第5話**秋夜**

**秋夜**


 すっかりと日も短くなり、薄暗い窓の外では桜が秋風に葉を散らしている。

私、赤城茜は今日も今日とて少し残業だ。


「風ぇ立ち~ぬ~♪今はぁ秋~…♪」

聖子ちゃんの『風立ちぬ』を口ずさみ、頬杖をついてノートPCに向かう。


 画面には、『保健だより』の今月号が書きかけで止まっている。

こんなもん読んでる奴が何人いるのかねぇ、と毎月思う。


「あー。不労所得で暮らしてぇー」

自分で選んだ道とはいえ、なんでこんなことしてんだろうなと思うこともある。

 まぁ、大抵の大人はそう思ってるんだろうな。


 チック、チックと秒針が鳴る音と、キーボードを叩く音だけが秋夜の保健室に響く。

 今月の保健だよりのテーマ『あなたの心、大丈夫?』。


 体育の授業で怪我して来る場所。

生理が辛くて休む場所。

 そんなのが一般的な保健室のイメージだろう。


 だが実際は、少なくともウチの学校では、メンタルに問題を抱えた生徒が圧倒的に多い。

 思春期の子供は繊細だ。

この時期に負った心の傷は、大人になってからも痛む場合がある。


 痛みは無くとも傷跡は残り続けるし、膿んで悪化することだってあり得る。

完全に消えて、無かったことになどならない。



**


 私は人生で一度だけ、自傷らしき行為をしたことがある。

別に、何かで思い詰めたわけではない。

笑われるかもしれないが、私は保健室に行きたくて小さな岩で膝を傷つけた。


 中年の保健教諭、茶山先生と出会った経緯は、以前独白したとおりだ。

 初めて訪れた保健室で、私は“無条件の優しさ”を受け取った。

私が、最も欲していたものだった。


それがもう一度欲しくて、そのような行為におよんだのだった。


膝から滲む程度の出血をして、私は保健室を再び訪れた。


「あらあらあら~」

心配そうに私をベンチに座らせた茶山先生は、手慣れた手つきで傷を消毒し、青色の軟膏を塗ったガーゼを当ててテープで固定した。


 幸せだった。ただただ。

処置を受けているときは幸せだった。


「茜ちゃん」

私は一瞬、狼狽した。

前回保健室を訪れた際、私は下の名前を名乗っていない。


「あの、なんで、名前」

「来てくれた子の名前は全員わかるわよ…それより、痛かったでしょう?」


 茶山先生の目がいつも以上に優しく感じた。

同時に、何かを憂いているようでもあった。


「自分で、痛かったでしょう…。保健室はね、別に理由がなくても来ていいのよ?」

なぜわかったのだろう。茶山先生は、私の自傷を見抜いていた。


 カッターで手首を切ったわけじゃない。

タバコで根性焼きしたわけじゃない。

岩で膝を打っただけだ。それくらいのことで?


「初めて来てくれたときのね。目。なにか悩み事があるのかなって思ったのよ」

「あの、え、あ、その…」


 なぜか、涙がぽろぽろと流れていた。

たったこれだけのことで、自分を理解してくれる人がいることが不思議でしょうがなかった。

 同時にそれは、今まで感じたことの無いくらいの“安心”だった。


「何もなくてもね、来ていいのよ。何も話さなくたっていいの」

「ぐすっ……はい…」


 それから私は、適当な理由をつけて保健室に通うようになった。

流石に毎日はヤバいので、放課後に少しの時間、茶山先生に話を聴いてもらうこともあった。


 今まで感じたことの無いくらい、安心した気分だった。

怪我をしていなくても、生理が辛くなくても、茶山先生は当然のように私を受け入れてくれた。

 それが当時の私にとって、どれだけの救いになったことだろう。



**


 だから、私はここを“無条件で受け入れてくれる居場所”にしたい。

そう決めて、保健の先生になったんだ。

あの時、茶山先生が居た保健室のように。


数学の先生は数学を教える。

英語の先生は英語を教える。

じゃあ、保健の先生は?

保健の先生は、“安心”を教えるんだ。


 悩み事なんかはスクールカウンセラーがみてくれる。

もっと深刻な病的状態になればメンタルクリニックに行くべきだ。


 ここの役割は、学校という窒息しそうな閉じた場所で、唯一安心できる空間であることだ。

 そう、ここはいつだって「弱虫たちの保健室」でなければならない。


**


「くぅ~!やっと終わった~」

大きく伸びをして、頭を左右に傾ける。


最近、やたら首と肩がこる。

歳かねぇ、おお~嫌だ嫌だ。


保健だよりを終わらせ、緑川の経過観察日誌を開く。


2年C組、緑川葉子17歳。


『10月〇日(土)、体育の補習授業のため青島・赤城と共に落ち葉掃除。本人は明るい表情を見せ、今年の春頃よりも他人に心を開くようになっているようだ。先般、青島が発作を起こした際には、青島を気遣う様子も見られた』


『10月×日(月)、同クラスの女子生徒が保健室に来訪。ベッドのカーテンを閉め、息を潜めていた。同生徒が退室した際には何事も無かったかのように振る舞っていたが、手に若干の震戦、表情の硬直も見受けられた。』


青島も勿論心配ではあるが、彼なりに成長を見せている。自傷行為も頻度は減っているし、学校におけるクラスへの順応具合は比較的問題視するレベルではない。


 一方、緑川は保健室でこそ明るく振る舞う余裕が出来たようだが、元のクラスへの復帰はかなり難しいだろう。


実は、青島よりも深刻なのは緑川なのだ。


 本人もその自覚はありながらも、気丈に振る舞っている。

――――――私は大丈夫……

そう思いたい気持ちが、痛いほど伝わってくる。


「風ぇ立ち~ぬ~♪…涙顔ぉ~見せたくな~くてぇ~♪………か」


窓の外はとっぷりと暗くなり、外灯がアスファルトにスポットライトを照らす。

散り落ちた桜の枯れ葉がその中を、秋風に吹かれ虚しく舞っている。




続く

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