17 記憶

 クールタイム終了まで残り15秒。


 私は覚悟を決めて、両腕をクロスして胸を庇う。痛い思いなんてしたくない。でもこうするしかなかった。


 『令那様!?』


 激しく盾とぶつかり、骨の軋む音がする。肺から空気が一気に押し出され、そのまま後ろに飛ばされた。硬い地面を転がりながら、どうにか受け身を取って素早く立ち上がる。


 クールタイム終了まで残り5秒。


 「なかなか……やるわね」


 「グルルルル」


 苦悶の表情を浮かべる私を見て勝利を確信したのか、バグベアは牙を剥き出しにして笑っている。確かに、誰が見ても窮地にしか思えないかもしれない。


 でも私にはこれがある。〈セレリタス・メンティス〉を起動。


 私はバグベアの背後に回り込み、横薙ぎに一閃して首を払った。バグベアの瞳は驚愕に見開かれ、舌をだらりと垂らしたまま、ゆっくりと地面に落ちていく。


 「もし腕が折れてしまってたら、殺されてたのは私の方ね」


 〈セレリタス・メンティス〉を解除。時間の流れが戻りバグベアの倒れる鈍い音が響いた。


 突如として、視界がぐらつき、真っすぐ立っていられない。平衡感覚を失ったように胃がムカムカして、吐き気が止まらない。


 「おえー……なんなのこれ。気持ち悪い」


 壁に手をつこうとして、うまく持ち上がらず、肩をぶつけてしまった。大きく息を吸って、吐く。たまらずマスクを脱ぎたくなったけど、顔バレするわけにはいかない。


 :毒か?毒にでもやられたのか?

 :いや、トロールにもバグベアにもそんな能力はない

 :いきなり倒れそうになるなんておかしくないか?

 :あの瞬間移動が原因じゃないか

 :ありえるかも

 :バイオインプラントの中には連続使用すると脳に大きな負荷がかかるものがある。副作用かもしれない

 :下層なんかで倒れたら誰も助けにいけないぞ

 :やばいどうしよどうしよ

 :誰か助けにいけよ笑


 「はぁはぁはぁ、そこまでじゃないから」


 壁に背を付け、腰を落とした。まだ視界が揺れている。いまもしモンスターに襲われたら、なすすべなく殺されてしまう。わかっているけど、身体が言うことを聞かない。


 『令那様、弾の補充だけでもしませんか?もし身体が動かなくても引き金さえ引ければ襲われても大丈夫です』


 「……そうね。なんか……機嫌悪そうだけど」


 『別に気にしないでください。令那様が急に攻撃を受けにいって、身体に傷がついてしまったことを怒ってなんかいませんから』


 「いや、怒ってんじゃん」


 四つん這いになりながらも、リュックの元まで進んでいく。弾倉に弾を一発ずつこめる。瞼が重い。今にも意識を失ってしまいそうになりながら、どうにか装填することに成功して、ピストルを右手に握り、仰向けに寝転んだ。


 「寝ちゃいけないのに……駄目なのに……眠くて眠く……て」


 また夢を見てしまう。あまりにもリアルな誰かの記憶。これはきっと〈セレリタス・メンティス〉の使用者の記憶。


 どす黒く染まった川沿いを歩いている。ひどく腐った臭いがしているのに、これが日常だから鼻を抑えることさえしない。あちこちにゴミが捨てられている。浮浪者以外に誰もこんなところには近づこうとしない。捨てられた場所。汚染、貧困、病気、それらすべてがこの辺り一帯を覆っている。


 「あぁクソが!ジャミングされてやがる……おいっ、そこのクソガキ、ちょっとこっちにこい」


 べしゃんこになった車の運転席に男が見える。スーツを着ている。助けを求めているのか、必死にこっちに向かって叫んでいる。


 「聴こえてねぇのか?ほら金ならいくらでも払ってやる。だからさっさとこっちにこい。俺を助けろ」


 お金。もう何日も食べてない。お腹がギュルルと泣いている。


 「そうそう。やればできるじゃねぇか。まずは運転席を開けてくれ。そっとだぞ」


 「お金が先……助けるは後」


 「はぁ?ったくしょうがねぇ。さっさとしろ」


 投げ渡された財布には、私には見たことのない大金が詰まっている。嬉しい。これで、なんでもいーっぱい食べられる。


 「ほら、ちゃっちゃと運転席を開けろ。足の感覚がないんだ。早く荷物を届けないと、俺が殺されちまう」

 

 私は運転席を開けようとして……やめた。代わりに、後部座席のドアに近づき、黒い箱を持った。こっちにはなにが入っているのか。こんなに大金を持っているなら、もっとすごいものがあるかもしれない。


 「おいっそれに汚ねぇ手で触るんじゃねぇ!こっちが先だ。金は渡しただろ」


 結構重たい。地面に引きずりながら箱を持って帰る。


 「クソクソクソクソクソクソが!俺はこんなところで死にたくない。こんなところじゃ……」

 

 開け方がわからなかったけど、いろいろ触っていたら急にカチッと音が鳴って、中から見たことのない機械が出てきた。たまに落ちている死体についているものとは違う、ツヤツヤしていて、とても綺麗だ。


 お金、払ったらつけてくれるかな。でも、先にご飯食べたい。


 ひんやりとした機械を抱えて、煌々とネオンの光る街へ向かった。もう二度とここには戻ってこない。そう決意して。

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