる。
そんな言葉を紡げる所以は一体どこからくるのか、不思議に思っていたけれど、
きっと近くでずっと、大切な人のどうしようもないほどの悲しみに寄り添ってきたからなんだと思った。
子どもを亡くすなんて、想像もつかないほどの深い絶望だろう。
そんな親の痛みを一番そばで見てきた隼だからこそ、こんなにも人の痛みに優しくなれるのだ。
「ありがとう……隼。教えてくれて」
私はまた泣きそうになりながら言った。
「こちらこそ。聞いてくれてありがとう」
そう言って、隼はふわりと笑った
「あっ、そういやこれ。」
隼がポケットからティッシュに包まれた三千円を取り出し、私に手渡してきた。
「あ、それ……使わんかったん?」
おばあちゃんからもらった、最後のお小遣いだった。タクシーで先に降りるとき、隼に渡していたものだ。
「これ、おばあちゃんがくれたやつやろ?」
ティッシュに包まれたままの三千円。隼のあたたかい手からそれを受け取った瞬間、また涙がこみ上げてくる。
「……あたし、これ一生使わん。おばあちゃんの形見やもん。」
「うん、大事にしとき。」
「ありがとう、隼。使わんといてくれて。……タクシー代、高かったやろ?家帰ってお金とってきたら、返すね」
「ええって、そんなん。お前は心配すんな」
隼はいつものように笑って言う。
「お前が元気になったら、それでええわ」
「ありがとう……」
親友の優しさと、この3000円があれば
この先、どんな困難も越えられる。怖いものなどこれ以上ない。きっとどんなことだって乗り越えていける気がした。
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