姪探偵ナンコ 激情版 【読み切り】

五平

姪探偵ナンコ、絶望のケーキ泥棒(完結編)

休日の午後。僕は、リビングで友人を待っていた。友人たちに「お前、こんなこともできるようになったんだな」と、驚嘆の声をあげさせるための、僕にとっての証明だった。


ケーキは冷蔵庫の真ん中、一番目立つ場所に鎮座している。よし。これで完璧だ。


──そう、この時は、確かにそう思っていた。


僕の愚かな記憶は、ここで完全に停止したのだ。


玄関のチャイムが鳴った時、僕は弾かれたように立ち上がった。友人たちの顔が、一瞬で頭をよぎる。ユウキ、タケル、アヤカ……みんな、仕事で成功している。それに比べて僕は……。いや、そんなことを考えている場合じゃない。ケーキだ。ケーキを出さなきゃ。


僕は冷蔵庫の扉を開けた。


……は?


脳が、一瞬でフリーズした。いや、違う。脳内の言語野が機能不全に陥っている。単語が、文字が、意味をなさず、ただの記号の羅列として、僕の視界を覆い尽くす。


ケーキが、ない。


ミントの葉一枚残さず、あの完璧なレアチーズケーキが、まるで最初から存在しなかったかのように消えていた。いや、消えてなどいない。僕が、あの日の徹夜の疲労で、ケーキの箱を、通販で届いたばかりの掃除機の段ボールと間違えて、冷蔵庫の横に置いてしまっただけだ。


犯人は、最初から僕だった。


その時、背後から軽快な足音がした。


「おじちゃん、事件の匂いがするわ!」


振り返ると、友人のユウキとタケル、アヤカ。そして、彼らに手を引かれて、笑顔で立っているナンコ。その顔には、まるで僕の絶望を嘲笑うかのような、純粋な好奇心が浮かんでいた。


ナンコの推理は、僕の焦りを燃料に、さらに暴走を始めた。彼女は、「ケーキを吸い込む掃除機人間」や「次元を歪めるケーキ泥棒」といった、荒唐無稽な推理を披露する。僕はその言葉に、胸の奥底を抉られるような感覚を覚えた。ナンコは、僕の隠し持っていたケーキの箱に気づいていながら、僕に自白させるために、あえて荒唐無稽な推理を続けていたのだ。


僕の心臓に突き刺さるナンコの言葉。それは、僕の惨めな失敗を、僕自身に突きつけるものだった。


「ねえ、おじちゃん。犯人は、最初から、この家で一番成功を欲しがっていた人だったのね」


その言葉は、まるで僕の人生を全て見透かしたような、冷徹な真実を突きつけられたようだった。


「……ああ、そうだ。僕だよ。僕が犯人だ……!」


僕は、その場で泣き崩れた。友人たちは何も言わず、ただ僕を見つめていた。ナンコだけが、無邪気な瞳で僕を見つめ、そして、こう言った。


「ふふ、おじちゃんったら。もう、わかってるくせに。本当は、私に褒めてもらいたかっただけでしょ?」


その言葉に、僕はハッとした。彼女は、僕の隠し持っていたケーキの箱に気づいていながら、僕に自白させるために、あえて荒唐無稽な推理を続けていたのだ。


なぜ、彼女はそんなことをしたのか?


僕はその時、彼女の瞳の奥に、ほんの少しの悲しみを見た気がした。


「だって、おじちゃん……」


ナンコは、静かに言葉を続けた。


「おじちゃん、このところずっと、疲れた顔してた。それに、私に、全然笑ってくれなかったもの」


僕の喉の奥が、ぎゅっと締め付けられる。そうだ。仕事のストレスと、友人たちへの見栄。僕はずっと、何かに追い立てられるように生きていた。ナンコが僕の家に来てからも、僕は彼女に、心から笑いかけていなかった。


「おじちゃんは、完璧なケーキを作って、みんなに褒められて、それで初めて笑えると思っていたんでしょ?」


ナンコの言葉は、幼いながらも、僕の心を正確に言い当てていた。


「でも、本当は、ケーキがなくても、おじちゃんはすごいんだよ。私のおじちゃんだから。私は、おじちゃんが、また笑ってくれるなら、それでよかったの」


彼女は、僕の失敗を暴くことで、僕に「完璧でなくてもいい」というメッセージを伝えたかったのだ。彼女の推理は、僕の心を追い詰めるためのものではなく、僕の心を解き放つための、愛のある「事件」だった。


僕は、その場で泣き崩れた。友人たちは何も言わず、ただ僕を見つめていた。そして、タケルが、静かに言った。


「……なぁ、お前。俺たちは別に、お前が作ったケーキが食べたかったわけじゃないんだぜ」


ユウキが、頷く。


「そうだよ。俺たちは、ただ、お前と話したかっただけさ」


アヤカが、優しく僕の肩に手を置いた。


「それに、ナンコちゃんの言う通り、このケーキ、すっごく美味しそうじゃない。おじちゃんが徹夜で作ったんだもの。きっと、愛がたっぷり詰まってるわ」


僕は、顔を上げた。そこには、完璧なケーキを求める友人たちの顔ではなく、僕の失敗を、そして僕の存在そのものを、温かく受け入れてくれる友人たちの顔があった。そして、ナンコは、僕が作ったケーキを、それはそれは美味しそうに食べている。その顔は、事件を解決した探偵の顔ではなく、ただ美味しいものを食べた、無邪気な女の子の顔だった。


僕は、その顔を見て、なんだかとても幸せな気持ちになった。


「…まあ、たまには、こういうのもいいか」


僕は、心の中で呟きながら、もう一口、ケーキを食べた。このケーキは、僕が徹夜して作ったものだ。そして、この事件は、ナンコが僕のために仕組んだ、愛のある事件だった。


姪探偵ナンコは、今日も世界の真実を暴いている。


──そしてその真実は、いつも、愛という名で呼ばれる。

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