第2話**春夜**

**春夜**


 褒められたことのない子供だった。

肯定されたことない子供だった。


 居場所が欲しかった。

無条件に自分を受け入れてくれる、居場所が。



**


 生徒が全員下校し、教師たちは残業に励む春夜。

私、赤城 茜はスチール机に向かい、ノートPCをぼんやり見つめて物思いに耽っていた。

他の教師たちや保護者からのクレーム。自分の過去について。そしてこの保健室について。


―――彼女の将来を思えばですね

―――出席させる気はあるんですか

―――えこひいき

―――自分の腕を切るなんて

―――そのうちウチの子にも危害が

―――見ていて気持ち悪い


 私は、間違っているのだろうか。

ノートPCには、2人の生徒についての経過観察日誌が記されている。

『4月×日(月)午後より登校。ベッドにて臥床し、黙々と読書。自発的に話しかけてくる回数が増えた』

『4月〇日(水)3限目中来訪。前肢に5か所、カッターナイフを用いた自傷行為による創傷』


緑川 葉子、2年C組。16歳。

青島 海斗、2年B組。17歳。

二人を見ていると、昔の自分を思い出す。

勿論、全く同じような境遇だったわけでもない。

寧ろ彼らと比べれば、私は十分恵まれていた。


 特定の生徒を特別視することは、教師として正しくない。

それは理解している。

ただ何となく、この二人には過去を重ねずにはいられない。



**


 「小学校のテストなんてな、100点がとれるようにできてるんだから100点が当たり前なんだよ。茜」

父の口癖。


 「茜はすぐにグジュグジュいじけて。茜はね。演技しているだけなの。自分が一番可哀そうだと思って、悲劇のヒロインぶっているだけなの」

母の口癖。


 「もう、なんでいつもいつも先に行っちゃうの!私にばっかり茜の面倒見させて!」

親子で外出をすれば、両親は必ず喧嘩になった。



 別に殴る蹴るの虐待を受けていたわけではない。

ネグレクトも無かったし、離婚するほど両親が不仲だったわけでもない。


 どこにでもありそうな、ほんの些細な家庭内のズレ。

本当に過酷な生育歴を持った子供からすれば、鼻で笑われるような事柄。

それでも私の身体の表面には、いつも空虚な薄膜が張り付いているようだった。



**


 体育の時間、私は膝を擦り剝いた。

少し滴る程度の出血。

蛇口で適当に砂を洗い流し、保健係の同伴も断って、自ら保健室を訪れた。

病気も怪我も滅多にしない健康優良児の自分は、保健室に入ったことがなかった。


 「あら痛そー。そこに座っててね。準備するから」

初めて会う中年の保健教諭に促され、合皮張りのベンチに着座した。

あたりを見回す。

身長計。体重計。薬棚。ベッド。消毒液の匂い。


 「お待たせ。あらあら、結構広く擦り剥いちゃったわねー」

ピンセットで摘まんだ脱脂綿が、丁寧な力加減でポンポンと当てられる。消毒液が沁みて、顔が少し歪んだ。


 「沁みる?」

「いえ…大丈夫です」

「悩み事とか、ある?」

「え?」

一瞬、痛みを忘れて先生の顔を凝視してしまった。

「いえ…特には」

「そう。ゴメンなさいね。そんな気がしただけ」

先生は微笑んで、それ以上の詮索はしなかった。


 消毒を終えると、先生は青色の軟膏を塗ったガーゼを膝に当て、テープで固定してくれた。

手慣れた、素早い処置だった。


 あっという間の時間だったのに、私は自分が妙な優しさを感じていることに気づいた。

無条件に与えられる優しさ。

ずっと私が欲しかったもの。

身体を覆う空虚な薄膜が、一瞬だけ無くなっているような気がした。



**


 「今では私が保健の先生。生徒にあげるのはもちろん素早く丁寧な処置。なぜなら彼らも…ってか…?」


 誰もいない保健室で、そんな擦り切れたギャグを呟く。

電気式サイフォンがゴポゴポと音を立てている。

コーヒー飲んでもう少し頑張るか。


 「さーて、次は保健だよりですか。だりーなぁ。不労所得で暮らしてぇー」

窓の外はすっかりと暗くなり、街灯に照らされた葉桜が揺れていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る