第6話

タクシーで病院へ向かった。


いつもなら十五分ほどで着く距離なのに、この日は花火大会の混雑でまったく車が進まなかった。


私は堪えきれなくなって、ありったけの現金を隼に押しつけるように渡し、

「降りて走る!」と告げてドアを開けた。


後ろで運転手さんが制止する声が聞こえたけど、もう耳に入らなかった。

すぐ後で、隼も追いかけてきたのが足音で分かった。


どうか、どうか間に合ってほしい——

その願いだけで走った。


 


病院に着くとすぐに病室へ案内された。


おばあちゃんはベッドに横たわっていた。酸素マスク。機械。

たった数時間前まで、笑って帯を結んでくれたあの姿が嘘みたいだった。


「おばあちゃん!」


私の声に、ゆっくりと瞳が開いた。

何か言おうとしているのに気づいた看護師さんが、そっとマスクを外してくれた。


「杏……ごめんねえ……花火……だったのに……」


震える声。それでも私を気遣ってくれている。


「そんなん、どうでもええけ!!」


涙が止まらなかった。喉の奥がひりついた。


おばあちゃんは息を整えるように少し間を置き、言葉を続けた。


「この上の……引き出しに……封筒があるけ……そこに……全部書いとる……遺言よ……」


「遺言て……そんな、死なんでよ!!」


思考より涙と叫びが先に出た。

子どもの頃に戻ったみたいに、ぐしゃぐしゃになりながらしがみついた。


それでもおばあちゃんの表情は微笑んだままで、優しくて穏やかで。


「もう……充分すぎる人生よ。

 ええ人たちに囲まれて……可愛い孫と一緒に暮らせて……」


おばあちゃんは苦しみの色も見せず、静かに続けた。


「杏……ひとりじゃないよ。

 私がずっと見守っとる。友達もおる。

 だから、大丈夫よ」


ゆっくりと目が閉じた。


「おばあちゃん……ありがとう……」


その言葉をかすかに聞いたのか、口角が少しだけ上がった。


安らかな、眠るような表情だった。


そして——

機械の、乾いた電子音だけが病室に残った。


 


どれくらいそうしていたんだろう。

私はおばあちゃんの手を握ったまま、動けなかった。


背後がざわめき、誰かの気配が増えていくのを感じていた。

それでもまだ顔を上げられなかった。


肩にそっと手が触れた。


「杏……」


ちーちゃんの声だった。

振り向くと、ちーちゃんも神もはっしも、そしてずっとそばにいてくれた隼もいた。


「みんな……花火は……?」


問い終わる前に、ちーちゃんが抱きしめてくれた。


「そんなんより、あんたの方が大切じゃけ」


小柄な体なのに、包み込む腕はとても強くてあたたかかった。

その肩越しに見える3人の目も赤く濡れていた。


——おばあちゃんが最後に言った言葉。


「友達がいる。だから、大丈夫。」


その意味がやっとわかった気がした。


おばあちゃんがいなくなったら私は一人になると思っていた。

でも今、目の前にいるこの5人といるときの私は、確かに大丈夫になれる。


悲しみはまだ胸を満たしている。

みんなが帰って一人になったら、きっとまた押し寄せてくるだろう。


それでも——今こうして息ができるうちに、

胸いっぱい吸っておきたいと思った。


このぬくもりの時間を、ちゃんと感じていたいと思った。

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