第8話
「俺は…………俺はな。朱里に言いたいことがあるんだ」
朱里の天真爛漫な笑顔を思い出す。サラサのように笑窪は浮かばなくても、目元が柔らぎ、全身で好意を伝えてくれるその笑顔に、悠真はずっと救われていた。
一緒に過ごした学生時代も、大人になってすれ違いながらも少しずつ交流を進めていった時も、ずっと彼女のことだけが好きだった。
「朱里……ごめん…………」
帰り方なんて気にせずに夜まで遊んだ日は終電を逃してタクシーを使ったりもした。お互いの計画性のなさに笑い合ってみたり。
「俺な、朱里のことが……ずっと……ずっと――」
そっと誰かが抱きついてきたように背中に重みと暖かさが加わる。
その重さは、いつか泥酔した朱里を背負って帰った夜と一緒だった。二人でケラケラと笑って、星に手を伸ばした二人の思い出と重なる。
悠真はその重みに静かに涙を流す。そして、震える声で、ずっと伝えられなかったその気持ちを伝える。
「――ずっと、好きなんだ!」
過去形にはしない。だって、離れ離れになった今でも、大好きだから。
何回終電を見送っても、何回彼女との思い出を巡っても。その気持ちだけは色褪せることなくそこにある。
ずっと、悠真の心に深く残っている。
彼女のまっすぐの笑顔が、悠真の心に光を照らす。
悠真はボロボロと涙を流しながら、何度も何度も拭った。
あの日から一度もうまく泣けなかった悠真は、その日、大人にしてはみっともなく、でも、悲しみの連鎖から抜け出すように泣いた。
その様子を見ていたサラサはもう一度煙を吐き出すと、フッと笑った。
悠真に憑いていた彼女は、最後まで彼のそばに寄り添っていた。
その夜、やっと「さよなら」を言えた気がした。
*
スマートフォンで終電の時間を確認する。
時刻は深夜の二時を過ぎており、当然帰るための電車はもうなかった。
久しぶりに二人で飲んでいたら、気がつけばはめを外し、学生気分で飲み続けてしまった。
そのせいで終電を逃した二人は、駅のロータリーで途方に暮れていた。
電車も、バスも、タクシーもない。
朱里の頬はりんごみたいに真っ赤に染まり、楽しそうにヘラヘラと笑っている。
帰る算段もつかず、明日のことを考えると酔ってばかりもいられなかった。だけど、朱里のそんな楽しそうな姿を見ていると、なんだかどうでも良くなるから不思議だった。
悠真が今からでもタクシーが呼べないかと思って一瞬朱里から目を離すと、彼女はパンプスを脱いでくるくると回っていた。
彼女は今日、休みだったこともあって白いワンピースを身につけていた。
くるくると回るとそれに合わせてスカートもふんわりと広がる。その姿がまるで天使のようで、悠真は思わず見惚れてしまう。
何度だって、悠真は彼女のことを好きになる自信があった。
だけど、関係が変わるのが怖くてそのことを伝える勇気はなかった。
「ねぇ、悠真」
朱里の声にハッとする。朱里は回るのをやめて、星空に浮かぶ星のように眩しい笑顔を見せる。
「私たち、ずっと一緒にいられるといいね」
この先も、もっと先も、ずーっと――。
その言葉は未来への希望のようで、なぜか永遠の別れのようにも聞こえた。
悠真の大きく見開かれた両目からは、知らず知らずのうちに涙が溢れていた。
「私を忘れて、って言ってあげたいけど……きっとそれはできない」
すると朱里もうっすらと目に涙を溜めていた。
朱里はゆっくりと悠真に近づくと、そっとその体を抱きしめた。
「意地悪でごめん。悠真の未来を祈ってあげられなくてごめん。自分勝手でごめん。だけど――」
抱きしめる手に力がこもる。悠真も震える手で彼女のことを抱きしめ返す。
これ以上聞きたくなかったけど、朱里の言葉を聞かなければいけないこともわかっていた。
だってこれは、最初で最後のチャンスなのだから――。
「だけど、どうしても私のこと覚えていて欲しいの……!」
そう言うと朱里は悠真の腕の中でわんわんと泣き始める。その涙に引きずられるように、悠真もボロボロと涙を流す。
「わかってる……わかってるから……! 俺は、朱里のこと、絶対に忘れない。朱里のことずっと好きでいるから!」
二人はお互いの存在を確かめるように抱きしめ合いながら、泣き続ける。
その夜が終わっても、悠真の心には、彼女の笑顔が輝き続けていた。
*
グスグスと泣き続けていた悠真はいつの間にかカウンターで寝てしまっていたようだ。
なにか、とても大切な夢を見た気がした。
朱里と心が通じ合えたような、そんな夢を――。
悠真が起きたことに気がついたサラサはグラスを磨きながら言う。
「私も昔、大切な人失ったことがある。毎日後悔したし、毎日泣いていた……だけど、ある日気がついたんだ。失ったものは戻らない。生きているなら前を向いて歩いて生きなきゃって」
悠真は朱里の笑顔を思い出す。周りの人を幸せにするようなその笑顔が忘れられない。
サラサはタバコの煙を吐き、静かに続ける。
「私は朱里って子のことは知らない。だけど、あんたは知ってるはずだ――朱里って子がどれだけあんたを大事にしていたかってことを」
その言葉に悠真は大きく目を見開く。その瞳は出会った時のような虚なものではなく、キラっと星が瞬くように輝く。
「彼女の想いを胸に抱えて生きるのが、きっと彼女への答えだよ」
この先、悠真が一人で生きていくことは変わらない。だけど、彼女の言葉で悠真の心には小さな光が灯ったようだった。
そして、近くに朱里がいるような気がしたのは、悠真が彼女の笑顔を忘れていないからだと気がついた。
彼女の笑顔が、まだ心の中で生きてるからだ、と――。
「はは、あんたはもう大丈夫だね。さ、そろそろ夜明けだよ。早く帰んな。あんたを心配している人たちがいるだろう?」
悠真がスマートフォンで時間を確認するともう朝の六時を回っていた。
「ありがとうございます。あなたのおかげで、俺は、朱里に伝えたいことを伝えられました」
「いいよいいよ。でも、もしも気になるなら、次はお客さんとして来てね」
優しく目元を柔げたサラサに悠真も優しく笑い返した。
あの日から笑い方を忘れていた悠真が、ちゃんと笑えた朝だった。
*
バーを出て、悠真はゆっくりと街を歩く。人気が少なくなった街に、朝日が差し込む。
悠真は《コープス・リバイバー》の意味を反芻する。
「朱里、俺、ちゃんと生きるよ。君の分まで――」
そうして、悠真はメッセージアプリを起動させる。
彼女の言葉を大切に眺めながら、ゆっくりと文字を打っていく。
その文字はもう二度と届くことはないけれど。
それでも、悠真はよかった。
悠真は朝日に背中を押されるように、一歩を踏み出す。
コープス・リバイバー 豆茶* @nizu
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