借り物の言葉の威力

伽墨

エクリチュールとラングとパロールとあと何か

「存在とは無である」とサルトルが言った午後、カントの純粋理性は冷蔵庫で凍っていた。ニーチェが「神は死んだ」と叫ぶたびに、ソクラテスの影はコーヒーに沈み、プラトンのイデアはWi-Fiに揺らめいて消えた。デリダの脱構築はトーストの焼き加減に左右され、デカルトの「われ思う」は自動販売機の釣り銭口に吸い込まれた。


それを見て老子は笑う。「無為にして為す」と。孔子の礼は釣り銭口に宿らず、荘子の蝶はWi-Fiに乗って飛び去る。般若心経はトーストに空を見出すことを嗤い、禅の公案は洗濯機の回転に意味を問わない。道元はただ微笑む、「われ思わず、ゆえにわれ在り」と。


──いかがだろうか。


もちろん、これは何か意味のある議論ではない。ただ哲学者の名前や教えをつなぎ合わせただけの意味不明な文章である。何なら、書いている私にとっても意味不明だ。それなのに、どこか「深そうだ」と思えてしまう。これこそが「借り物の言葉」の威力だ。


ところで、こういうのもある。

「アジャイルなドッグイヤーのロバストネスをシナジーさせつつ、パラダイムシフトをドライブするエビデンスベースのナレッジマネジメント」──。


やっぱり意味不明だ。もちろん、書いていて頭が少し痛くなるぐらいに、私にとってもやはり意味不明な文章だ。けれど、どこかで聞いたことがあるような響きがして、思わず「すごそう」と思ってしまう。それは、外来語だから分からないのではない。いや、カタカナ語が悪いのでもない。「借り物の言葉」だからこそ意味不明なのだ。「借り物の言葉」は、実際の中身よりも「それっぽさ」を先に連れてくる。


「借り物の言葉」の本質とは、その権威である。だから、そういう言葉に出会ったら「おや、これは虎の威を借る狐かもしれない」と鼻を利かせるのが、誠実な知的態度だろう。

もっとも、そう警戒している自分の口から、うっかり「パラダイムシフト」とか飛び出してしまうのが世の常なのだが。

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借り物の言葉の威力 伽墨 @omoitsukiwokakuyo

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