第5話

宮島花火大会当日


第五章

おばあちゃんが入院するより前に縫ってくれた浴衣を手に、病院へ向かった。

赤地に黄色い花の刺繍が咲き誇っていて、私にはちょっと大人っぽい。

だけど早く着てみたくてたまらなかった。


病室では、おばあちゃんがベッドの端に腰かけたまま、帯を結んでくれた。

立ち上がれなくても、手つきはそのまま、シャキッとしている。


「ほら、あんた、浴衣の着方教えとるんじゃけ、自分で着んさい」

口では文句を言いながらも、手は優しく、帯を整えてくれる。


「おばあちゃんがやってくれたほうが、きれいに着れるもん」


「はいはい、こっち向いてみ。――うん、よう似合っとる」


「ありがとう」


「今日は宮島の花火かいね?」


「うん。はっしと隼と行くよ」


「そりゃ、楽しいじゃろうねぇ」

おばあちゃんはふわりと微笑んで、窓の外を眺めた。


「来年は、一緒に行こ?」


「なに言うんね。あの人混みにこの年寄りが耐えられるわけなかろうが」


「え~、じゃあ……海とかどう? 人の少ないところなら」


「うん、それなら……行けるかもしれんねぇ」


そんなやりとりをしていると、ノックの音。

はっしと隼が、にぎやかに病室へ入ってきた。


「おいっす~!……って、えっ、杏たん!? なにそれ反則やろ!」


はっしが目を見開いて、大げさに口を押さえる。


「か、可愛すぎる……! 俺、泣きそう……」


その声に、おばあちゃんが吹き出すように笑った。


隼は頭を掻きながら、ちょっと呆れた顔をしていたけど、

「隼くんも、そう思うじゃろ?」とおばあちゃんが振ると、


「……はい」

少し照れくさそうに答えた。


「ほな行こかー! 宮島やーー! 鹿と遊ぶぞーー!!」

「ヨーヨー釣りやりたーい!」

はっしが叫び、私もつられて声を上げた。


「ほんま、二人は子供じゃねえ。隼くん、保護者として頼んだよ」

おばあちゃんが笑いながら隼に言うと、


「……了解っす」

隼は小さく笑って、肩をすくめた。


私たちが病室を出ようとすると、おばあちゃんが「ちょっと待って」と呼び止めた。

振り返ると、財布から三千円を取り出し、ティッシュに包んで渡してくれた。


「これ、少ないけど。三人で好きなもんでも買いんさい」


「おばあちゃん、ありがとう!」


「ありがとうございます」


「いやいやおばあさま!男はっしがお金は全て出しますよ!」

はっしが胸を張る。


「まぁまぁ。もらっとき」

と笑って、私の手に握らせてくれた。


「じゃあ、楽しんでおいでね」


「うん。また明日来るけん」


私たちは手を振って病室を出た。


宮島口へと向かう電車の中。

手の中のティッシュに包まれた三千円が、やけにあたたかく感じられた。


⭐︎

宮島口はすでに人でごった返していた。

私たちもその賑やかな流れにのってフェリーへと乗り込んだ。


すでに席を確保しているちーちゃんと寺山くんの姿が見えた。

私が手を振ると、ちーちゃんは満面の笑みで振り返してくれる。

隣の寺山くんも、少し照れたように会釈してくれた。


私たちは船の中の座席には座れなかったので、外のデッキで海風に当たりながら過ごすことにした。

潮の香りがほんのり鼻をくすぐって、夏の香りが広がる。


「ちーちゃんと寺山くん、やっぱりお似合いじゃね!」

そう言うと、隼は少し笑って「そやな」とうなずいた。


そんなことを話している私たちの横で、

はっしが突然フェリーの先端でかの有名なタイタニックのポーズをとっていた。


「杏たん!俺がジャックしてあげるで!お前、俺のローズになってくれぇ!」


私は思わず吹き出してしまう。


「隼!ローズしてきて!」

「死んでもやらんわ」

「じゃあ、あたしがローズしちゃうよ?」


そう言って、私ははっしの前に立ち、あの有名なポーズを一緒に再現した。

潮風が髪を揺らして、思っていたより気持ちよかった。


「最高やーー!俺の愛が燃えとるーー!!」

はっしが大声で叫ぶ。


「はっし、うるさーーい!」

私も声を上げながら、笑いが止まらなかった。


「おりてこーい、アホども〜〜」

呆れたように、でもどこか楽しげに隼が呼びかけると

近くにいた乗客たちまで思わず笑っていた。


⭐︎

宮島に着くと、はっしと私はテンション最高潮だった。

 久しぶりの宮島。久しぶりの花火大会。やっぱり楽しくなる。


「隼に似た鹿さん、絶対見つけるけん!」

「ラジャー!!」

「いや待て、なんで俺に似とる鹿がおる前提なん?」

「鹿さんおらん!人多すぎて隠れとる!作戦変更や!りんご飴探すぞ!」

「手がベタベタになるから却下であります!私は金魚すくいかヨーヨー釣りを所望するであります!」

「許可するッ!」

私とはっしはすっかり小学生のようにはしゃいでいた。


「いやいや、まず場所取りちゃう? 花火見えるとこ、はよ探さな」

と、冷静な隼が口を挟む。


「えぇ〜!そんなことよりたこ焼き!焼きそば!佐世保バーガーやろ!?」

「食べたいであります!!」


「……ほんまに、こいつらの相手しとったら正気じゃいられんわ」隼は呆れたようにため息をついた。でも、それでもちゃんとついて来てくれる。


 私のたっての希望もあって、まずはヨーヨー釣り。

そのあと焼きそばと佐世保バーガーを買って、海辺の近くの石段に3人で腰掛けた。

ここならお祭りの賑やかさから少し離れて、ゆっくり花火が見られそうだった。


はっしは本当に私に一銭も払わせなかった。

でも、あとからちゃっかり隼から受け取っていたけど(笑)。


佐世保バーガーと焼きそばを3人でつつき合う。

「もうすぐ花火が始まります」とアナウンスが流れた――その時だった。


私の携帯が鳴った。

画面を見ると、

「和竹総合病院」。

おばあちゃんが入院している病院からだった。


血の気が引くの分かった。急いで出た。


「桐澤杏さんのお電話ですか? おばあさまの容態が急変して……急いでお越しいただけますか?」


「え……」


一発目の花火が、夜空を彩った。


「すぐ行きます!」


電話を切って、持っていた焼きそばをはっしに渡す。


「ごめん、私、病院行く!」


2人の返事を待たずに、フェリー乗り場の方向に走った。


 


人混みをかき分け、全力で走る。

下駄でつまずきそうになる。途中、ちーちゃんと寺山くんとすれ違った。


ちーちゃんが私の必死の様子に驚いて、腕を掴んで止めた。

「どうしたん??」


「おばあちゃんが……」


私はそれしか言わず、ちーちゃんの手を振り払って走り続けた。


途中からはもう下駄を脱いで、裸足で走った。

すれ違う人たちが私を不思議そうに見ていたけど、そんなの気にもならなかった。


 


出航直前のフェリーに、ギリギリで滑り込んだ。

私は下駄を片手に持ったまま、乗ってすぐの手すりにもたれて息を整える。


息が苦しい。横腹も痛い。

でも、それ以上に、胸のざわざわが苦しかった。


その時だった。

後ろから、息を切らした隼がフェリーに飛び乗ってきた。


「なんで……? ついて来んでよかったのに……」


「一人で行かせられるかいな」

息を切らしながら、隼が言った。


 


はっしも、両手に焼きそばを持って走ってきたけど、もうフェリーは出航していた。

岸から呆然と、私たちを見つめていた。


何も言葉が出なかった。

離れていく宮島と

夜の海をただ見つめることしかできなかった。

私は夜の海が好きなのに、今日はとても怖かった。

この深い海に、自分が飲み込まれていく気がした。

――そして、もうおばあちゃんはこの渦の中に行ってしまった気がした。


怖くて、たまらなかった。

だから隼の方を見た。不安な時は隼の顔が見たくなる。

隼はじっと海を見ていた。

そして、私の視線に気づくとこちらを向いて、

静かにこう言った。


「大丈夫やから。」


その言葉がとても心強く感じた

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